minaQのつぶやき 네토미나

嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

債務者に一日二回以上の負債督促をすることができない

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貸金回収業者はついに1日2回以上の負債督促ができなくなる

取り立て屋受難の時代、裁判所の支払い命令も異議申し立て無しに5年で時効に
借金は返さなくてもイイ、土地は不法占拠でも時効まで粘れば勝ちになる

今日は2016年10月10日


イメージ 1[マネーミーナ]今月末からローン会社と債権回収業者は、債務者に一日二回以上の負債督促をすることができなくなる。また消滅時効が終わった債権については、ローン会社の売却・回収が遮断される。

金融委員会と金融監督院は、このような内容の改正「債権回収業務ガイドライン」を金融上の登録対象となる大規模な貸付業者459所まで拡大適用すると10日明らかにした。

登録対象ではないローン会社にも地方自治団体の協力を要請してガイドラインの遵守を誘導することにした。
消滅時効が完成した貸付債権は、貸付け金業者が回収することはできず、債権回収会社に回収を委任することもできできなくなった。
※裁判所が強制力のない返済命令をするだけ

金融機関の貸付債権は、権利を行使していない時から5年が経過すると、債務者が債務を返済しなくても良い。
しかし消滅時効が終わっても、裁判所に支払い命令を申請すれば債務の返済義務が再び生じることを悪用して消滅時効が完成した債権を買い入れた後、返済を督促する債権回収業者が多かったが、債務者は、これに対して異議申し立てをしない場合は、再債務の返済圧力に苦しまなければならなかった。
また、債務者の保護のために債権回収者の立証資料の確保を義務付けた


(翻訳:みそっち)



あいかわらずわかりにくいのが韓国語の特徴ですが、借金の催促が一日一回しかできなくなるというわけです。これまでにも職場に電話してはいけないとか、自宅に来てチャイムを鳴らしてはいけない、ドアに張り紙をしてはいけない、借金の催促状はハガキなどの配達人が見ちゃうことのできない方式でなければならない。借金の督促で本人以外の家族に借金の事実を話してはいけない、近隣の住人に借金の事実を話してはいけない、予告なしに所定の場所以外で待ち伏せをしてはいけない。などのお約束が徐々に作られてきたのです。


正当な事由なく繰り返しまたは夜間(午後9時以降は、次の日の午前8時までをいう。以下同じ)に、債務者や関係を訪問することにより、恐怖心や不安感を誘発し、私生活や業務の平穏をひどく害する行為
正当な事由なく繰り返しまたは夜間に電話するなど言葉・文・音響・映像又は物を債務者や関係者に到達するようにすることで、恐怖心や不安感を誘発し、私生活や業務の平穏をひどく害する行為
債務者以外の人(保証人を含む)に債務に関する虚偽の事実を知らせる行為
債務者又は関係人に金銭の借用やその他の同様の方法で債務の返済資金を調達することを強要することにより、恐怖心や不安感を誘発し、私生活や業務の平穏をひどく害する行為 債務を弁済する法律上の義務がない債務者以外の人に債務者に代わって債務を弁済することを要求することにより、恐怖心や不安感を誘発し、私生活や業務の平穏をひどく害する行為 無効であるか、存在しない債権を回収する意思を表示すること 債務者の仕事や居住地など債務者の私生活や業務に関連する場所で多数人が集まっている中で、債務者以外の人に債務者の債務額、債務不履行期間などの債務に関する事項を公然に知らせる行為

そのほかにも未登録の貸金業者が督促してはいけないなどがあります、これってフリーの回収人っていうのを禁じているわけですよ


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借金取りが家に居座っているところ(韓国映画:卑劣な街2006)


半島総奴隷時代とは
ニホンが朝鮮半島の経営に乗り出した頃っていうのは朝鮮人のほとんどがものすごい借金をしていたのです。お金の通用しない半島ですから借金というのは変かもしれませんが、お百姓は翌年の籾を借りていたし(本来は凶作の時の作物備蓄だったが強制的に貸出しして利息分をお役人が私有化していた)租庸調(ニホンの平安時代そのままの税制)で収めるものが延々と滞納していて、利息だけ払っても元本が増え続けるという半島総奴隷時代だったのですね。

おじいちゃんが借りた借金を今頃返してるみたいな感覚でいいと思いますよ、代々借金を重ねてきてにっちもさっちも行かなくなったのが韓末という時代でした。
(これってつまり税収も無いということ)

このへんが現代の韓国人の金銭感覚に影響を与えています、まず借金(前借り)が当たり前であるということですね。お金を貯めてから事業を始めるのではなく、借金をしてすぐに始めるという考え方もそうでしょう。
その一方で朝鮮時代を通じてあの国には現金から小銭までがまったく流通していませんでしたから、小銭を集める”貯金”あるいは”へそくり”という概念が形成されませんでした。(その場で受け取る式が発達した)


ニホンの江戸時代の弥次さん喜多さんなんかだと胴巻きにぎっしり寛永通宝なんかを詰め込んでお腹を冷やしてましたが、朝鮮では穴の空いた小銭はほとんど信用価値がなくて”布”が物々交換に使われていたみたいです。それは例えるならパチンコ屋さんの裏にある景品引換所だけで通用するハンカチやボールペンライターの石、ゴルフボールなど様々な品物が使われる>>>こんな感じですね。
するとほら、景品交換用のハンカチなんかセロテープでガビガビだったりするようなイメージですよ。そういうのが物々交換の頂点にあったわけです。
そういうわけで、布の反物が景品交換用でしたから規格の決まったものだけが流通することが求められます。そのため色のついた布は最初から流通しませんでしたね。それでも王族や偉いお役人なんかは漢城の外に住んでいた中国人商人から絹織物までをものすごい金銀と交換して買っていたのです。

縫い針さえ無かった朝鮮時代
ちなみに中国 清に降伏した時の条件に”黄金100両、白銀1000両の他、牛3000頭、馬3000頭など20項目余りの物品”なんていうのがありますが、こちらには続きがあって、”白苧布二百匹、各色綿紬二千匹、各色細麻布四百匹、各色細布一萬匹、布一千四百匹”ということで布も収めなければなりませんでした。つまり白ばかりではない布も作っていたことがわかります。これらは清の地方政府である北平(今の北京)あたりのお役人の稼ぎになるもので、清としては”地方交付金”のようなものだったと見ることができます。
そのほかに民間次元で交易も行われていたのです。その時代朝鮮には”縫い針”というものが産していませんでしたから縫い針はすべて輸入品だったことが記録されています。

物々交換といえばコメを想像しちゃったひともいるかもしれませんが、朝鮮半島でコメの栽培が進んだのはこれもニホン統治時代になってからでしたから、当時の朝鮮人アワやヒエのようなものが収穫量の半分を占めていました。もちろん食べるために栽培していたのだと思いますけどね。 あの和箒の先っちょみたいなのにつぶつぶがついているんだそうですが、小鳥の餌を想像するとわかりやすいですね。
※残り半分がコメだと思ったら大間違いですよ、残りの半分は布を織るための麻を栽培していました。(ホントカ)

貯めておくと価値が下がるという朝鮮社会
さて、銅銭などなら貯めておけば錆びることはあっても価値はかわりませんよね。
ではこれが穀物だったらどうでしょうか。
コメの無差別栽培で今年もコメ余りと言われる韓国ですが、コメの生産量が戦前(~1945)の水準に戻ったのはなんと1970年代になってからでした。
古米古々米なんか食べたくもないですが、韓国ではふつうに色の変わったコメが出てきたりします。あんまり色が変わると豆とかといっしょに炊いて五穀米なんて喜んで食べているんですね。(炊飯用漂白剤というものが韓国にはある)

まぁ去年の穀物は翌年になれば価値が下がるじゃぁないですか。つまり当時の朝鮮人にとって蓄財することとは穀物を蓄えておくことだけど、たくさんあっても翌年には価値が下がっちゃうという代物ことなのです。下がっちゃうから富の蓄積がない社会構造ですね。すると毎年決まった量の収穫があるということが必要なのです。
社会構造がそうですから農地を広げるとか水路を作るとか物流のために道を整備するなんてことなんか思い浮かばないのでした。 まさに雑穀本位制なんですよ。

それとは別に”布(素材は麻)”が流通していましたよ。あの白い布地ですよね、実物は割と厚めでゴワゴワした触感みたいですよ。これを洗濯場で叩いて洗うわけです。
パチンコの景品みたいに何度もやりとりされると生地が黄ばんできます。すると交換比率がどんどん悪くなるんだとか。
そんな布地も本来は納税の代わりに織って収めるものだったわけです。これが19世紀の末までずぅ~~っと続いていたんです。びっくりですね。
(このほかに平民にだけ軍役が16~60歳まであった、もちろん自弁だけどね)


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じゃぁ布地を貯金すればよかったのに? いえいえ本来の目的が納税用ですからね、それさえも作って収められなければそれが借金になるのです。
当時の利率ですが、これがまたびっくりで、種籾の貸し出しで収穫期に持っていかれる分っていうのが驚く程なんですよ。種籾は鉄腕ダッシュを見てるとわかりますがほんの二升もあれば田んぼに植えるには充分ですよね、それが何俵にもなるわけですが。
種籾の代価は収穫量の半分だったそうです。種籾のひとは働かずにうようよしていたんですね(これが朝鮮時代のお役人の仕事)。しかも種籾を貸し出すお役所があって、そこから借りないと作っちゃいけないという社会構造です。新田開発なんか無かったわけですね。これが朝鮮の社会構造でした。

ちなみに人口の半分以上が納税の義務のない奴婢だったりした時代もありました。

集まらない朝鮮人労働者、働く対価を知らなかった
ニホンの統治時代になって、やれ学校を作るお役所をつくる、道を直す、なんてことをニホンの資本ではじめたのですよ、ところが肝心な朝鮮人に働いてもらおうとしてもダメだったのです、仕事もある、金も払うというのに朝鮮人が集まらないというのです。

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結局どうなったかというと、当時の朝鮮人はみんな借金をしていましたから、それを貸している側に頼んで朝鮮人労働者を集めたのですね。
今で言う口入れ屋みたいなものが朝鮮には必要だったのです。
それはまた、労働力が必要となればそこに声をかければいくらでも集まるという仕組みでもあったわけです。

やがてお金というものがなんとなく分かるようになるとニホンに出稼ぎに行くのが良いと考えるようになって、李明博の父親もニホン行きの船に乗って大阪で小銭を稼いだりしていました。それが昭和の頃ですが、納税の記録に彼ら親子の名前はどこにも出てきませんから彼らは今で言う”不法滞在者”だったのでしょうね。

そういう記憶がそのままあるので、貯金はしない、不法滞在はOK、借金漬けも歓迎、白い米に色をつけるのが好き。なんてことになってるのです。

元本一括利息だけ今払いとか、傳貰のような家賃形式ではない家の借り方が発達してみたりするのです。 ※傳貰(チョンセ)のお金は銀行から融資をうけて家主に渡す


そしてタイトルの債務者保護というのが現在の韓国の状況です。返済というものにも時効があるので債務者を保護するという考え方が進化したのですね。
そういうひとばかりだと金融機関が損しちゃう? いえいえ借金という債権はきちんと返済していてもすぐに別の回収業者に売るのです。ですから大手銀行の経営はいつでも良好なんですよ。 債権を受け取った回収業者は独自の金利計算で”無期分割元利据え置き”なんてことをやり始めます。返しても減らない借金ですね。
これが破綻しない理由は「小銭でも日銭で回収できればそれでイイ」というのがあります。回収業者にとっては借金がそのまま残って利息だけを永遠に受け取る仕組みこそがかれらの望む社会なのでそれでいいんです。

ところが今は韓国社会が未経験の低金利社会ですよね。契約上の利率が下がると契約件数を増やさなければやっていけないじゃないですか。 そのあとはどうなるんでしょうね  ふふっ







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映画の続き、借金取りのチンピラが外から大声を出したり
家で裸になるとおねいさンを呼んでモミモミしてもらったり