minaQのつぶやき 네토미나

嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

韓国のアニメ...何かすごいらしい






テコンVの父が妄言連発

韓国のアニメは米国、日本に次いで世界第3位の大国としての地位を確立している

イメージ 2
[ダイナミックミーナ]ニホンでは「テコンV」といえば”マジンガーZ”じゃね うんうんパクリで有名だよね、ウリジナルでしょ。ちゃんと create じゃなくて koreate しているよ、といったご意見が正しく認識されていますね  

※「コリエイト」は「妄想する」「盗作する」の意. 語源である造語  koreate コリエイト〕の第一義は「(韓国の神などが)…妄想する」「…生み出す」「…盗作する」, 第二義は「(韓国人により)…マネをする」「…盗作する」という意味  ← イメージ 3



そんなこと言われなくたって分かっていると誰もが思う韓国のアニメーションですが、本場韓国では金チョンギ監督がアニメーションの待遇改善を求めて何か叫んだらしいというウワサが流れています。



イメージ 1

▲13日、ソウル汝矣島の国会議事堂前で開かれた「アニメーション産業の育成及び支援に関する法律案の立法」の記者会見で、マジンガーZを手にスローガンを叫んでいる。 
 

この日の記者会見で、アニメーション業界では、「韓国のアニメは米国、日本に次いで世界第3位の大国としての地位を確立している」とし、「しかし、劣悪な製作環境のせいに業界は枯死直前に置かれているだけに、アニメーション産業の育成支援に必要な事項を定めた法律の制定が急務であると判断して集会を持つようになった」と話した
 
 
 


(翻訳:2ちゃん番長)




1970年代までにニホン製のアニメーションの色を塗る作業から始まった韓国のアニメーション業界でしたが、当時セル画に色をつける技術はどうにか会得できたものの、セル画から撮影するカメラと言うものが韓国には一台も無かったため韓国初のアニメーション映画(テコンV)ではニホンでの撮影が行なわれたそうです。(その後1990年代まで)
※撮影のカメラは高いそうです、虫プロではそのせいで大きな借金が云々



たとえば妖怪人間ベム(1968~1969頃)のwiki説明にはこうあります

イメージ 4
”日本には馴染みのない無国籍風の作りになっているのは、制作体制の影響が大きい。オープニングで制作としてクレジットされている東洋放送は、韓国の放送局(言論統廃合政策に伴い廃局され、現在は韓国放送公社の一部)である。本作は、広告代理店の第一企画(現・アサツー ディ・ケイ)のアニメ部門である第一動画制作である。第一動画は東映動画とTCJ(現・エイケン)の出身者から成り立っており、第一動画の日本人作画スタッフが韓国に派遣され、東洋放送の動画製作部で韓国人スタッフを指導する形態での作画作業になっている。風景や色遣い、キャラクターの表情などに日本人にない韓国人の発想が反映されて、本作の独特の無国籍性が醸し出されたのだと作画監督森川信英は説明している。第一動画の第1作『黄金バット』と同様の体制で制作されたが、これが第一動画の最後の作品になった。森川はこうした制作経緯から「事実上の逆輸入アニメだ」と語っている。”


全26話の妖怪人間ベムは1970年代に入り韓国でも放送されたが当然白黒放送であったこともあってほとんど視聴率もとれないまま再放送は1990年代まで待たなくてはならなかった


韓国版Wikiではこんなふうにコリエイトした話が伝わっていたり

妖怪人間は黄金バットに続き、第一童話とTBSの韓日合作で制作されたアニメーションで、黄金バットの成功に賃金が少なくながらも実力が良かった韓国人アニメーターを高く評価した第一動画側では建物一つを丸ごと借りアニメーターにデータを直接養成し作業をしたとする。
しかし、妖怪人間の低視聴率のために日本一の動画の事情がますます悪化している過程で、第一動画のスタッフは、劣悪な環境にもかかわらず、日本のアニメーター以上の情熱を持って、誠実な姿を見せてくれた韓国人たちに深い感化を受けるようになって、徐々にこれらの演出や作画の重要なノウハウも伝授してくれる良好な関係に発展することになった。
そして、当時、養成されたアニメーターたちは、以来、日本のアニメの下請け作業だけでなく、ロボットテコンVなど国内作品の制作にも参加して、国産アニメーションの復興期を開けるのに大きく貢献しており、当時、深い信頼関係を構築した日本と韓国のスタッフとの関係は、その後の本格的な下請け時代を経て、現在の日本のアニメの輸入のすべての権利関係にまでその影響を落としている。
妖怪人間ベムは視聴率最大で26.4%という大記録なんだけどね

このようにして苦心惨憺してはじまった韓国のアニメーションも初期のアニメーションでは動画が動くしくみが理解されずセル画が紙芝居のように差し替えられるものだと思われていた時期が長かった、また韓国ではテレビ放送がカラー化された1980年まではの映像は映画館で見るものと思われていたためテレビのアニメーションがであることに反発を感じた韓国人も多かった
 
 

イメージ 5
イメージ 6

そして現代になっても存在し続けているらしい
 




 
 
 
 
雪やこんこん
ここ↓わんわん