妓生までが「万歳」がなんか変
妓生までが「万歳」を叫んだ三一運動の主権意識
▲1919年3月29日、水原鍾路通りでギムヒャンファが率いた30人余りの妓生が独立万歳を叫んで横を行進した。33人のうち19人は10代だった。
3・1運動当時、各地の妓生が街に出てきた理由
日帝強占期に見番(日帝強占期の寄生組合)に所属していた妓女たちも、妓生組合を通じて組織的で体系的なデモを展開した。 3·1独立運動当時、万歳デモに積極的に参加した妓生は、様々な芸術的機能と学識を持つ正統的な芸妓に該当する女性で、当時 "思想妓生" と呼ばれた。
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あんまり妓生キーセンと呼ばれると韓国の伝統産業みたいで恥ずかしいニダ、この写真は女学生ってことにしよう。
“3・1運動” 写真の女性は妓生ではなく女学生
1919年3・1運動当時、女性たちのデモ参加を見せる史料の一つが、万歳を叫びながら電車道を行進する女性たちの写真だ。この写真に「妓生デモ」という名前がついたのは、独特のヘアースタイルのためだった。しかし、写真の中の女性たちは、この日万歳デモに繰り出した京城女子高等普通学校の学生たちと見るのが妥当だ。
この写真は「朝日新聞大阪版」1919年3月5日付に初めて掲載された。新聞は、3月1日のソウルの風景を伝えながら「朝鮮人女子学生が万歳を叫びながら電車道を行進している」との写真説明を付けた。当時、電車はソウルにのみあり、写真の中のデモ隊の後方にアップスタイルの女性たちの間に、同じ韓服を着たお下げにリボンを飾った女性も混じっている。
▲ひさし髪と呼ばれる日本式ヘアースタイルのために、妓生だとの誤解を受けた京城女子高等普通学校学生たちの3・1運動初日の万歳デモ写真=資料写真
33人妓生 金のかんざし·金の指輪売って独立運動
3.1節を迎え、1919年当時の寄生身分で統営地域の万歳運動を主導した話が全国で再評価されている。特に最近日本植民地時代の女性抗日運動が全国的に見直される中、統営の妓生がかんざしと金の指輪を売って資金を調達、3千人の観客と一緒に万歳運動を広げたというのが、歴史的にも学界の注目を集めている。
統営で妓生が団体を作って万歳運動を主導したという事実は、独立万歳運動に乗り出した疑い(保安法違反)で実刑を宣告された妓生チョンホンモ(本名ジョンマクレ、当時21歳)さんとイグクフイ(本名李小仙、当時20歳)2人の日帝裁判所の1919年4月18日判決によく現れている。
当時の判決文によると、鄭氏と李氏は1919年4月2日午前10時頃、慶尚南道トンヨウングン統面妓生見番で他の寄生5人を集め、自分たちと一緒に万歳運動に参加することを示し合わせ、一緒に「妓生団」を組織した。
判決文には、「被告二人の警察官の制止に従わず先頭から数千人の観客と一緒に朝鮮独立万歳を叫んで観客と一緒にデモ運動をして治安を妨害した」と記されている
(ソウル/みそっち)