minaQのつぶやき 네토미나

嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

"神機箭はボクの創作ですよ 韓国オリジナルです"

 
 
宇宙ロケットの根, 神機箭
 
 
 
イメージ 2[ロケットミーナ]韓国の”宇宙ロケットの父”と呼ばれる錫(チェ・ヨンソク)教授宇宙発射体分野権威者で、韓国航空宇宙研究院で2002年から2005年まで院長に在職しながら、羅老宇宙センター建設ナロ宇宙発射体事業発足させ
 
 
 
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去る 8月 9日午後 5時大田エキスポ公園そばの甲川便でテジョン エキスポ開催 20周年紀年で神機箭打ち上げ試演会が開催された。 もう神機箭を修復して初発射してから 20年が経ったのだ.
 神機箭はどんなに発見されて復元されたことだろう?
小学校中学校学生の時から宇宙開発とロケットに関心が高かった筆者は関連本を見ながら世界最初のロケットが 1232年中国で作って使った仏画肉(火田: 火箭)の一種類であるビファチァング(飛火槍: 飛ぶ火窓)という事実が分かるようになった.

中学校の時の遠足で修学旅行を行って東洋最高の天文台という瞻星台を見ながら天文学者たちがすごく羨ましかった. 瞻星台が天文学者たちには大きい自負心になるようだったからだ.
 
瞻星台 過去カキコ ⇒  http://blogs.yahoo.co.jp/illuminann/11037002.html

 
少年ヨンソクは昔のひともロケットも作ったかもしれないと思った
一方をもっては私たちの先祖たちが中国の火箭のようなロケット火器を作ったらいくらゾッアッウルカする無茶な想像もした. うちの先祖たちが金属活字, 測雨器を作るほどに科学技術に多い関心とすぐれた才を持っていたのでロケットを作ったかも知れないという考えもして見た.
 
高等学校で歴史の時間に崔茂宣将軍が高麗言葉に中国の火薬技術者に火薬作る方法を学んで火薬武器を作って倭寇たちを撃退したということを習いながら、崔茂宣将軍がロケット火器を作ったかも知れないという気がした. そして歴史参考書で崔茂宣将軍が火筒都監で開発した火薬武器の中に中国でロケット火器だった '火箭'が見えたが名前だけ記録されていて実際に構造がロケット火器かは分かることができなかった.
 
崔茂宣将軍:韓国人にはかなり有名な将軍らしい、室町時代初期のころのひと 彼の伝記はニホン統治時代に発見された。ニホン語Wiki ⇒ ココ
 
崔茂宣将軍が作った火箭に対する研究は大学に入学した以後に本格的に始めた. 朝鮮初期の火薬武器の構造を絵とともに説明しておいた '国朝五礼序例'兵器図説を通じて我が国の場合 '火箭'はロケット火器ではなくて '神機箭'がロケット火器というのを確認するようになった. そして我が国の最初のロケット火器は '崔茂宣将軍が作った'走火(走る火)'というのも明らかにするようになった.
 
 
 
少年ヨンソクはテレビ出演のために”火箭”をつくっていた
大学 4年の間我が国のロケットの根を捜したのだ. もちろん周辺では '昔のロケット研究してどこに使う時があるのか? かえってその時間の間に他の勉強でもしなさい'と気づかった方々も多かった. しかしロケット科学者が夢である筆者には私たちのロケットの根を捜すことも一つの挑戦だと考えられた.

 
神機箭の研究は 1975年 11月歴史学会論文発表会で発表されて学術的に認定を受けたし 1986年には国際航空宇宙学会(IAF)で発表されて国際的でも認められるようになった. 神機箭研究は研究費を政府や学術団体で受けたプロジェクトでもなくて筆者の学位論文でもなかった. ただ良くてしたくて個人的に研究したことだけだ. 神機箭研究を通じて学術研究をする方法と研究過程がいくら難しなのかを学んだことは個人的に大きい所得だった.
 
アメリカ留学を終えて航空宇宙研究員でロケットを研究して 1993年大田エキスポをする時には中·所信記伝と発射台である火車を初めて修復して打ち上げ試演会を持った. これがきっかけになって映画 '神機箭'が誕生するようになった. 80億ウォンの製作コストが入って行った映画 '神機箭'のため神機箭がたくさん知られるようになった.
 
火車 火の車のこと 一般的には韓国経済を言い表すことが多い

 
93年復元なかった大神機箭と散火神機箭復元2008年から始まり、2010年完成した大神機箭復元過程で薬筒火薬を満たす研究作業は筆者が直接したなぜなら93年復元過程で多くの爆発があったがその原因をみつけなければいけないからだ。

 
 
 
大神機箭の復元過程で、神機箭の薬筒構造がノズル(Nozzle)がいない初期のロケットの形態ということと散火神機箭が世界初の2段ロケットであることが初めて発見された。  
※これは記録にも残っていない出典も明らかにされていない 彼の創作
 
そして神機箭を開発した科学技術者'朴薑'も接することになった神機箭の研究と復元を通じて習ったのは長い間地道に考えると疑問点が一つずつ解決されて良いアイデアが生じるということだ。.

 
想像で始めて偶然に捜し出して修復した私たち宇宙ロケットの根である神機箭!
去る 3月には故朴正煕大統領の指示によって 1980年初めて神機箭の模型を作って展示した幸州山城で神機箭の打ち上げ試演会を開催したしニュースを通じて神機箭の優秀性が分かるようになった方々の推薦でテジョン市が支援して試演会が成り立つようになった.

今後とも神機箭が科学の都市の大田で定期的に打ち上げされて韓国宇宙開発の夢がずっと発展するのを期待して見る.
 
 
 
(翻訳:みそっち)
 
 


 
 
過去カキコからちょっと
 
 
 
 
イメージ 2一般的にロケットは大きくするほど、作成が難しい。 特に紙で推進筒を作成した場合はなおさらである。 推進筒は、単に推進剤(黒色火薬)を入れる筒の役割だけではなく、推進剤の燃焼する際に作成し、高い圧力にも耐えなければならないからだ。
したがって、質の良い紙を作ることができる国でのみ性能の良い紙ロケットを開発することができた。 私たちの大神機箭と同規模のロケットが外国では1800年代以降に登場する。 1474年に編纂された国鳥オリェソシェの兵器図説に残っている神機箭に関する記録を見ると、次のとおりである
 
 
"火車"は、1451年文宗の時に使用していた兵器だ。 矢が最も飛ぶように発射角度を43度に合わせて一度に100個を撃つことができる。 私はこの火車を復元して大学院1年生の時の92年に初めて試してマスコミの注目を浴びた。
 
 
"神機箭"復元打ち上げ成功、
イメージ 6先祖代々の偉大な業績を再現する!
映画の中の神機箭はただ見た目だけでなく、発射まで可能な "本物の神機箭"。 6ヶ月が費やされた神機箭復元プロセスは、我々の先祖の偉大な業績を偽りではなく、事実として見せようとした製作陣のもう一つの挑戦だった。 実際神機箭復元に成功した韓国航空宇宙研究院チェヨンソク博士の積極的な協力の下、設計に美術チームは、製作に特殊な小物チームは、火薬の製造に特殊効果チームの完璧な協調体制がなされた神機箭製作過程は映画の中で世宗の秘密兵器 "神機箭"完成のために飛び込んだ人物たちの姿と似ており、興味を加える。 チェヨンソク博士は完成された神機箭を見て120%満足したという裏話。 また、実際に発射された "神機箭"の威力は<怪物>の視覚効果チームを迎え入れ、さらにアップグレードされた姿で現代の観客に新鮮な衝撃をプレゼントするだろう。
 
 
 
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神機箭は英祖4年(1728年)安城で反政府勢力を鎮圧するために使用された記録を最後にその姿を消してしまう。 神機箭完成の秘密が込められた設計図は、ドラマチックなことに、朝鮮の儀式書である "國朝五禮儀 "で発見された一時代を風靡した科学技術の産物がなぜ正式に保存されず、礼節書に隠されて降りてきたか、その疑問は解けない。
 
 
神機箭の存在と設計図は1975年に韓国航空宇宙研究院のチェヨンソク博士によって初めて、再発見され、世界宇宙港学会(IAF)から世界で現存する最古(最古)のロケット設計図に認められた。
 
"映画<神機箭>が私たちの民族の科学技術の創造性が世界的にもすぐれた民族であることをよく知ら我が国の人々に誇りを、そして青少年たちには未来の夢を植え付ける作品になることを期待している"
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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韓国航空宇宙研究院で院長をしていたがやめた後は講演活動などで大忙しらしい。
 
 
 
朝鮮時代の火箭を書き記した資料は現在では中国の戦車を例であげながら, 韓国の火車はこの架火式戦車を引き写したものにすぎないという主張が一般的でちょっと悲しいんだとか。