光州の30周年だそうです ナニソレ?
[1980年 5月戒厳軍が進入している光州市]
光州民主化運動につきましては、みんなよく知っておられるようだが、それでも簡単に説明しようと思います。
光州民主化運動の火種は、事態の発生の1年前の1979年にさかのぼるんです。
朴正煕大統領が18年間の独裁終わりに1979年10月26日、側近によって暗殺を受けることになるでしょう。
国民は、長期独裁の終わりについに夢のような民主主義の時代がやと思ったが、再び軍部の独裁の下に入る状況になると街に出ることになります。
最初は1980年5月15日、ソウル駅に数万人が集まってデモを繰り広げては、事態の推移を見守ろうという主張が説得力を得て解散します。
しかし、新軍部は2日後の5月17日よりもむしろ、戒厳令を全国に拡大してしまった。
その当時の現場を写真で紹介シルカヨ?
記事の上部にある最初の写真は、 戒厳軍が進入している光州市内ですが、当時は、光州民主化運動を光州'騒乱'や群集のデモなどと表現したのです。
騒乱(骚扰)の辞書的意味は'すべての人が持って立って暴行脅迫をすることで、一地方の公共の秩序を乱すようにする行為'ですが 。
今とは全然違う見方で解釈したのを見られます。5.18が現在のような『民主化運動』で規定されたのは1988年の第6共和国発足直後でしょ。
[1980年5月戒厳軍が警戒している光州市街地]
上の写真では、戒厳軍が通りを遮断したことを確認することがありますが、市民たちは戒厳軍に向かって武器や車両などを奪取しながら闘争をボルヨトダプニダ最後の写真の通りを埋め尽くした群集を見たら、すでに31年が流れたが、民主主義のその日の喊声がまだ聞こえるようですね。
[1980年5月。、抗争している市民たち]
ふぅ~~ん ニホンだとソアラ2800GTとかセリカXXが発売されたりして そういう頃ですよね たぶん;; その頃に戦車で市民をひき殺した兵隊さんもとっくに“悪いオジサン”になってることでしょう。 写真が白黒なのも時代を感じますが
いったいどこの20世紀なんでしょうね