最古の天文図発見される。
18世紀に書かれた最古の天文図が済州で発見された
既存の天文資料とは異なる視点で観測されたデータを忠実に彩色で表現
[天文ミーナ] 朝鮮後期済州で製作された天文図が初めて発掘され、関連学界の関心を集めている。
漢拏山生態文化研究所(所長ガンムンギュ)付設済州星文化研究会(会長オ·サンパク)は、済州(チェジュ)で製作されて、民間で使用された朝鮮後期の天文図を発掘したと1日明らかにした。
▲済州で発掘された朝鮮後期天文図 漢拏山生態文化研究所付設済州星文化研究会(会長オサンハク)が発掘した朝鮮後期の天文図。済州市三陽洞済州民俗博物館(館長ジンソンキ)が所蔵したこの天文図は横85センチ、縦75センチの大きさで1700年代に製作したものと推定される。この中心部に天上世界の宮殿に該当する紫微垣(紫微垣)、空の国の王と大臣が政事を議論する当たりの太微垣(太微垣)、空の国の市場に該当する天市垣(天市垣)が描かれており、周辺に28の数が配置されている。中心部の紫微垣の領域を表すことも、黄道印がなくて外郭に12宮と12車を配置した円がない'天象列次分野之図'に代表される朝鮮時代の天文図と型がまったく異なるものが特徴だ。
▲製作時期の決め手となる物証と伝承が一切無いながらも朝鮮時代18世紀のものだとする意見が出てきている。
朝鮮後期の1700年代に作られたものと見える天文図が済州で発掘された。 漢拏山生態文化研究所付設済州星文化研究会(会長オサンハク)は、済州市三陽洞済州民俗博物館(館長ジンソンキ)に所蔵された横85センチ、縦75センチの大きさの天文図を発掘、1日に公開した。
この天文図は中心部に天上世界の宮殿に該当する紫微垣(紫微垣)、空の国の王と大臣が政事を議論する当たりの太微垣(太微垣)、空の国の市場に該当する天市垣(天市垣)が描かれており、周辺に28の数が配置されている。
世界最古の天文図とは違う視点から書かれた星座図
'天象列次分野之図'
高句麗の天文知識に基づき、1395年(太祖4年)に完成した天文図で、 中国の南宋代につくられた〈淳祐天文図(1241年) 〉に次いで世界で2番目に古いものである。 ‘星座12種類を配列順に並べた星宿図’という意味で‘天象列次分野之図’と呼ばれた。片面に刻まれた文字数は2,932字であり、 星座は1,467個に至る。周囲には28宿の名称や赤道宿度が記されている現在国宝に認定されている写本は最近になって発見されたとされるがその真偽は定かではない。
最も特徴的な部分は、この天文図が現存ほとんどの天文タイルは完全に別の形式で描かれたというのだ。 その例として、オ会長は、中心部ジャミウォンの領域を示す円や赤道、黄道表示もなく郊外に12宮と12の車を配置した円が全く描かれていない点を挙げた。
また、既存の天文図は、地上から空を眺めた形で描かれているが、この天文図のジャミウォン、テミウォン、チョンシウォンは天上で空を眺めた時点で描かれている。 このため、28数の配置も左右方向が反転描かれているが、星座の姿はきちんと描かれている。
済州邑城と漢拏山中腹にあったチルソンデと漢拏山の新鮮伝説と老人信仰、民間の七星信仰など聖水信仰に関連する文化的背景が、この天文図の製作にも影響を及ぼしたという説明だ。
中心部の紫微垣の領域を表す部分と、黄道印がなくて外郭に12宮と12車を配置した円がないため、'天象列次分野之図'に代表される朝鮮時代の天文図と型がまったく異なるものが特徴だ。
地上で空を見下ろした視点で描いた一般的な天文図とは異なり、紫微垣、太微垣、天市垣を天上で空を見下ろした視点で描いて現存する天文図と区別される。
韓紙に稚拙な筆写をしたこの天文図は星座を区別するため、彩色を加味したが、タイトル、作者、製作年などは記録されていない。
この天文図を所蔵してきたジウソンキ館長は天文図が1700年代に制作されたものと推定した。 オサンハク、済州(チェジュ)地理学科教授は"この天文図は民間の知識人が天文学習や空の星座を崇拝する星宿信仰に活用する目的で天文書籍の星座を再配置して描いたものとみられる"、制作方式が特徴で、貴重な資料だと評価した。
(天文を良く知らない ネト美奈が加筆しました。)
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質問:冬の代表的星座であるオリオン座は夏になるとどこにありますか?
回答:南半球のオーストラリアに行けば見られます、真夏でもオススメ
正解:ソウルのある北半球ではオリオン座は真夏には昼間、上空にあります。