ソウル白黒写真と現在を比べり
ソウル ちょっと古い写真と最近のストリートビュー
南大門市場の中央通り
南大門市場の路地 白黒写真は1972年というから50年前だ。真ん中の写真は1980年代という。道路の正面にある角のとれた4階建てビルが同じで、それ以外は建て替えられたりしている。今年はコロナで人通りがほとんど無い。
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ここはほぼ同じところから逆側を写したようす。店先のテントは半世紀経っても韓国人の発想が変わらないことを示しているようだ。
南大門市場というのは南大門の城内の東側に発達した商店街で、その場所は元々朝鮮時代中期の大同法によってそれまでの税だった租・庸・調のうち現物であるコメや布を集めておく収税物品倉庫があったところでした。朝鮮時代末期に李完用とその家族がすでに使われていなかった木造倉庫跡地の空き地を商人に有料で貸したことで商店街が形成されたと言われています。しかし倉庫は1920年の火事で焼け落ち、ニホン総督府が韓国人に使える市場として整備しました。
このときに公衆便所を設置したことに韓国人が反発したりもしました。朝鮮戦争時に全焼し、その後もたびたび全焼したり再建されながら現在に至ります。このうち、低層の商店街は火事の被害を受けなかった商店で、火事で焼けた方は3階建てのデパートになっています。いずれも商人連合会に加入した商店主ばかりなので、コロナ事態でも明洞のような貸店舗の貼り紙は貼ってありません。
新世界百貨店
新世界百貨店はニホン統治時代の1930年に三越デパート京城店として開店した。アメリカ軍政期をへて朝鮮戦争中には米軍のPXとして使用された、1960年代からはいろいろ持ち主が変わり現在に至っている
1972年頃の写真には歩道橋が設置されている。歩行者橋がとてもめずらしく行列が出来て人大勢が並んでいる 今は撤去され跡形もない
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南大門のむかしの様子
こっちは東大門
1970年のある日、明洞前の市電通り
コロナ以降人通りがすっかりなくなった明洞の入り口 2022.07
そういえば世宗大通りは西側の半分6車線が公園になってしまいました あのT34が行進した石畳の道は公園になってしまったのです まぁセヲル号などのようにデモ隊が毎日使うので道路じゃなくて公園にしちゃったのはイイ考えかも
続きはまたいつか