minaQのつぶやき 네토미나

嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

朝鮮時代のキムジャンを知る

 
 
 
 
無理に宣伝されたキムジャン(キムチの漬込み)文化
 

朝鮮時代のキムチ漬けの写真からみるキムジャン文化の大嘘 
キムジャンっていうのは塩漬け白菜に調味液を混ぜること?、それならキムジャンの起源は1970年代ってことになるんだけど。
 
 
イメージ 3[キムチミーナ]ここに数枚の写真がある、どちらもキムチ漬けの様子を捉えた写真だ、この写真を詳しく見てみるとこれらの写真はほとんど同じ場所で撮られていることがわかる。
 
写真の説明の多くは”朝鮮時代のキムジャン”になっていて、多くの瓶が並んでいることから”金持ちの屋敷”での撮影であるとか”白菜キムチは朝鮮時代から食べられていた”などといった説明がついていることが多いようだ。
 
 
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大小の瓶が並ぶ手前側ではどのようにも説明のできる作業が行われている
多分、洗濯をしているようには見えないだろうが、”キムジャン”の真っ最中だとしても薬味をこれだけ並べていたのでは”非能率的”にしか見えないのだ
 
この写真に登場している女性たちは何者なのだろうか?、この写真にウソは無いのだろうか。
 
 
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まずこの写真を撮影した場所について見てみよう、お堂のように見える建物の境内とでも言うような場所なのである。すくなくとも人が生活する住まいでは無いようだ。
建物の脇では子供がこちらをみている、そして漆喰で固められた石塀の前に大小の瓶が無造作に並んでいる。
 
個人の住居としては大きな方だが女性ばかりの使用人が主人家の分のキムチを漬けているとでも言いたそうな構図となっている。
※朝鮮時代には使用人のいる金持ちの家などは存在していない、(貨幣自体が無い)奴婢は勝手に好きなところに住み、少数の両斑身分でも使用人は置かずに質素な暮らしをしていた。

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▲記録用として撮影されたキムチを漬けている光景はこの他にも数種類のシーンがある、実はこれらの写真は”朝鮮風俗”を記録した絵葉書に使われたものだ。

ニホン統治時代になり朝鮮半島では衛生面でも格段の改善が行われたが数次にわたるコレラ患者などの多発と風土病の蔓延により朝鮮半島に渡るニホン人はほとんどいなかったとされる。そんな朝鮮の惨状を広く知らせるために撮影班が組織され~1930年頃までに、現在に残るこれら数多くの”朝鮮風俗”が記録された。この時期に”朝鮮人”によって記録されたものはほとんど無い


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▲キムチ漬けを朝鮮人に奨励したのはニホン人だということだろうか

これらの写真について解説をしよう 、現在の”キムジャン”との大きな違いがいくつかある。まず、下の写真だとよくわかるが作業台の上に”たらい”に入った材料が並んでいる、小さいのは唐辛子だろうし白いのは塩や米汁かもしれない、その混ぜられた調味液を塩漬けされた白菜にまぶすことが”現在”のキムチ漬け作業だとすればあまりにも手際の悪さだけが目に余る。なにしろザルに上がったものまで後ろにならべているのだ。
写真中央手前側の女性は瓶の中に手をいれていて中に入れる白菜がその左側にあるものだとしよう、これにキムチを漬けたら重さは30キロ近くなるのではないだろうか、これを動かすというのだろうか?
 
流しの下に置いたぬか床を想像してみて欲しい、あれでさえ一般家庭にあるものなら10キロを超える重さがあるというのに30キロを超えるキムチ瓶を”陽のあたる路地”に並べていたのが”朝鮮時代”だったとでもいうのだろうか。
 
 
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この瓶がキムチ用、あるいは味噌用だとしてこの大きさから見ると小さいものでも中身が入れば重量は30kgを超えるだろう、大きなものでは200kgをゆうに超える重さになる、特に石塀のそばに置かれた大型の瓶は一段高くなったところに置かれているにもかかわらす小さい瓶は足元に置かれている、中身が入った大きな瓶をわざわざ高いところに上げたりするだろうか。
朝鮮時代には商業というものが存在しなかったので”一般向け小売用キムチ漬け風景”という説明もにわかには信じ難い。ならば”自家消費用”だとしても複数の参加者をあつめて共同作業としてキムチを漬けているという説明にも疑問が出てくる。
 
”朝鮮時代は女性が共同してひと冬分のキムチを漬ける習慣があった”とでも言い出せば納得がいくというのだろうか?、その移動不能なほどの大きな瓶に漬けた大量のキムチを複数の世帯が分け合って食べていたことにすれば”現在”のキムジャン文化に通じるものがある。>>>>そんな未知の考えからはじまったのが現在の”強制押し付けキムジャン文化”なのではないだろうか。
 
 
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▲毎年この季節になると”ヤクルトおばさん”がソウル広場で”愛の分かち合いキムジャン”を始める、お年寄りの一人暮らし家庭には10キロものキムチが届けられる、写真はおばあさんの家に上がり込み、口にキムチを押し込む様子
※今年も11月14日ソウル広場です
 
 
石塀のそばに置かれた大きな瓶にキムチが丸々入るとして底のほうのキムチはどのように取り出すのだろうか想像してみて欲しい。
 
また写真の中には水場が見当たらない、衛生観念の無かった朝鮮時代だったとしても現在ではゴム手袋で完全装備をしての”キムジャン”の日なのにあまりにも無防備なのだ。
 
朝鮮半島で白菜が栽培されたのは1910年代からであり、現在のキムチの形が完成したのは1930年代だとも言われている。食用として唐辛子朝鮮半島で大量に栽培され始めたのもそのころである。
 
 
ここまで解説したところで写真の隅に”計量秤り”でもあれば笑いものとして魅力があるが、とりあえず今日のところは”朝鮮時代のキムチ漬け写真”はヤラセじゃないのか?というところまででおしまいにしよう。
 
 
 
(テキスト:2ちゃん番長)
 

 
実は”朝鮮時代”を写したとされる写真のほとんどは撮影者もわかっているものらしいです、レンズの画角を比較することで写真機を同定することができますし現在ではネット情報などからも同一の写真を探しだすことが可能です
例を挙げれば以前にまとめた”猫車”の写真ですが、あれはニホン人撮影家が朝鮮人にポーズを取らせて撮影したものだということがわかっています。そしてその撮影時期も比定することができるわけです。

その撮影時期は1929~30年ということですから。朝鮮時代の生活や文化を残そうとしたものであると考えられますが、なんと昭和のころの撮影した資料を韓国コンテンツ振興院では堂々と”朝鮮時代のキムチ漬け風景”と紹介しているところがかわいそうでなりません。薄々勘付いている韓国人もいるようですが、”韓国型単一思考教育”の前では、”5000年の歴史を持つキムチ”というのが一般的に信じられているものだと知られていますよね。 アハハ
 
 
 
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▲朝鮮の市場で白菜が山積みされている写真も同じく1930年代の撮影
 
 
 
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