minaQのつぶやき 네토미나

嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

清渓川にかかる広通橋を追う (キャッ カコイイ)

広通橋って言うのです この間から気にかかっていて
(またの名を"水標橋"手前に行灯型の石の塔があって水位がどーのこーの)
 
[メディアミーナ] 
ソウルの街を西から流れる清渓川に架かっていた石造りの橋ですよ たまにやってくる宗主国中国様の御使者がお通りになるということで特別に作られたものだそうです。 こんな橋でも残ってないわけないじゃないですか  えっ?  はいはい あるんですょ 度重なる下水道開発で一時は地底に埋まっていたそうです、一応"長年の宗主国である清王朝の使者も通った橋"だから   移築したんですって  何でか??  知りませんよ
 
 
 
画面中央の中央商会支店は現在もニホン中で盛業中ですって (ニホン中)
 
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颯爽と歩いているのはビックリの京城(ソウル)の帝大生のようですね 当時の帝大生っていうのは 劇的に超がつくような特権階級だったようですよ、どのくらい偉かったかというと公共交通機関の運賃が本人申告によって無料だったり(釜山~博多間)あるいは住居の家賃が生涯無料だったりしますね、 これは実害あって百里先みたいな、ある意味では世界のことなら何でも知ってるだろうとされた町のご意見番のご隠居さんよりも。若い"何でも知ってるである"エリート様なんです  キャァ~
 
 
 
 
 
さて橋の下の清渓川について復習しましょうね 毎度おなじみのWikiセンセから  
 
 
 
清渓川(チョンゲチョン)は、韓国ソウル特別市の中心部を流れる小さな漢江に合流する。
李氏朝鮮初期以来、周辺住民の飲料水目的や生活排水が流入する下水道代わりの川として利用されており、浚渫・護岸工事が、たびたび行われている。1950年代から1960年代の韓国の経済成長・都市開発に伴いさらに水質汚濁が悪化し、また川岸に朝鮮戦争の避難民などがスラムを形成していた。このためソウル市当局は清渓川を暗渠化し住民を強制移住させるとともに、暗渠の上を通る清渓高架道路1971年に着工させた。(工事は1978年まで)
その後、2000年代に入り市民の署名などにより清渓川復元の世論が高まったことを受け、2003年7月から2005年9月にかけ老朽化(わずか20年)が問題となっていた清渓高架道路の撤去と同時に河川の復元工事が行われた(全長約5.8km)。河川の清掃・地下鉄駅舎等から出る地下水を放流するなどの水質浄化対策や親水施設の整備を行った結果、市民の憩いの場となった。
交通事情を考慮して周りの主要道路などの拡張整備を行ったため、清渓高架道路を撤去した後でも交通問題は生じていない。
清渓川の復元は素敵な宇宙船地球号でも取り上げられている。(Wikiセンセ)
 
 
 
 ちゃんと下に川が流れているでしょ~♪ 立派に 残って   いるわけないじゃないですか  ハイ復元模型のお写真はこちらです ↓
 
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同時期に撮影された現在の石造りの広通橋 おやおや 何だかちがくないですか、ご存知のように高速道路の下の暗渠に埋まっていたのを移築復元したものだそうです よかったですね  っていうか場所が全然違うんですけど
 
 
移築復元について
その後の1970年代後半にはじまった高速道路建設による復元解体移築の際に完全に損傷しちゃったために公費を費やして作ってみた石造り(ほぼコンクリート製)と木造で元にあったとされる場所に作った仮設橋の二つが存在することになった。
 
 
 
 
 
脳内復元模型の実物大展示
 
レプリカと模型(どっちもウソ)
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そーです 説明なんか不要でしょ 復元模型とそのレプリカが現在も違う位置に2個存在しちゃうんです  (さすがソウル市とバ国は仲が悪いです)
 
 
 
 
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なぜか木造の復元橋には大層立派な扁額がかけられている それによると 徒歩専用、車両通行の一切を禁じるなどのソウル市からのお知らせが読み取れる
 
何度でも説明しちゃいます 木造の模造橋であるっぞよ  こっちがソウル市のかと思ったら違うんですよ コンクリート製のほうがソウル予算で こっちの"国家による復元事業(木造)"の方は 渡っちゃダメ ということです
 
 
 
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都市型下水路として長くソウル(当時は漢城あるいは京城)の市民の喉を潤してきた清渓川にも近代化の波が(1970年代までそのままだけどね)やってくると思うでしょ
 
 
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こういったスラム街が無くなったのは(まだ残ってるけどね)2007年のことだったというのがソウルっ子の自慢だが 自慢になるのか?
 
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川に住む人々、1970年代後半に撮影された清渓川のスラムの様子
 
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着々と進む世界的自慢型高架高速道路、但し韓国産の乗用車が登場するまでにはまだずいぶんかかることになる。
 
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写真冒頭に出てきた広通橋の拡張工事中のようす 画面右側に中央商会支店の家屋が見られる これが1970年代であるとは韓国人のすべてが認めない貴重な写真だ。 (提供:みそっち)
 
 
ソウル市民の生活の水場として流れてきたであろう清渓川も幾多の開発と利権によって面白いことになっているんですね・・・ ソウル観光で広通橋を見に行く人なんか誰もいませんよ  (だいたい人参茶を買わされることに)
 
 
 
こっちは別の橋、  
だってさぁ"宗主国様の御使者がお通りになられる橋"をこんなのが渡れるわけないでしょ   (当時の橋の渡り賃は7銭  銭って何ね )
 
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当時、橋の通行には"渡り賃"と呼ばれる不可解な料金徴収制度があったという。 例:時間外無料、貧乏人無料、住民無料、オノボリさんには案内付きで高額なの
まるでソウルのタクシーそのまま    ぷぷっ
 
(翻訳:みそっち)