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”学資金融資=ただで貰ったお金”


時限爆弾であることを知らない爆弾'学資金融資'、不良債権1.6兆ウォン

イメージ 1[はたらけミーナ]事実上、不良債券である大学生たちの学資金融資の延滞額が1兆6000億ウォンを超えるという指摘が出た。

国会企画財政委員会のイ・ハングセヌリ党議員は6日、国政監査資料を通じて"大学生たちの間に学資金融資が返済しなくてただで貰ったお金という誤った認識が拡散され、時限爆弾を抱えていながらも爆弾であると知らないまま、急増している"とし、このように指摘した。
イ議員は就職後、償還する学資金融資を受けた卒業者3人のうち1人は、融資金を返済していない状態だとし、未償還者の92.7%(万7939人)は、延滞状態ではなく、未就業等による返済基準所得に不足して返済義務そのものが発生したものではないと話した。

イ議員はこのように、就職できず、返済義務が発生していない融資金は計1兆6070億ウォンに、延滞ではないが、回収が不確実、事実上、不良債権として、”学資金融資=ただで貰ったお金”という認識が拡散することを食い止める根本的な対策が必要だと強調した。
学資金融資規模は今年6月末現在179万3000人、貸付金額は計11兆6928億ウォンに達する。 2010年の109万1000人、8兆90億ウォンに比べて融資者は156%、貸付金は217%増加した。 このうち、就職後、償還する学資金融資残高は5兆888億ウォンと636%増加した。
学資金融資の延滞された金額は今年6月末現在1922億ウォンで2010年の1188億ウォンに比べて61.8%(734億ウォン)増加し、6ヵ月以上元利金の償還が延滞された不良債権残高は同期間1217億ウォンから3278億ウォンと169%(2061億ウォン)も急増した。
イ議員は、学資金融資の延滞率は1.6%、延滞残額と不良債権を合わせた不良債権比率は2.8%に達し、これは今年6月末現在、国内銀行の家計貸出延滞率0.42%の3.8倍、家計融資の不良貸し出しの比率0.42%の6.7倍に達すると指摘した。

イ議員は、特に就職後、償還する学資金融資の場合、今年6月末現在、償還条件が満たされた返済の対象者を基準に未返済額の割合(償還対象金額比未返済額の割合)を算出すると、9.2%に達しているとし、これは家計融資延滞率の22倍に達すると強調した。
イ議員は、学資金融資返済を6ヵ月以上延滞して信用留意情報が登録された”信用留意者”が2010年に比べて15倍に増加して、就職後の償還学資金融資を受けた卒業者3人のうち1人が償還をしないでいるのが実情であり、政府の根本的な対策を注文した。


(翻訳:みそっち)



奨学金っていうのは就職して収入が発生してから返済するようになっているのです、融資額は合計11兆6928億ウォン、このうち就職した後の返済学生ローン残高は5兆888億ウォンで636%増加した>>>とありますから就職しても返さな人が多いんですね。
韓国男子の場合兵役がありますからこの21ヶ月の間は返済の義務がないですよね、満期除隊しても就職先なんてありませんから学校に戻るんですが、このときにまた借りることもできます。学校に支払うお金は緩い条件でじゃんじゃん借りられるようになっている理由は大学を経営する側が政府に働きかけて学生の減少を食い止めようとして借りられる条件をすごく下げたからですよ。
たとえば韓国女子がニホンに遠征留学してお金をためてもそれは就職してもらったお金とは考えませんから返済しないですよ、そして就職もできないから返済が滞るというのは当然でしょ。

こんな経済モデルは朝鮮時代に原型が出来ていました。畑に植える種を借りてきて収穫したら利息をつけて返すという仕組みですが朝鮮時代は新田開拓がまったく行われなかったのですから収穫量が増えないので借りてきて植えるしか方法がなかったのです。貸す方はお役人ですがなるべくたくさん貸したいので収穫の時期になると利息はもちろん回収しますし、出来た作物を買い上げて作物の相場をどんどん上げてしまうのです。朝鮮時代には自作農というお百姓さんがほとんどいなかったこともあって、借りてきて過ごすというのがあたりまえだったのです。そして作物はじゃんじゃん吸い上げられてしまうという社会構造だったのです。
しかも当時の種籾などの貸し出し金利は10倍返しどころではありません、収穫シーズンになると全収穫量の4割というのが基本で、借金生活が続くと収穫量の7~8割が持って行かれたりしたようです。だからといって畑をすてて山に逃げ込むとそのまま追い剥ぎになったりして苦労があったみたいです。畑まで持って逃げるひとはいないので別の人が耕すのですがここでも最初のスタートは種籾を借りることです、ここで4割持っていかれる生活がまた始まるんです。(こういうところで農家の次男三男の出番です)
どうみても先細りしか思い浮かばない社会構造がいよいよ破綻するのが朝鮮末期でした。畑をすてて山に逃げ込んで焼き畑生活をしていたひとの面倒まで見ることになったのがニホンの統治でしたよ
ところが貸していたほうはそうではありませんでした。朝鮮政府の瓦解からはお役人がそのまま地方での金貸しになったのです、というとちょっとちがうんですが地主身分がニホン統治時代を過ぎても延々と残っていたんですね、地域社会の中で借金をして暮らす人たちは借りることを何とも思っていません、当然のことと考えるんです。

朝鮮のことわざがいくつもありますが、”自分の食えない飯には灰をいれる”とか”川に落ちた犬は棒で叩け”とかあります、これって地主のひとたちの言葉ですからね、そう考えると妙に納得できませんか? こうしたことわざは食べ物に事欠いていた貧乏人から出た言葉ではありませんよ。

焼き畑生活をしていた朝鮮人がいなくなったのはようやく1970年代になってからでした。そういうひとたちには学校とが納税や兵役といった義務がないですよね、そのままの感覚で現代にも暮らしている国がすぐそこにあるということなんです


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