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嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

離散家族解消に85年?不思議な計算法

 
 
なぜ85年、自然減は計算に入らない”韓国式比較統計手法”
イアンフを主張するウソツキおばあさんが絶滅しない理由とは
泳いで渡ると銃撃され、中国経由で渡キタすると帰国後に逮捕される国
 
 
イメージ 1[ソウルミーナ]昨年9月19日離散家族対面を六日控えて対面を待った91才キム・ヨンジュンおじいさんが老患で死亡した。 60年余りのわだかまりができた待つということがただ6日を控えて崩れたのだ。 平壌ピョンヤン)に住んでいたキムおじいさんは6・25戦争の時人民軍で参戦してその後韓国に定着した、すなわち金剛山(クムガンサン)で弟(妹)らと娘に会う予定だった。 しかしキムおじいさんが生きていたとしても当時家族に会うことはできなかった。 南北当局が金剛山(クムガンサン)観光再開などを囲んで気力の戦いを行って結局9月の離散家族対面を無期限延期したためだ。

 ■離散家族みな会うには85年かかって  現在の南側離散家族が7万1000人余りに達するが、一年離散家族対面人員は840人ずつに留まっている。 この速度ならば南側すべての離散家族が北側家族に会うには約85年がかかると予想される。 離散家族高齢化が急速に進行していて幅広い出会いが必要だという要求が出てくる。
 
※脱キタ者に集計されるキタ朝鮮からの渡航者は65年間にわずか2万人あまり、その間にもキタ朝鮮の人口は着実に増えており”自然型吸収統一”という夢物語は人類の歴史の限られた時間では不可能なことが理解されていない
 

 <ハンギョレ>が統一部と大韓赤十字社の離散家族統合システムを分析した結果、1988年離散家族対面申請を受けて以来昨年末現在残っている生存者は7万1480人に達する。 特に高齢化が深刻だ。 生存者の52.8%である3万7769人が80才以上で、90才以上も11.1%である7950人に達する。 2013年韓国平均寿命が79.55才である点を勘案すれば一日が緊急な状況だ。
 
※1990年代に突如現れたイアンフおばあさんは韓国政府の集計では現在30人程度生息している、一方でイアンフおばあさん施設(ナムルの家)で暮らすことを希望するおばあさんは年々増えている、現在では200人待ちの状態だ。

死亡者はますます増加している。 1988年以来26年の間死亡者数は5万7000人余りで年平均2074人に達する。 最近6年の間だけ集計すれば平均3714人に増える。 20余年間に二倍近く増えたのだ。 現在の傾向が持続するならば20年後には離散家族の再会待機者は数千人台に減るものと見られる。
 
※韓国型統計手法では高齢者はいつまでも死なずに生きるらしい、もちろん20年後といえば当時0歳だった離散家族待機者でさえ80歳を超えることになる

死亡者数が急増することと違い対面速度は遅々と進まない。 南北は2000年8月15日一番目の離散家族対面をして以来2014年1月まで全18回の離散家族対面をした。 この期間の間韓国離散家族は合計1874家族1万1800人、北朝鮮は1890家族6186人が対面を成し遂げた。
特に南北関係で和解と協力を追求したキム・デジュン・ノ・ムヒョン政府の時離散家族対面が集中した。 全体韓国離散家族1万1800人の90.4%である1万673人が2000年8月から2007年10月間に北側家族に会った。 イ・ミョンバク政府の時(2008~2012年)は5年の間ただ二度、全1127人だけが対面の機会を持った。 パク・クネ政府では政府スタート1年ができて行かないまだ離散家族対面を出来ずにいる。

 ■離散家族対面に韓国がさらに積極的な理由  離散家族対面には韓国がさらに積極的な姿勢を見せてきた。 主に韓国が対面要求をすれば、北朝鮮はこれを受け入れる姿だ。 昨年9月進行された離散家族対面議論も、韓国は人道的な理由を挙げて積極的に要求したが北朝鮮は‘金剛山(クムガンサン)観光再開’と連係する態度を見せた。
 
※とんでもないウソでしょ”離散家族対面には一定額が支給される、2007年基準で一人当たり170万ウォン(30万円くらい)”っていうのが欲しい”自称離散家族”と払いたくない”金欠政府”ってことです 予算が無くて離散家族をソウルに呼べないわけでした。

このような差は南北間経済・政治的差のために発生する。 まず離散家族対面は北朝鮮に経済的な負担を負わせる。 韓国の場合、公告だけだせば離散家族が自ら分かって準備して尋ねてくるが、北朝鮮はこれらを探して招集しなければならなくて一定期間の間合宿をしながら教育もさせなければならない。 栄養補充と共に衣類と持ち物なども準備すると分かった。 チョン・セヒョン円光(ウォングァン)大総長(前統一部長官)は‘統一トーク’という本で“離散家族対面が韓国には格別負担にならないが北朝鮮には相当な負担となる恐れがある”と話した。
離散家族対面は政治的にも北朝鮮に不利な主題だ。 体制競争で遅れた北朝鮮の立場で、韓国に家族を置いた北朝鮮住民が増えるのは嬉しいことでない。 反面韓国の場合、離散家族対面が理念を離れて政府の政治的功績に見なされるという点で政治的に不利なことがない主題だ。
このような理由のために北朝鮮はたびたび離散家族対面を韓国との詰まった問題を解くテコで使ったりする。 南側の要求を聞き入れる代価で北朝鮮が願う他の懸案を要求することだ。 ある統一部当局者は“参加政府時期表面に現れてはいないが離散家族対面と食糧・肥料支援などが相当部分連結されて支援されたりした”と話した。
 
※1:1の戦争では勝てない、国民にはそれでも希望というウソを知らせる義務でもあるんでしょうか? このあとは益々ヒートしますよ。
 

 ■離散家族対面の歴史…対面・画像・手紙など  離散家族対面は分断40年ぶりである1985年に最初になされた。 当時離散家族故郷訪問団50人、芸術公演団50人など合計151人がソウルと平壌ピョンヤン)を同時に訪問した。 しかしこの出会いは一回一時的になされた後中断されたし、15年後である2000年まで特別な進展を見ることができなかった。
離散家族問題の解決は2000年‘6・15共同宣言’を契機に本格化する。 キム・デジュン大統領とキム・ジョンイル国防委員長が積極的な態度を見せて南北両側で100家族ずつお互いの家族を探す方式の離散家族対面が実施される。 2003年に南北は画像対面にも合意した。 離散家族相当数が高齢で長距離移動が不如意で北朝鮮が離散家族対面準備に負担を感じるという点を考慮した措置だ。 画像対面は2007年まで7回実施されて南北両側で3748人が会った。 2008年2月には‘離散家族映像手紙交換’に合意して、それぞれ20家族ずつ映像手紙を交換した。 2008年7月には金剛山(クムガンサン)に離散家族面会所が竣工した。 しかし以後南北間緊張高揚で離散家族対面が減って2009年と2010年二度使われた。
 
 
 
(翻訳:みそっち)
 


 
”スグにお金になるイアンフや離散家族を自称する人が多くて正確な調査が難航している、これはイアンフや離散家族への金銭補助を目的としたなりすましが非常に多いためだ” っていうことですからね、それでもお金になるんだからってこれから名乗り出るひとは増えると思いますよ、やっぱり高齢者の貧困率が世界一の国ですから。
 
 
 
 
 
 
 
 
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