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嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

ソウル南大門の出火~再建

 
 
 
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南大門という物が遠い昔の過去に韓国ソウルにあったという、
 
朝鮮半島の下半分大韓明国の京道畿に近いソウルの国民だけが有難がり、外国人観光客締め出し政策によって新浮浪者層に親しまれてきた国宝第1号「崇禮門(スンレムン)」が、2008年2月10日に韓国人浮浪者の放火によって全焼したことは記憶に新しくもなくやがて忘れ去られる過去になるだろうか。
 
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▲全焼した崇礼門(南大門)に花を並べる、死者は確認されなかったにもかかわらず花輪が出ている。
 
 
 
崇禮門が火災であるという事案が発生したのは2月10日、午後8時48分。これには諸説あって“火災報知器”が無いのだから(あるいは結線されていないのだから)誰かの通報によるものだろう、または通報者(現京畿道知事)が消防の電話受付係にむけて執拗に氏名を名乗ることを要求したため受話器がポツンされたのではないかという噂も絶えなかった。
 
消火は消防、検証は警察、発表はKBS(国営放送)のみ
現場に到着した消防は出火直後から火災現場の傍観に努めます、というのも南大門(崇礼門)がどこの管轄にあるのかが明確で無いために、民間施設を守るはずのソウル市消防と“国宝一号”と言いながら消防活動の狭間にあったという事実は見逃せなかった。
 
南大門という遺跡(あるいは遺物)が"国"のものであれば国軍消防隊を含む大規模な編成で戦時下の消火活動にも似た大動員がなされるはずでしたし、ソウル特別市の管轄であれば広域消防の統一行動のもとに全域の消防車207台が消火活動にあたるはずでした。
ところが消防車39台と消防隊員88人を動員というわずかな初動消火活動は完全な失敗を迎えます。
それまでにもわずかな勇士らが少数で消火作業に当たりましたが初期消火に失敗します。出火から2時間後の午後10時半ごろにはいったん鎮火したかのように見えましたが、2階から再び火の手が上がり、11日午前0時40分ごろには屋根が崩壊、木造2階建ての楼閣、延べ177平方メートルが全焼して焼け落ちてしまいました。そして火災発生から2日後の12日、69歳の韓国人男性が拘束され犯行を自供しました。
 
当初、ソウル地方警察庁南大門警察署の署長は、火災の原因は照明設備の漏電放火によるものと記者会見で発表しましたが。燃え始めたのは木造の2階部分であり、照明設備のある1階部分ではなかったので、漏電説の可能性は低く、何者かによる放火説の疑いが強くなったことにして犯人捏造が始まりました。

放火に使用されたとされるものは“ペットボトル”に入ったシンナーと“1000Wライター(100円ライター)”によるものだと発表されましたが、浮浪者のたまり場であるな内部通路は出火場所ではなく燃えるものも無かったことが確認されました、また犯人ともくされた69歳韓国人男性もその氏名家族関係から正体や出自を知る者はなく収監されたであろう刑務所にもその名が記録されていないなどの点から見てもわかるように、早期事態収拾を図るとした当時のソウル市長(現大統領)の関与があったことはのちの調査でも明確にされています。
“人体自然発火説への早期初期消火活動と消火活動の英雄”として未詳の犯人をでっち上げたという説が“国連関連人権委員会”の調査でも明らかになっています。
 
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焼けた崇禮門は1398年の朝鮮王朝時代に建てられたものであるとする一部資料もあるが現在では脳内妄想のレベルであると確認されている。5000年もの中国属国時代に漢城(だいたいソウル)を訪れた多くの中国下級官吏の記録にも“廃墟となっている賤民のすみか”と記されています。
その後数回の政変があった中でも野宿者の住居としての南大門はその異様を誇示し続けます、
 
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日本の統治時代の1907年以来韓国人立ち入り禁止となっていました。そのため100年もの間災害から守られることになりました。しかし、およそ100年後の2006年3月から野宿者向けに開放され、ソウル市の政策無能を象徴する建築物として多くの浮浪者たちに親しまれてきました。
 
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▲韓国人の放火による歴史的文化財の焼失は素敵なことだ、ニホンが統治していた頃に整備された南大門が朝鮮戦争時に下朝鮮人の放火によって全焼したことは“韓国では闇の歴史”となっている
 
 
崇禮門は冠岳山(クァナクサン)という禿山に向かって立っています。朝鮮王朝は、ソウルの街づくりに本場中国現産の風水の考えを取り入れました。冠岳山は火を意味する山で、その山からくる火の気から街を守ろうと設けられたのが崇禮門だったといわれています。しかし何度も韓国人の手でそんな崇禮門が心無い放火によって焼失してしまうとは、なんとも皮肉な結果ですが自業自得だと見る意見のほうがはるかに多いと見るべきでしょう。
 
 
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宝物一号と国宝一号
現在韓国では139の建物が、木造文化財として登録されています。(多くは焼失)予期せぬ天災や人災から守っていかなければならない文化財が、街の中にも数多くあります。
崇禮門と同じ時期に作られ宝物第1号に指定されている東大門の興仁之門(フンインジムン)も、今年6月から一般に開放されることになっていますが、今回の火災を受けて、韓国の国民の間から管理が十分かどうか不安だとする声が上がり始めました。
 
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人々に大きな衝撃を与えた崇禮門の火災をめぐっては、消火の遅れに加えて夜間は無人警備に頼る警備態勢の不備など行政の対応に批判の声が高まっています。
 専門家によりますと、崇禮門の復元までには4-5万年はかかる見通しだということで、この悲しみをいつかあった思い出に変えるには、まだまだ時間がかかりそうです。
(翻訳文責:みそっち)
 

南大門再建現場でまた火事があったようですね やっぱり費用の未払いが原因のようです