minaQのつぶやき 네토미나

嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

和菓子..起源を主張してるのか?

 
 
 
みそっちのちょっとソウル日 
              お菓子探訪②
 
 
イメージ 3[モーニングミーナ] ニホンには豆大福とか塩大福とかイチゴ大福とか(大福大好き)そういうものがいっぱいあって甘党にはパラダイスですよね、大手製パンメーカーでも競って和菓子を出していますよ。
もうコンビニで何でも買えちゃう時代ですからね。っとは言っても街中の和菓子屋さんもがんばっていますね お赤飯を頼むのは近所の和菓子屋さんっていうのがお約束だったりしますから。
 
そのいっぽうで2代目が洋菓子なんか修行しちゃってなんかもう、"パイぐるみ十勝産大豆使用なんとか・・"なんて平気でありますからね。
 
さて今日はソウルの和菓子事情・・・じゃなくて 韓菓子事情についてちょっとだけ^^v
 
韓国人の和菓子愛もどうぞ
終わりまでよむとあなたも韓菓子通になれるかも
 
 
 
 
我が国最初のお菓子、韓菓
 
 
テレビを見る時、夕食を食べる前小腹がすいた時、友達が訪問をした時など甘くて奇特な味(?)が引く時に!私たちはお菓子を食べる。西洋ではクッキー、ケーキ、ビスケットなどを、韓国ではお菓子と餅をよく食べます。過去には韓国伝統の菓子である韓菓をよく食べたという。
 
 
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韓菓
 
 
韓菓とすれば我々はよく伝統的な韓菓の一種であるお菓子を思い出したりしますが事前的には我が国固有の伝統菓子類をひっくるめていう。)は[三国遺事の'金庾信元'にも見られるほどその歴史が長くなったが、私たち国では中国仏教の導入と唐の影響でお菓子が本格的に発展したという。
※原文をそのまま訳して載せています、そのため内容はほとんどウソです
 
 
 
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韓菓の製作過程
 
 
その後高麗時代にはもち米粉で作った油蜜菓、朝鮮時代には王様のためのお菓子のほか両班の家、祝い膳に一般化したという。知って食べればなお深い味が感じられる韓国の味と趣、精神が盛り込まれたよだれを垂らすほどの伝統韓菓の中で~アササク!おいしそうな韓菓に今年の秋夕の口の中で~アササク!我が国最初の菓子である韓国のお菓子、韓菓!、秋夕を迎えて、私たちの精神が込められた伝統お菓子、韓菓について詳しく調べてみよう。
 ※原文をそのまま訳して載せています、そのため内容はほとんどウソです
 
 

我が国最初のお菓子、韓菓の歴史
 
 
三国時代や統一新羅時代で韓菓の姿を探す
 
我が国最初の菓子である韓菓の歴史は三国時代にさかのぼる。上に[三国遺事]で韓菓の由来が求められると記録されていると言ったが、詳しく説明するならばこうだ。韓菓は調子国旗水路王朝に果が除数として初めて姿を現した。その後新聞王が王妃を迎える時幣帛の品目にすでに韓菓類を作ったと推定している。また、統一新羅時代から茶を飲む風習が盛んで、これによりな茶菓さんが発達し、過整流が茶とよく合う食べ物だということに照らしてみた時、すでに三国時代から韓菓子が作られたという。
 
推定している?
 
※原文をそのまま訳して載せています、そのため内容はほとんどウソです
 
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茶菓子
 
 
 
私たちは先祖たちの生を推定することができる過去絵や書籍でこれらを推測することができる。5世紀、高句麗の舞踊塚の玄室北壁絵に画かれた主人公と僧侶の談笑の姿が描かれた絵では茶とお菓子の跡を見つけられなかった。しかし、その後東魏の高陽太守カサヒョプが530~550年頃に編纂された総合農業書である[済民手品]にはコメや蜂蜜、麦芽などを交えたお菓子の作り方が登場する。
 
1800年代末になって編纂された古文書のこと
 
※原文をそのまま訳して載せています、そのため内容はほとんどウソです
 
 
高麗時代、油蜜菓類の製造を禁止せよ! 大きな人気を得た韓菓
 
高麗時代には油蜜菓が流行した。普通、油蜜菓はお菓子(油菓)という。お菓子の材料としては小麦粉とそば粉、もち米の粉を利用するのに高麗時代にはもち米粉で作ったお菓子を好んで食べた。この油蜜菓は高麗時代にお寺でお茶文化を積極的に発展させることによって大衆に広く広がり、お茶と一緒に食べるお菓子な油蜜菓類も広く広がるようになったと伝えられている。
 
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お菓子作る過程(手順:左から右に)
 
 
 
油蜜菓は国家の重要行事だけでなく、祭祀に必須の料理になった。また、これが国内を越えて国外まで伝わったという。して元でこの油蜜菓を'高麗病(高麗餠)'としており、高麗病気を'薬果(藥菓)'と呼んで楽しんだようになったと伝えられている。
 
※原文をそのまま訳して載せています、そのため内容はほとんどウソです
 
高麗時代にこの油蜜菓類は温室、高く評価される食べ物のひとつとされてきた。しかし、これがあまりにも過度な贅沢風俗に流れると高麗粛宗22年に油蜜菓類の使用を制限する禁令まで出されたという。これで、当時の油蜜菓類がどれほど盛んに行われたのか人気を垣間見ることができる。
 
※てんぷらのような揚げ物に油を使うようになったのはポルトガルからの伝来なのでこれは創作です、カリントウ程度の歴史だと推定されています。 (油は灯火用ね)
  
※原文をそのまま訳して載せています、そのため内容はほとんどウソです
 
 
韓国人の嗜好食品として定着した朝鮮時代の韓果
 
高麗時代に続き、朝鮮時代に移ってきてからは韓菓子が韓国人の嗜好食品に確実に位置づけられ、各種宴会上など王室では陥らない行事式として使われた。その中で、特に人気があったのは油蜜菓類と甘納豆のようなお菓子という。これは庶民にも一般的に広く普及され、説、婚礼、祭祀などの料理で必ず作らなければならなかったという。
 
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祭祀膳
 
 
また、菓子製造の専門技術を持った人を招聘し、その仕事を担当するほど人気があり、代表的な食べ物として脚光を浴びた。しかし、韓菓の人気がとても高いと贅沢近い風潮につながったことを受け、戴冠・献酬(獻壽)・婚姻以外には油蜜菓を使用しないように規制し、それ以外に使用する場合には鞭を合うようにしたという。
 
  
※原文をそのまま訳して載せています、そのため内容はほとんどウソです
 

私たちのお菓子、韓菓の種類
 
 
韓菓を代表するお菓子
 
韓果とすればもっとも多く挙げて最も人気があるのがまさにこのお菓子だ。これは代表的な韓国お菓子と言われるほど、高麗時代大きな人気を呼び、貴重な食べ物とされてきた。お菓子はもち米粉に酒を入れてこねて形を作って乾燥させた後、油に負けて水あめや蜂蜜を着せて生気をとり戻して豆などその他の古物をつけたものをいう。
 
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伝統韓菓工場
 
 
お菓子は大きさや形の製造する方法によって名前が変わりますが、形によっては江汀類、山紫類、ビンサグヮ類、ガムサグヮ類、開いたリンゴ類などに分類する。大きいのは演算子、指の太さは強精、小さいパッアルをするだけに切って乾かして揚げてから飴で団結して刻んだものをビンサグヮ、長方形の形を作って最後をとんとんに切って乾かして油に地震のはガムサグヮ、ガムサグヮと同じ工程を経て、一度ザはちみつを塗った後、古物をつけると、ヨンサグヮという。
  
※原文をそのまま訳して載せています、そのため内容はほとんどウソです
 
誰もが好きな甘ったるい薬科
 
祭祀のときにば子供たちの手に甘やかに一つずつ握られていること、花模様の薬科だ。薬とは水飴や蜂蜜につけて使うため、甘く、老若男女、大人子供問わずたくさん利用している.我が国の宴を常例に必ず登場する食べ物だ。
小麦粉を蜂蜜と胡麻油で練ってヤクグヮパンにきれいに捉えて油に負けて作る。きれいな黄土色が出るように油に負けてシナモンパウダーを入れた水飴や蜂蜜につけて戻して朝鮮松パウダーを振り掛けて食べる。過去にはいろいろな果実の形や鳥の形で薬科を作ったが、たまったりする風習が生まれ、形が平たい薬科の姿として定着したという。
  
※原文をそのまま訳して載せています、そのため内容はほとんどウソです
 
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 蜂蜜の佃煮
 
 
 蜂蜜の佃煮にした真心の恨みや、町と
 
正課は簡単に言えば甘く煮たものである。少し知られていないかもしれないですが、いつかはおばあさんまたは母が健康に良い人参と飲ませとした甘辛い人参を食べた覚えがあるだろう。正課は高麗人参だけでなく、生姜やキキョウ、柚子、レンコンなど蜂蜜、水あめ、砂糖を入れて甘く煮たものをいう。別名前科(煎果)とも呼ばれる。
 
※原文をそのまま訳して載せています、そのため内容はほとんどウソです 
 
目で先に食べるきれいな韓菓多識
 
夜の粉、ソンフヮッカル、ゴマ粉などを炒めて乾かした粳米の粉に蜂蜜を練って入れて模様が刻まれた木茶食板に撮って作った韓菓。一口にソオク入るような大きさに見ただけでも茶食板の模様がそっくり映って食べるにはもったいないくらいとても小さくてきれいな形の多識夜茶食、送話茶食、フクイムジャ茶食、ジャプグヮ茶食などが代表的であり、高麗時代にお菓子と一緒にお茶を飲む風習で生まれな韓菓だ。
 

 
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茶食と茶食板(手順:左から右に) ※これは落雁でしょ
 
  
※原文をそのまま訳して載せています、そのため内容はほとんどウソです
 
真心として身につけて、再び形を作るスクシルグヮ
 
スクシルグヮは生室とに対する言葉で乾燥した果物や果実を煮て煮て蜂蜜やシナモンパウダーなどを入れてまた様々な形で作ったことをいう。主に、栗、ナツメといった果実を使用し、松の実を最後に掲載した花はユルラン、ゾランを言われる。これは蜂蜜につけさせて作って食べる。
 
※カビの生えるハチミツ事件として有名。朝鮮半島ではミツバチの生息に適した環境が無かったため現在でもハチミツは全量が輸入されている、おもな輸入元は中国
 
 
 
韓国のものを守れ!自負心に団結した健康なお菓子、韓菓
 
 
韓菓は高麗時代、朝鮮時代に大きな人気を得て、盛んに行われたが、1900年代に入ってからクッキー、パンなど様々な西欧の食べ物が押されて益々立つ場を失っていった。さらに、韓国伝統固有のお菓子だが、これを作る過程が複雑かつややこしいため、作る人たちも、訪れる人々も過去に比べて著しく減少している。
 
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韓菓子と贈り物セット販売
 
 
最近、祝日や祭祀など晴れの日の食事にだけやっと韓菓を見ることができるようになった。また私たちが、スーパーでよく買って食べる西洋式のお菓子に比べてみると、日常生活で韓菓を楽しむ人たちが極めて稀であり、このような点がたくさん残念だ。
"伝統は世代と世代にわたってつないでいく価値のある韓国固有の社会的な遺産である。"
私たちの伝統のものに対する自尊心で健康な韓国の伝統お菓子)を眺めてこのような認識が広まり、自分達のものを守って、自分達のものを大事にしている健康な大韓民国を夢見てピリオドを打つ。
 
  
※原文をそのまま訳して載せています、そのため内容はほとんどウソです
 
 
(翻訳:みそっち)
 
 
 
 
 


 
 
 
韓国?朝鮮時代にお菓子を食べていたという記録は無い
中国清から下賜された甘いものが唯一記録に残っているだけ
 
”誰もが懐かしい韓菓子”、こんなファンタジーは生まれたのは1980年代のこと。記録も伝承もない韓菓子という分野を開拓したのは最近のことです。
見たことのあるようなものばっかりでしょ、それもそのはず、ニホンでは和菓子職人っていうのがいますが(あだ名は大抵"まんじゅう屋")、韓国にはただの一人も存在しません、 そのいっぽうでニホン統治時代に現地で再現された和菓子という記憶がわずかに残っているために脳内起源説を主張しているというのが現実のようです。
 
 
とは言ってもまったく韓菓子が存在しないわけではありません、心の中から消し去られたものではこんなものも
 
 
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膨らませた雑穀に水あめをからめて固まらせたら包丁で切るというニホンの雷おこしにも似た"オコシ"とか
 
 
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製造途中の図、つぶつぶは粟(あわ)
 
 
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高級贈答品として重宝されている화과자(和菓子)もあります
 
 
 
 
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 笑ったら負けだからね