檀園風俗図帖に良く似たお手本があった
みそっちのソウル歴史探訪 番外編⑨
耳よりな話題
檀園風俗図帖はとんだニセモノ つづき |
これね、見たことある人も多いと思いますが、実はこれまったくの出所不明な真贋論争さえ出てくるしろものなのです
どうでしょうか? 檀園朝鮮風俗図帖 っていうのとよく似ていませんか?
キムホンド(金弘道)檀園風俗図帖 1957年発見
キムホンド(金弘道)檀園風俗図帖 1957年発見
キムホンド(金弘道)檀園風俗図帖 1957年発見
キムホンド(金弘道)檀園風俗図帖 1957年発見
◇ ◇ ◇
似てる似てるって言ってもどっちがどっちを真似たのか ってことですよね。
1960年以前には 金弘道と風俗画の合わせ技がひとつも無いのです。
一番古そうなのがこのへん ↓
このほかに 韓国古新聞ライブラリー や 帝国新聞DB にも金弘道の名前は出てきません、(このへんは初めて知るひとも多いじゃない?)
ニホン総督府が収集した金弘道の作品があります。ホンモノじゃないかどうかは見比べてからご判断ください
本物の金弘道(1745~1806頃)の描いた”闘犬図”
こんなのも描いてますね。どうでしょうタッチも違います 山水画のセンセなんです
金弘道の風俗画を描いた作品がこの世ではじめて世の中に出てきたのは1960年代になってからなのです。それ以前はお堅い 御用絵師 だったという評価を受けていたひとなのです。
それからいつの頃か ”風俗画帖” とよばれる25枚がこの世に出てきたのです。
じゃぁ総督府は国宝認定したのでしょうか?
いえいえ、1918年に発見された物だと主張されて、この世に出てきたのは1957年のことなのです。
それまで誰の目に触れることも無く存在自体が全然知られていなかったと主張するものが十分な準備期間を経てこの世に出てきたのです。 国宝になるまでは個人のものでした。もちろん国宝認定にあっては十分すぎる対価が与えられたそうです。 当時も真贋論争がありました。
曰く「どのように保存されてきたのは不明だ」「紙がニホン製のようだ」「描かれた時期がはっきりしない」「署名落款が偽造(別人)なのは歴然」「作風がちがいすぎる」「朝鮮時代の顔料とはちがう絵の具」「知事までなったひとなのに」「国王の肖像画を描くひとが身分制の時代に奴婢を描くのか」「発見までの所蔵の経緯が怪しすぎる」「墨が市販のものだ」「発見者があやしい」「絵がへたくそだ」「国宝認定が早すぎる」「25枚以外に画帖が一切ない」「ニセモノだったら朝鮮時代はどれだけ未開だったんだ」「朝鮮時代の風俗を描いた風俗画と呼ばれるものはこの25枚しかない」
1957年といえば李承晩の政権末期、選挙の不正のための費用でお金がいくらでも欲しかった時代です。そんな中に李承晩の支持者から国宝のハナシが持ち出されたのです。しかもその内容は朝鮮時代には無かった風俗ばかり、そのうえ人物の構図はニホンでも見たこと(鳥獣戯画 朝鮮風俗画譜とか)のあるようなものをモチーフにしたとしか。
現在でも手に入る朝鮮風俗画譜を見た20世紀の韓国人が誰かに描かせて落款を消しゴムで偽造して金儲けをたくらんだものが教科書に載っちったということなんじゃないかと。 そいうことです
◇ ◇ ◇
あまりにもくやしい状況だったりすると本能的に捏造するひとたちです
李将軍から400年なのに何一つ証拠が無くてあまりにも悔しくて
二ヶ月が過ぎた6月半ばになってファン大佐は結局、事件の全貌を吐露した。 "ホン某氏を通じて骨董品商シン・ヒュチョルが持っていた銃筒を買ってこれを海に落とし、発掘したように見せかけた、この過程には海軍士官学校博物館長チョ・ソンド大佐(当時すでに死亡)も関与したということ" だった。 6月18日、海軍はこれを公式発表し、学界はもちろん全国民が衝撃と恐怖に陥った。
まもなく 銃筒を売ったシン氏の家で制作時期がわからない銃筒13点と文字が刻印する道具が発見され、数日後、逮捕されたシン氏が彼の娘婿と一緒に銃筒を作って字を刻んだ後、その上に化学薬品を入れて腐食させ......
ここからシンちゃんのところからの引用です
韓国人の嘘は、基本的には、相手に害をなすため、またはお金を手に入れるための嘘です。
韓国人は自分の信じることは「絶対正しい」と信じて疑わないので、自分の意見の説得力を作り出すためには嘘をついても問題ないと思っています。
本人が言うんですから信じちゃダメなんですよ。(それもウソかもね)
鬼コロは魔法の呪文