申潤福筆 風俗圖 畵帖は1793年8月21日に描かれた説
その国宝美人画、月のカタチから描かれた年月日を推定
天文学が明らかにした「月下情人」の制作時期は?
月の形·位置を根拠に「月食のあった1793年8月21日」
[ソウルミーナ]朝鮮時代の3大風俗画家である申潤福筆 風俗圖 畵帖は、その優れた芸術性にもかかわらず、活動記録がほとんど残っておらず、残念ながら彼の作品もやはりほとんど正確な制作時期が分からない。※申潤福(シン・ユンボク)
国宝135号「惠園傳神帖」に掲載された 月下情人(월하정인)も来歴が不明な点では同じだ。※惠園傳神帖はさまざまな時期に描かれた絵30編を集めた画集
しかし天文学知識を土台に分析すれば、一対の恋人がほのかな月明かりの下に立っているこの絵の中の背景の正確な時点が分かるという主張が出てきた。
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※この作品が発見された経緯は不明だ。統治期の日帝による朝鮮美術品供出の眼を逃れ、ニホンへ流出されたものを1930年に澗松美術館の設立者である澗松全鎣弼が、ニホンの大阪のある古美術商から再購入し、新たに表装したモノと主張されるが記憶はあいまいだ。つまり作品だけが1930年代のある日に突如大阪の美術商の店頭に登場するとその美術性や真贋は一切議論されることなく歴史の激動に忘れ去られ、1970年になって再び澗松美術館の鑑定によって韓国の国宝に指定されたのである。
当時(朴正煕の頃)、朝鮮の美人画に芸術性があることを目論んだ澗松美術館がでっち上げた偽画家+作品とされる分析さえも出ている。
美人画の鑑定は天文宇宙科学科の教授にお任せ
2日、忠南(チュンナム)大学天文宇宙科学科の李・テヒョン兼任教授によると、「月下正人」の中の「月」の形と位置などを根拠に推定した結果、この絵は1793年8月21日夜11時50分頃に描かれたものだと言う。
※理科年表を探して過去の月食の項目を見るまでも無くネットで調べれば過去の何時に月食があったのかは小学生でも調べることが出来るイイ時代だなぁ。
▲「月下町人」に登場する月の位置推定図>1784年8月30日、あるいは1793年8月21日と推定した。
最初の手がかりは絵の中の月の凸面が上を向いているという点だ。 1ヵ月周期で月が満ち欠けする過程では決して見られない現象だ。
月が昇る夜に太陽が地平線の下にあるため、太陽から光を受けて反射する月の凸部も下を向くしかない。 したがって、絵の中の月の形は月が地球の影に隠れる月食がある時だけ可能だ。
夜三景:一晩を五更に分けた第三部分。よって夜11時から夜明けの1時の間
また、絵の中の文を読んでみると、時間帯が「夜三景」と書かれている。 これは夜12時前後の「子の刻」のこと。 月食が起きる日は必ず満月が昇る日であり、満月は寝る頃に一番空高く昇る。 それでも絵の中の月がやっと軒の近くにかかっているということは、月の南中高度が低い夏という意味だ。
月食には月が地球の影に完全に隠れる皆既月食と一部だけが蚕食される部分月食の2種類がある。 夏の真夜中に繰り広げられる皆既月食は月の左側から遮り始め右側に進行するため「月下町人」属の月形は不可能だ。
このような推定に基づき、イ教授は申潤福(シン·ユンボク)が活動したと推定される18世紀半ばから19世紀半ばまでの約100年の間にあった、ソウルで観測可能な部分月食に対する記録を調査した。
その結果、1784年8月30日(正祖9年、申潤福26歳)と1793年8月21日(正祖18年、申潤福35歳)の2度の部分月食があったことが確認された。
しかし、1784年の場合、8月29日から31日までソウル地域に3日間雨が降ったという記録が残っている。 月食が現れても観察できなかったという話だ。
一方、1793年8月21日(旧暦7月15日)には午後に雨が止み、月食観測が可能だった。 「承政院日記」にも「7月丙午(15)の夜、李慶から司慶までの月食があった」と記されている。
イ教授は「『月夜密会』、『井辺夜話』など他の絵の月でも確認できるように、申潤福(シン・ユンボク)は事実と無関係な想像の月を描かなかっただろう」とし「特に『月下情人』の上に凸凹した月は日常ではほとんど見られないだけに、任意でそのような月を描いたとは考えられない」と説明した。
1930年代にニホンの美術商から買い戻したなんていうのも作り話かもしれません。1970年代に出てきた回想なのですから。それ以降どこに保管されていたのかも不明です。つまりいきなり1970年代に登場してすぐに国宝に認定されたことだって可能性があるのです。
潤松美術館にはこのような経歴を持つ美術品がたくさんあるといいます。個人蔵なので鑑定を受けないし、美人画が高く売れると知って、ニホン統治時代の朝鮮土産製造(偽美術品製造販売卸売り業)を目論んだのが潤松美術館と名前を変えて残っているのです。その美術館のお仕事は美術品の復元と鑑定ですから、自分のところで描かせた絵に「これホンモノ」っとお墨付きを与えて、商売になっちゃうという製作・鑑定・販売、という手法ですね。明治・大正のころのニホンの美術全集を写しながら、その当時ありもしない顔料を使ってみたりするのが特徴です。
関連過去カキコ:それは当時使われていない顔料で描かれている
それでも国のお墨付きですから国宝って誰も疑わないのです。国民もバカですから
そしていつの世にも必ず出てくる真贋論争にもこうして対処します。「ニセモノだ」「ホンモノだ」という2つの意見に「これは月食の形から分析すると35歳の時の作品だ」が加わると真贋論争なんてどこかに消し飛んじゃうというわけです。
あの国では「韓国にも美人画があるニダ」ということを識字率の低い国民に広く知らしめることがとっても重要なことだとわかっているんです。そして、美術館の個人蔵なので再鑑定+学術的調査なんて手出しが出来ないようになっているし、ガラス越しに薄暗いライトで見てくださいということになっています。
こうした実在すら疑われる画家と作品をニホンに紹介するのは韓国人の大学教授の役目と決まっているんですが、たまにニホンの大学教授でも同じようなことをして実際にどのくらいご利益を受けているのか分かりませんが、きっと楽しいソウルの夜を満喫なさったりするのでしょう。