聖水大橋崩落事故から20年
聖水大橋崩落事故から20年という記念日
あぶない橋ならまだあるけれど、評価基準をちょっといじれば全部がAランク
[今日のミーナ]今日は聖水大橋事故が起きて20周年. 当時32人の市民が亡くなったし17人が負傷した。
▲12月開通を控えている岩寺大橋 (建設中) と来年8月完工を控えているワールドカップ大橋 (建設中) まで合わせれば漢江(ハンガン)の橋は31個に増える。
来年の完成すると言っていたワールドカップ大橋、今の工事速度では2041年に開通?
竣工予定日が来年8月になっているソウル、ワールドカップ大橋(麻浦区上岩洞~永登浦区楊平洞)建設工事は、現在の工程率が18%に過ぎない。2010年に着工した事業費3550億ウォン規模のこの事業に今年まで投入された工事費は555億ウォンに過ぎない。この速度で進行すれば27年後の2041年8月に開通できるという予測だ。今年末に竣工予定だった九里~岩寺大橋連結道路の改善工事工程率は44%でこのまま行けば2022年5月竣工するという分析だ。
◆漢江(ハンガン)の橋は安全なのか
1994年10月21日午前7時40分、ソウル、狎鴎亭洞と聖水洞をつなぐ聖水大橋で橋脚10番と11番間床板48m区間が崩れる事故が発生した。
朝の出勤途中の会社員、登下校道の学生、市民32人が冷たい漢江の水に陥って大切な命を失った。 ケガ人も17人も発生した残酷な災害であった。
検察捜査結果施工者である東亜建設の不良施工で聖水大橋の橋梁床板を支える鉄製構造物の連結継ぎ目溶接が不良だったし、ボルトと連結の設置も不十分だったと明らかになった。
だが、不良施工よりさらに直接的な事故原因は管理不良だった。 累積する橋の疲労現象を管理できない不十分な橋梁管理がより大きい理由であった。 聖水大橋はいわゆる'ガーバートラス'工法で建てられた。
聖水大橋の問題はまさにここで始まった。 橋梁のキモである床板ピンが疲労が累積して急に切れた。 ピンが折れることに備えるべきなのに聖水大橋はそのような装置がなかった。 橋梁安全マニュアルもないほど安全に門外漢であるソウル市の不十分な橋梁管理が産んだ最悪のむごたらしい事態だった。
◆ C等級は城山大橋と東湖大橋
城山大橋 は聖水大橋のようなガーバートラスト工法に建設されて最も憂慮が大きい橋に選ばれる。 麻浦区、望遠洞と永登浦区、楊坪洞をつなぐ城山大橋は1980年に現代建設が作った。 専門家たちは聖水大橋とともに最も危険な橋に選んでいる。主な施設管理を受け持っているソウル市関係者たちの口でも主な施設が老朽化されて安全事故の危険が高まっているという話が出るほどだ。
漢江を横断する橋梁は合計29個、この中ソウル市管内にある橋梁は21個. ソウル市によれば今年基準として21個の橋梁の安全性等級は全部A等級だ。 だが、細部的に入れば状況は違う。
老朽化状態を計る状態評価では19ヶ所がB等級だ。 開通後30年を越えた城山大橋と東湖大橋 がC等級を受けた。 21個の橋梁のうち30%を越える8ヶ所が建てられて30年を越えた状態だ。 城山大橋とともにC等級を受けた東湖大橋も老朽化が激しい状態だ。
老朽化状態を計る状態評価では19ヶ所がB等級だ。 開通後30年を越えた城山大橋と東湖大橋 がC等級を受けた。 21個の橋梁のうち30%を越える8ヶ所が建てられて30年を越えた状態だ。 城山大橋とともにC等級を受けた東湖大橋も老朽化が激しい状態だ。
◆元暁大橋も工法で論議=
B等級を受けた橋のうちでも憂慮されている橋が元暁大橋 だ。 龍山区、元暁路4街と永登浦区、汝矣島洞を連結する元暁大橋は1981年に'私たちも美しい橋を作る時になった'という社会的雰囲気の中で誕生した。 橋脚側から中央部でコンクリートを打っていく'ディビダーク工法'が使われたが、工法に対する論議が多かった。 すでに建設当時に海外土木学会論文にはディビダーク工法が危険だという論文が出てきたが、私たちはこのような海外情報に暗かった。
憂慮のとおり元暁(ウォニョ)大橋は作って10年が過ぎるとすぐに激しくたわむ現象が発生して大々的な保守工事をした。 同じ工法で作った全北、任実の雲岩大橋をはじめとして、忠北のサンジン大橋・清風大橋なども全部たわみの現象ために補強工事をして使っている。
漢江の橋の安全問題でまた、一つ注目しなければならない部分がすぐに通行基準だ。 漢江の橋中には40t以上の貨物車が通うことができる1等橋があるが、そうではない橋もある。 永東大橋と城山大橋、潜水橋は32tまで通行が可能な2等橋だ。 警察とソウル市が過剰積載車両を取り締まっているというが違反事例が少なくないという点で憂慮を表わす専門家たちもいる。
(翻訳:みそっち)
ニホンが作った橋は爆撃でみんな壊れちゃったのですね、キタ朝鮮の戦車がソウルに入ってきたのは開戦翌日ともいわれています、せっかちな命令で橋を爆破したのが6月28日の深夜だったそうですから多分ソウル市内(当時は漢江の北側っぽい?)に戦車がやってきたのはその頃ですね、爆破したはず漢江橋でしたがほかにも橋が残っていてキタ朝鮮の戦車は苦もなく渡ってしまったようです。
そういえば続きがまだだった”キタ朝鮮の戦車134号車の謎”ですが、漢江に沈んでいたとされる両軍の戦車のうち1974年に引き揚げられたものがそうじゃないかという説があります、これは太田の戦いでも目撃されていたのでおそらく仁川上陸作戦のころと前後してソウルまでもどってきたところで水没したんだとか。
”43トン以上の大型渡る漢江の橋がない”漢江の橋の最大荷重が1等橋でも43.2tに過ぎない、この荷重を超える大型が渡る橋がない対策が急がれると指摘された。
ハンナラ党のグォン技術議員は27日、国会建設交通上市の国政監査で、「現行の交通通過荷重制限は、1等橋(DB24)の場合43.2t、2等橋(DB18)は32.4tにすぎず、43tを超える大型が ”合法的”に通過することができる橋は一つもない」と明らかにした。グォン議員は「大型の場合通過する方法がないため監視のおろそかに乗じて不法に橋を渡るのが現実」とし「合格許容荷重を超える車両の取り締まりを強化する一方、合法的に橋を通過することができる対策を用意しなければならない」と強調した。彼は「この問題は、法的通過荷重の規定を高めて解決される問題ではなく、通過荷重が50tを超える橋を別途確保するか、船便で輸送する方法が講じなければならない」と指摘した。ソウル市に登録された大型の統計によると、30~40tが1千421台、40t以上が965台で50tを超える超大型の重機も699台に達する。※K-2戦車の重さは55tだそうです
戦車は渡れないのかな?