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嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

シルミド事件 今度は遺族が遺骨返せって

 
 
 
 
シルミド事件 死刑囚の遺骨受け取りたい裁判
 
本件は棄却する
 
 
 
 
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実尾島部隊の暴動事件/ソウル新聞フォトライブラリー

1971年8月23日午後2時15分シルミ島部隊訓練兵が奪取した泰化輸送所属キョン・キヨン5-1681バスがソウル、銅雀区(トンジャクク)、大方洞(テバンドン)柳韓洋行の前で出動した軍警と交戦終わりに街路樹に突っ込んで立ち止まっている
 
 
イメージ 3[月刊ミーナ]去る17日、ソウル高裁の法廷。 裁判長の判決に傍聴席に座った姉妹の肩がすっぽり消えた。 判決宣告後、しばらく経っても姉妹は席を離れなかった。 これらは42年前に死亡したイムソンビンさんの妹だった。

イムさんは、1968年4月空軍第2325部隊209派遣隊の部隊に選抜された。  209派遣隊は、北派特殊任務を帯びた「シルミド部隊」の別の名前だった。 過酷な訓練を受けたイム氏は、1971年8月、島を脱出した。
 
 
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▲当時を伝える新聞、武装した兵隊がバスジャックした挙句に大統領府を目がけて走り出すという前代未聞の大珍事は当初キタ朝鮮特殊部隊の侵入であると報じられた。
 
 
 
ムさんと同僚の訓練兵24人劣悪な処遇に抗議しようとバスを奪取してソウルに向かったが、意味を成すことができなかった。  3人は軍隊との交戦で死亡し、17人が自爆した。 イム氏など4人は生きたまま逮捕された。
イムさんは、哨兵を殺害した容疑で起訴され、死刑を宣告された。 続いて1972年3月、ソウル梧柳洞にある空軍部隊で国防長官命令で刑が執行された。 彼らは左胸に標的をつけたまま銃殺された。
当時の責任者のハン中佐は実尾島事件の実体を隠蔽するために、死刑執行の事実をイムさんの家族に知らせなかった。 さらに、イムさんの遺体を適当に埋葬して、その場所は見つけることができないようにした。

 
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▲事件を伝える当時の新聞、ハングルで書かれた記事では共匪という言葉がでてきてキタ朝鮮の特殊部隊浸透説が盛んにささやかれた。
 

映画化されると当時を知るのが耳打ち
 
遺族はシルミ島部隊で訓練を受けた事実さえ知らなかった。 失踪したイムさんが家に帰ってくるのを待っていた遺族が真相を把握したのは、映画「シルミド」が公開された2003年以降であった。
 
 
遺族は、実尾島部隊
基幹兵だったキム某氏を介してイムさんが特殊任務の訓練を受けた事実を確認した。 イムさんの弟は今にも兄の遺骨を返してほしいと国を相手に訴訟を起こした。
訴訟を提起した妹イムチュンビンさん(56)裁判所に出した陳情書で「死んだ人を生かしてほしいというのではなく、骨のカケラでも探してほしいということだが、これも無視されると、もはや訴える所がない」と書いた。
 
しかし、裁判所は、これらの切実な願いを聞いてくれなかった。 ソウル高裁民事19部(ユンソングン部長判事)は、イムさんが国家を相手に出した人骨引渡し訴訟の控訴審で原審のように原告敗訴の判決をしたと21日明らかにした。
 
裁判所は「原告が故人の祭祀主宰者と呼ばれることが確認されなかったし国が、故人の遺体を占有していると見ることもできない」と判示した。
判決の宣告を見守ったイムチュンビン氏は、「私の子供たちがおじの遺体を最後まで見つけて名誉を回復するという」とし「このシルミドの悲劇を私たちの世代で仕上げて欲しい」と言った。
 
お姉さんイムイルビン(57)さんは "お母さんが食事の度にオンドルのたき口に近い所にご飯一杯ずつおい一生お兄さん待つあいだ病気で亡くなった
 
国防部の過去真相究明委員会は、2006年7月イム氏の死刑執行と埋葬が国の不法行為であるという点を明らかにした。 しかし、政府はイムさんの遺体を渡してなかった。 法律事務所ハンソン・ノヨウンシル弁護士は「国が遺体を埋葬してその位置を知ることができなくても、遺体を占有したものでなければならない」とし、「判決を受けた後、遺族と相談して上告するかどうかを決める」と述べた。
 
 
(翻訳:みそっち)
 

 
この事件については当時を知るひとが詳しく書き残しています
 
 
 
71年8月23日、ソウルが大騒ぎになっている。軍服を着た身元がわからない24人の武装要員が仁川でバスを奪取してソウルに進入したのだ。共匪浸透という軍当局の発表を聞いた市民たちはまるで戦争の恐怖に巻き込まれるようになる。後で連絡を受けて待機中だった軍人と銃撃戦の末に大統領府に向かっていた彼らは手榴弾自爆に、無惨な最期を遂げている。
しかし、彼らは共匪ではなく北朝鮮主席宮浸透を目的に秘密裏に地獄訓練を受けた実尾島特殊部隊員で明らかになった。
基幹兵を射殺して大統領府に進入しようとした実尾島特殊部隊乱射事件は真実を明らかにする機会もなく歴史の中に跡形もなく埋もれてしまう。
 
北派(北朝鮮派遣)目的で創設されたという実尾島特殊部隊、正式名称は2325戦隊209派遣隊だった。68年4月に創設されたとして'684部隊'とも呼んだ。特殊部隊の創設は68年金新朝が率いる北朝鮮武装ゲリラ31人が大統領府を襲撃するためにソウルに侵入してきた1・21事態から始まった。浸透した共匪31人のうち29人が射殺される。一人は自爆して金新朝は逮捕される。

 
前年のキタ朝鮮特殊部隊侵入とおなじ31人で結成された
 
大統領府を狙った武装共匪浸透に怒った朴正熙元大統領がその報復措置として実尾島部隊を作った。'目に目を歯には歯'と部隊人員も金新朝特攻隊と同じ31人で構成された。そして訓練要員と同一の数の期間の要員たちがいた。
すべての教育を総括する教育隊長と直接教育兵を担当して一緒に行動する小隊長、通信兵、医務兵、補給兵などがあった。
実尾島特殊部隊は当時、権力の実力者だった金ヒョンウク中央情報部長、対北朝鮮工作本第1局長・李喆煕によって作られ、部隊管理と訓練は空軍が務めた。
彼らは過酷な地獄訓練の3ヵ月ぶりに北朝鮮主席宮を浸透しても遜色ないほどの実力を備える。しかし、実尾島の特殊部隊は創設されてから3年4ヵ月後に、あらまぁ大統領府へ入り、自爆と共に訓練員31人は皆死んだことになる。そしてこの事件はイデオロギー時代の朝鮮半島の歴史の洗い流せない汚辱に残っている。

 
30年前の実尾島ではいったい何が起きたのか?
 
71年8月23日の暴動の当時、弾丸を避けて生き残った基幹要員は全6人. 手洗いの間に隠れていたりマットレスに体を隠して命拾いで命を救った。
シルミ島最高実務責任者である小隊長では唯一現場を最後まで見守ったキムバンイル氏は当時状況を思い出させて目がしらを濡らした。
 
"ぞっとしました。戦争で廃墟となってもこれよりもっと凄惨はいられないです。訓練兵たちによって殺害された基幹要員の遺体があちこち散らばっていて頭がつぶしてきて脳髄が部屋の中、天井や壁に散らばっている現場を見た瞬間、かえって私が先に死んだらと思いました。"
彼らはなぜ基幹要員に銃口を向けたのだろうか。誰がこれらをこのように作ったのか?誰が彼らを朴正煕大統領と直談判をするという大統領府に向けたのか。
"作っておいて責任を負う人は誰もいませんでした。地獄のような訓練を3年以上も受けながらこのまま放置すると前に何が起こるか分からないと思いました。ところがないか違うのだろうか…"
 
シルミドは仁川から南西の直線距離でわずか20 km離れた海抜80m、2km四方の人が住んでいない小さな島である。  中央情報部が当時、北派特殊部隊を訓練することは最適の場所だと、ここを指摘した。
彼らは3年4ヶ月の間に逮捕されたら死ぬという教育を一日に何度もされた。  祖国統一のために命を喜んで捧げる覚悟ができていた。
北朝鮮の浸透訓練のための衛星写真を模して、北朝鮮の地形の模型を作って訓練した。  ドクドボプ護身術山岳訓練爆破技術などを学んだ。  基幹要員と訓練兵、最初の段階では、士気が天を突き刺すようにした。  国のために忠誠し、任務を完遂すると、新しい人生を生きていることを期待し持ち上げた。
 
金新朝の軍隊を凌駕しなければならないという覚悟で山のキャンターをしても、それらよりも1秒でも速く走った。  訓練中の仲間7人が命を失ったが、シルミド特殊部隊員たちの技量は最高に達した。  命をかけた訓練3ヶ月ぶりに目標物がどこでどのように動いているが、彼​​らの射撃の実力は百発百中だった。
訓練要員と基幹隊員が一緒に食べて、寝ながら同じように生活している。  当初約束した3ヶ月が過ぎて上部から補給と支援が減ったシルミドの問題が徐々に見え始めた。
実戦コマンドのみ目が抜けるように待って我慢してきた三ヶ月。  しかし、予定された68年8月に北朝鮮の浸透コマンドが計画されたがいきなり南北対話の実現でキャンセルされてしまう。  その後、地獄のような訓練を3年も耐えながら作戦命令を待ってきたが、彼らには一度も北派の機会は与えられない。  そして、最終的に実尾島暴動事件でひどい最後を迎える。  誰が彼らをこのように作ったか。
 
当時シルミドの他の状況では、南北和解の雰囲気に急速に変化あった。  中央情報部長は、684部隊を作った張本人キム·ヒョンウクからイ·フラクに変わりシルミド処理の問題はずっと持ち越される。  国際デタントの影響を受け、南北やはり会話路線でいく。  イ·フラクはついに平和統一案を明らかにして南北会談につながる。  北朝鮮の浸透を目的とし設立したシルミド特殊部隊の存在価値はもう存在していなかった。

誰も気軽に出る人なし捨てられた684部隊
ついに恐ろしい最後の日が近づいてくる。  1971年8月23日午前6時。  脱出のための訓練兵たちの行動開始とともに、実尾島は一瞬のうちに血まみれの殺戮の現場に変わる。  特殊な訓練を受けた訓練兵たちが一当百の技量に基幹兵を襲撃する。  24人の基幹エージェントの教育隊長だった准尉など12人が射殺され、6人は海で被しようとし溺死した。  現場で生き残った人々は、警備兵5人ギムバンイル小隊長など計6人。
基幹兵だったキム·テス氏は、トイレの下に入って命をとりとめた。  二日前にトイレ掃除をしたため、九死一生で生き残ることができた。  黄石ジョン氏は、マットレスの中に入って右腕で頭の形をして住んでいた。  訓練兵たちは彼を装った腕を頭で知って命中させる風に命をとりとめた。
 そして、訓練兵たちは、近くの島、舞衣島に入って船に乗って午後12時30分頃、3年4ヶ月間閉じ込められていシルミドを抜け出して、仁川毒杯くちばしの海岸に上陸する。  12時53分松島郊外から奪取した市内バスに乗って行っ連絡を受けて待機中だった陸軍24人の銃撃戦を繰り広げる。  彼らが乗っていったバスの車輪がパンク起こると対向バスを奪取してさらにソウルに向かう。
午後2時15分頃、運転手が脱出するとシルミド訓練兵が直接車を運転する。  大方洞ロータリー有限洋行の前で、彼らのモールデンバスが街路樹にはねられ、停止する。  そして手榴弾自爆で最後を迎える。  その後、生存者4人に死刑が執行され、この事件は徹底的に隠蔽されて、永遠の迷路に陥ることになる。  事件発生3日後、当時の国防長官が電撃辞任を出すことで、この事件は、疑問を持つ機会もなく終結する。  

 
誰でも特殊部隊になれる韓国の自己申告型特殊部隊
 
映画シルミドのストーリー解説では ”キタ朝鮮に浸透する特殊部隊を韓国軍が極秘で訓練していたうちになんだか平和ムードになってきて邪魔になっちゃって部隊を解散しようとしたけど島を抜け出して当時の軍の司令部に直談判しに行こうとバスジャックして向かう途中で軍に阻止されて自爆しちゃった事件” ってことになっています。 映画のランボーのひとがあっちじゃなくてこっちに来ちゃったような恐怖ですね。もちろん実戦部隊ですから実弾も持っているし島を抜け出す時に殺人もしているようです、とにかく犯罪者擁護の国である韓国では犯罪者とは英雄と同じ意味を持っていますからお涙頂戴にはうってつけの話題と言うわけです。
その一方で今回の判決である”死刑囚の遺体がどこにあるかワカンナイから請求は却下する” というところがいい加減な国っぽさを良く表していますね
このへんは伊藤博文暗殺犯の死刑囚安重根の骨を探せっというのと似ています。
 
当時生き残った4人は死刑判決のあと銃殺され、事件の揉み消しを図る軍上層部では遺体の処分を銃殺隊の指揮官に命令します、そのあとはワヤクチャになってそれっきり 
シルミド部隊にいたことを知らされない死んだ兵隊の遺族には恩給が出されるという特別措置まであって一件落着かと思ったら  ”おたくの兄さん あのシルミドの部隊で生き残って銃殺になったんやで” と耳打ちする韓国人がでてきてこういうことになりました。 骨が無いから返しようが無いのです。
韓国型永久怨醜機関はこうしてまわり続けることになります。
 
 
▼ケガ人名簿
<この日の総ケガ人= 17人> ===民間人(13)
▲パク・ジョンユン(36-済物浦(チェムルポ)高教師) ▲チョインジャ(31-松島(ソンド)チョインジャと二人の娘、弟(妹)と共に水原(スウォン)実家に行っていた途中) ▲パク・ソンア(6-チョインジャ長女) ▲キム・ジュンヒ(15) ▲パク・ソンヒ(25) ▲シン・テヒ(29) ▲イガンである(41)
<以上バスの中7人市立永登浦(ヨンドンポ)病院>
オム・ジョンファ(21) <聖母病院入院>▲イム・ミョンオ(30-港都交通バスの運転手) <仁川(インチョン)キリスト病院入院>▲チュヒョンナク(42) ▲キム話録(75) ▲キム・ミヨン(25) ▲キム・ヘヨル(1-キム・ミヨン娘)
<以上軽傷者4人帰宅措置>
===警察(2)
▲イ・ムンブ(32-鷺梁津(ノリャンジン)警察署巡査) ▲ユ・チャンヒ(34-信仰村検問所巡査)
===軍人(2)
▲チェ某(23-下士) ▲セム某(24-兵長=軽傷(慶尚))
 
▼死亡者名簿<シルミ島隊員他死亡者= 7人>
===民間人(6)
▲キム・ウニ(5)<仁川(インチョン)玉輦理髪店の前で遊んでいて死亡>
▲パク・ソンジュ(5-副首相引き締めた者の娘) ▲ヤン・スクチャ(32-水原(スウォン)女子高教師) ▲女(23?) ▲女(20?) <以上泰華バスで死亡>▲ユ・ジングン(31-永登浦(ヨンドンポ)市場で鷺梁津(ノリャンジン)中央市場店舗で自転車にその日3回目物のせてすぎて行っている間銃弾合う)
===警察(1)
▲キム・チャンウォン(32-東仁川(トンインチョン)警察署機動巡察隊員)
 
 
 
 
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▲最近の短い小銃でも銃剣をつけて突くという方法は重要視されている。
 
 
映画シルミドと実際の部隊
 
イメージ 2青瓦台襲撃未遂事件に対する報復計画の実行部隊として編成された。31人で編成された部隊は、仁川沖の実尾島で訓練を行ったが、訓練中の事故で7人が死亡した。
映画では、チンピラゴロツキが刑の軽減と引き換えに選抜される描写があるが、正規部隊の軍人の中から選抜された。
1971年8月23日、残りの隊員が実尾島を脱出し、乗っ取ったバスでソウルに向かったが、韓国正規軍との銃撃戦になり手榴弾でバスごと自爆した。生存者は6人だったが空軍の病院で2人が死亡、4人が処刑された。
1971年に韓国政府が極秘に進めた、朝鮮民主主義人民共和国金日成首相暗殺計画と、それにかかわった韓国の北派工作員部隊(684部隊)の実話
部隊員の大半は手榴弾で自爆したが、手榴弾の爆発で生き残った生存者4人は逮捕され、軍事裁判をされて死刑されてしまった。
 
"バスに乗ってソウルに向かった特殊部隊が全員射殺された事件"
 
バスで自爆した北派工作員っていうのもハングルでは北から来たのか北へ派遣されるのかの区別があやふやなこともあってよくワカンナイんだとか
韓国人の半分が前年にあったキタ朝鮮特殊部隊の襲撃と区別できずに理解してるそうです。
映画を見た韓国人も「なぜロケ地が仁川沖なのだ?北朝鮮が舞台なのではないのか」「大統領府を襲撃する共匪=キタ朝鮮特殊部隊の教育を韓国軍人がやるのはなぜか」「実行犯らは韓国のヤクザだったのか?」というご意見をのべていました

  
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▲肋骨部隊としてのちに有名になったらしい当時の写真、(ろっこつ?)
 
 
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▲大統領府まではあとすこしだったのに ソウルオリンピックの17年前
柳韓洋行という製薬会社(今は不動産業)の前で阻止されました。
 
 
 
 
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