戒厳令 韓国では割と有名な写真
韓国人の考える'戒厳令'
ハングルで読み解く'戒厳''戒厳令'とは?
あの戦車の前に立ちはだかるのは韓国人?
[ソウルミーナ]韓国野党党首チュ・ミヘみんなの民主党代表による”戒厳令あるんじゃね”説が大きく報道されたことで、すでに首都防衛第5戦車師団と第71装甲師団に待機命令が出たとか、教育大隊で大規模な人事異動があったとか、陸軍はすでに青瓦台周辺への配備計画を提出しているやら韓国の空軍輸送機ではVIPが乗るには役不足であるとか。あるいは大統領の海外脱出は金浦空港発のTAA航空機が使われるとか平沢の米軍基地から米軍機でグアムに向かうやら、やっぱりハワイだろという分析が出てみたりという混乱した状況が錯綜しているわけです。
亡命といえば1960年5月李承晩のハワイ亡命ばかりが有名ですが、元来政変が起きると韓国人(朝鮮人)はニホンを目指すことが多かったようです。そんなわけで、日中韓首脳会談の開かれる東京でそのままニホン政府に亡命しちゃうなどの憶測も流れるなど裏付けのないハナシばかりが前のめりに出てきているわけですが、亡命よりも先にやるであろうというのが今回の戒厳令なわけです
国立国語院標準国語大辞典では'戒厳(戒嚴)'を次のように説明している。
大韓民国は、合計8回の事例がある。
'戒厳令(戒嚴令)'は'大統領が戒厳の実施を宣言する命令'を意味する。大統領が発揮できる固有権限であり、緊急命令権だ。
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憲法77条1項では、戒厳態勢について'大統領は、戦時、事変またはこれに準ずる国家非常事態において、兵力で軍事上の必要に応じたり、公共の安寧秩序を維持する必要があるときは、法律が定めるところにより戒厳を宣布できる'と規定している。
チュ・ミヘみんなの民主党代表は、18日午前、ソウル汝矣島(ヨイド)の国会で開かれた最高委員会議で"朴槿恵(パク・クンヘ)大統領が国民と戦うのに腹をくくった"とし、"最終的に戒厳令の準備までしているという情報も流れている"と主張した。
チュ代表の発言で波紋が大きくなると、国防部は同日午前、"戒厳令みたいな状況はないだろう"と直ちに明らかにした。 ムン・サンギュン国防部報道官は担当記者たちとの懇談会後の記者たちの関連質問に"仮定を前提にお答えすることは難しく、そんな状況はないと考えられる"と答弁した。
チョン報道官は"第1野党の責任ある指導者がいうにはあまりにも無責任な政治的扇動"と指摘した後、"これ以上社会混乱をあおる発言は自制してくださってほしい"と要求した。
大韓民国建国初期に国家的な非常事態が発生した時に宣言された戒厳令は、6・25朝鮮戦争後、近現代史の屈曲が始まる1960年から政治的に混乱が加重される時に発揮された。 最も代表的な戒厳令の事例を挙げると、次のようだ。
1960年4月19日、李承晩(イ・スンマン)大統領は学生運動の全国的な拡散で4・19革命が起きると、戒厳令を宣布、デモ鎮圧に乗り出した。
1960年4月19日、李承晩(イ・スンマン)大統領は学生運動の全国的な拡散で4・19革命が起きると、戒厳令を宣布、デモ鎮圧に乗り出した。
朴正熙(パク・チョンヒ)大統領の死去後、新軍部勢力が政権を掌握すると、1980年5月15日、これに反対するソウル地域の大学生らを中心に学生デモが勃発した。 新軍部は、これを阻止するための目的で二日後に戒厳令を宣布して鎮圧に乗り出した。
(まとめ:みそっち)
あの中国天安門は韓国ソウルだったんですね、記憶をすり替えることが日常化することで世界の中心に位置する韓国だったり世界一優れたハングルだったりしちゃうのです。