minaQのつぶやき 네토미나

嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

空から見た台風被害をちょっとだけ

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台風一過のツメ跡

ゴミの山に泥水  半島のあっち側に集中した被害にお片付けは手付かず
塩田とかは完全復旧の見通し無し 塩田農家は”中国産精製塩” の輸入でとりあえず

えぇ~


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[ソウルミーナ]台風ソーリックは内陸に到着しては幸い、力が抜けて大きな被害を与えませんでしたが、海に滞在する間、済州(チェジュ)や全羅南道海岸地方に大きな被害を与えました。

台風'ソーリック'が上陸した全羅南道(チョルラナムド)の甫吉島。アワビ養殖場はもつれてひっくり返り、修羅場になりました。固縛が解かれた養殖施設が海岸沿いに押されてきて転がっています。


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漁民らが復旧に乗り出したが、難しそうに見えます。

秋夕(チュソク、旧盆)を控えて青天の霹靂を迎えたこれらには壊れた養殖道具を片付けるのも大変なことになりました。



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秒速37メートルで、内陸を襲った台風'ソーリック'は防波堤もばらばらにしました。
船路を知らせていた灯台はあっさりと水の中に没してしまいました。

被害は海沿いに広がっています、上陸地点となった全羅南道では代表的産業である塩田は壊滅的ダメージを受けています。


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高い上空から見た時は何かと思ったが、よく見ると、泥水になった塩田です。

泥水を掃き捨ててはいますが、あの広い塩畑をいつ全部整理できるか心配です。


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倒れた道路標識、壊れた海岸道路も目に付きます。電信柱は選ばれたまま、倒れていて、ショベルカーが土砂崩れにより流さたれた岩を片付けしています。


やっと修復された道路にも台風ソ―リックの痕が残っています。工場の屋根はしわくちゃしていて、飛ばされた屋根の破片があちこちに散らばっています。

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ビニールハウスだけでなく、住宅の屋根も飛んでやっと修理を開始しました。

首がぽきんと折れて、二つに割れた恐竜の造形物とはまだ水浸しの田畑、収穫を目前にして力なく倒れた空も、台風ソーリックが残した傷です。


(ソウル/みそっち)



朝鮮時代って台風の記録が無いんですよ。朝鮮王朝実記には、雨が降った風が吹いたというのはあるんですが、それがあっちからやってきてどこかに去っていったとは考えなかったようなのです。とかく、朝鮮は記録や文書が残る中央集権社会だと言い張る韓国型社会ですが、現実ではどうやら丸っきり違うのです。

ハナシが飛躍しますが、Wikiによれば ”中央集権(ちゅうおうしゅうけん、英語: centralization)とは. 狭義では、行政や政治において、権限と財源が中央政府(国家政府)に一元化されている形態。 広義では情報収集と決定権が本社(本部)に一元化されている組織” とあるんですが、行政や政治において、権限と財源が中央政府>>>>このへんが誤解されているんですよね。
税金は中央に集まる前に地方役人に分配されちゃうわけなんですよ。そいじゃあそういうのを取り締まる御触れが出るのかというと、そういう事が無いんですね。でもそういうお役所はあるんですが。
そいでも地方の役人は中央から派遣されるんでしょ? ええ建前はそうなんですが、朝鮮時代の土地支配は源頼朝の幕府以前の土地支配に似ているとでも言えるでしょうか。代わりに収税する官職はあっても直接支配しないで間にいくつもお役人がいてそれぞれが好き勝手に持っていくから漢城まで届かないのです。
そういうわけで朝鮮朝廷はとても貧乏でした。

よく ”朝鮮は農業国だった” というおバカさんがいますが、工業国じゃないし交易国でもないから農業国だろう>>>っていうように分類しちゃっただけなんですよ。
朝鮮は雑業国とでも言っておけばいいと思いますよ。
年貢とかはどうしたのだろう?>>>>そういうものじゃないのです。 年貢だからコメを植えて収穫していたなんていうのは江戸時代の吉宗の時代を想像しながら朝鮮社会を解説しようとするからそうなっちゃうだけで、朝鮮時代の農業生産のうち石高(こくだか)でコメは17~23%程度だったんですよ。 あとは小鳥のエサや箒の先っちょのつぶつぶのようなものを煮て食べていたのです。農業生産がそうですから、人口なんてものが増えないわけで、 いえいえハナシを戻しますが。

朝鮮時代には道路がないし街道も連絡網もありませんでしたから、釜山から陸路で漢陽(ソウル)を目指した明治時代のニホンの人は徒歩旅行でとても苦労したのです。
これがニホンの手にかかると瞬く間にひとの歩く道路が作られたなんていうのは韓国ではタブーなので、駅とか馬とかを課税のように用意させたなんて文字列まで最近では主張されていたりします。
※街道が整備されていなかったことを知った朝鮮研究家らは ”狼煙台” が活用されて歩くよりも早く情報伝達が行われた。とか言い出している

駅伝制は古代中国やモンゴル帝国、オリエントで発達した交通システム。 中国の駅伝制. 中国の駅伝の駅は馬、伝は車を乗り継ぐ場所の意味で、戦国時代に始まり、秦・漢帝国で発達し、隋・唐時代にも盛んに用いられた。

「こんな制度があったはずだ」「もっと素晴らしい制度もあったハズだ」と思い浮かべることが韓国の学者の仕事なので、「朝鮮八道で京畿とか言うのだから道が整備されていたハズである」ということで、道路があったことになると次に”早馬”なんてものが拵えられて、朝鮮時代劇なんかにはそんな描写も出てきますよ。
嘘っぱちなんですけどね。

ええ、ある程度のひとの往来はあったようです。でも旅籠なんてものは無いし、宿場町なんてものもありゃしません。んでも朝鮮時代劇には宿場町や旅籠や飲食店まで登場しているんです。そんなものは遺構も見つかってないんですけどね。

続きはまたどこかで


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