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嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

帝国の慰安婦、書評の続き

 
 
 
朴裕河教授
「帝国の慰安婦」は、世宗大朴裕河教授が書いた、2013年8月12日に公開されたアツアツの本として出版と同時に、多くの書評が注がれたことがある。
イメージ 3この本は、様々な学者や市民運動家たちが出した資料と慰安婦、日本軍の育成証言をもとに朝鮮人慰安婦の実状はどのようなのかというアプローチをしており、日韓両国の政府と慰安婦関連団体、慰安婦否定団体などの問題点と複雑に絡み合った誤解について述べている。
また、慰安婦たちが現地で直接体験していた人生具体的にどのようなものだったかの鮮やかな証言と河野談話アジア女性基金にまつわる誤解、2012年に日本政府が韓国に提示していた謝罪と賠償提案などについても紹介する。
河野談話、村山首相の謝罪の手紙とアジア女性基金を通じた謝罪と補償を韓国以外のすべての慰安婦関係国は、2003年までに正式に受け入れ慰安婦問題を終結犯しても、この本を介して新たに知るようになった事実である。
百聞は一見にしかずだから直接読んでみた方がいいことや複数の箇所を抜粋して紹介する
 
 
 
帝国のいあんふ書評の続き
 
 
イメージ 1[まとめミーナ]成功の可能性が薄い'運動'を20年間も続けながら、病気、年長の慰安婦たちに'韓国の自尊心'を代表することにするのは果たして'当事者'の意思を尊重したことだっただろうか?
彼女たちを老軀にむち打っながら街に乗り出す'闘士'で作ったのは、あまりに苛酷なことがなかっただろうか、すでに一度国家の保護を受けられず、望まない道を行かなければならなくなった彼女らにそんなふうに'正しい民族の娘'になることを要求するのは、もう一つの'民族'の抑圧がなかっただろうか
 
一個人としての'慰安婦'のまた他の記憶が抑圧されて封鎖されてきた理由もそこにある。日本軍人と'恋愛'もして'慰め'を'愛国'することで思ったりしていた慰安婦たちの記憶が隠蔽された理由は、彼女らがいつまでも日本について、韓国が'被害民族'であることを証明してくれるこれに存在してくれなければならなかったためだ。'慰安婦'たちに個人としての記憶が許されなかったのもそのためだ。彼女たちはまるで解放以降の人生を飛ばしたりしたように、いつまでも'15歳の少女被害者'か'戦う闘士おばあさん'に止まっていなければならなかった。
 
被害者であることを確認したい韓国社会のそのような欲望は、日本軍人に対する愛も、自分を売った親や朝鮮人業者や'主人'に対する憎しみも、そして解放後にも50年間続いた冷たい'韓国人'の視線も忘れて消去させるしかない。、ひたすら日本という国家に対する怨恨のみを復活させることを彼女たちに要求することだ。20年余り続いた'慰安婦問題'という支援団体をはじめ韓国社会のそのような欲望と期待が優先視され、'当事者'らの'今、ここ'での苦痛は忘れられた問題でもある。
 
実際に基金の受領するかどうかをめぐり当事者らは深刻な分裂と後遺症を経験し、健康を害したあるお婆さんは本人が他の人に受領を拒否するように強く促したことが健康悪化の原因であるようだと話したという
 
基金を反対した彼らは、慰安婦の中の分裂と支援者(挺対協)と慰安婦の分裂が”国民基金”のせいだと言うが、それは基金に対する理解が最初から否定的だったにする言葉だ。実際には、基金の存在そのものではなく基金を作った(日本)政府に対する支援者たち(挺対協)の理解不足が慰安婦を分裂させた。]
 
 

 
韓国支援運動の矛盾 (挺対協活動に対する朴裕河教授の批判)
 
1.ソウル挺対協運動の功罪
 
'慰安婦'ではない'慰安婦少女像'

 
2011年12月にソウルの日本大使館前に立つようになった少女像は日本の謝罪と補償を認めない挺対協が考える'慰安婦'上の決定版だ。
 
イメージ 2少女像はきっと性労働を強要された'慰安婦'を想定しているだろうが、性的なイメージとは無関係に見える小さな'少女'の姿だ。
言ってみれば、大使館前に立っているのは慰安婦になった以降の実際'慰安婦'ではなく、慰安婦になる前の姿だ。
 
あるいはこれを見た慰安婦の平均年齢が25歳だったという資料を参考すれば、実際に存在した大多数の成人慰安婦ではなく、例外的な存在だった慰安婦を代表するのである。
そんな意味では、大使館前の少女像が実際の慰安婦を象徴するものではない。しかし、少女像はまるで'慰安婦'の大半が少女だったと考えるように作って、'少女慰安婦'の記憶を強化させていく。

少女のおかっぱの髪は彼女をふつうの学生のように見えるように作った。しかし、彼女らは大半の学校教育を、あるいは少ししか受けられなかった人々だった。その意味でも少女像は実際の朝鮮人慰安婦とは距離がある。
 
少女が素足を現しているのは何の準備もなく'突然'連れて行かれたことを想像させる。拳を握って射るような強烈な目つきをしているのは'強制連行された'ことに対する'怒り'の表示だ。言ってみれば、少女像は'抵抗する慰安婦'なだけで、日本軍との別の関係は明らかにしない。あるいはその怒りが'日本軍'以外の存在に向かうのを可能性があるというのも出さない。
 
少女像がそのような姿をしているのは'抵抗して戦う少女'の姿こそ、韓国人が自分とオーバーラップさせたいアイデンティティとして理想的な風景であるためだ。少女像が韓服を着ているものは実情を反映したとも言えるが、、リアリティの表現というよりは'慰安婦'を望ましい'民族の娘'に示すためのものだ。
 
しかし、実際朝鮮人慰安婦は'国家'のために動員され、日本軍とともに戦争に勝とうと彼らの面倒を見て士気を高めたこれらでもあった。大使館前の少女像は彼女のそんな姿を隠蔽する。
 
そのため、少女像は、彼女が時に家族をために対応していた犠牲精神も、息子ではなく、娘が売られやすかった家父長制下の被害者性も、彼女たちを'強制的に連れて行った'、我々の中の加害者たちも見せてくれない。それで少女像は日本に抵抗して命を失った柳寛順(ユ・グァンスン)をよく似ている。
 
少女像が抵抗する姿だけ表現する以上、日本服を着た日本の名前の'朝鮮人慰安婦'の記憶が登場する余地はない。彼らの新たな生活と記憶、日本軍人を介護して愛して一緒に遊びながら笑った記憶を持った'慰安婦'はそこには存在できないことだ。そこには軍人を、自分と同じ運命に落ちた不便な存在とみなして同情していた慰安婦ももちろんない。
 
少女像には'平和の碑'という名前がついている。しかし、許しの記憶を消去した目は、恨みに満ちた目で彼女を見る人々に日本に対する'敵対'に参加することを要求する。したがって、'日本よりも朝鮮がもっと憎い'は、慰安婦たちもそこには存在しない。結果的にそこには'朝鮮人慰安婦はない'。
 
彼女たちが解放後、戻ってこなかったのは日本だけでなく、我々自身のためでもあった。つまり'汚された'女性を排斥する純潔主義と家父長的な認識も長い間彼らを故郷に帰って来られなかった原因だった。しかし、そこにいるのは単に成績でよごれた記憶だけではない。日本に協力した記憶、それもやはり彼女たちを戻ってこないように作ったことではないだろうか。言ってみれば、'汚された'植民地の記憶は'解放された韓国'には必要しなかった。それで大使館前の少女像は協力と汚辱の記憶を当事者も、見る人も一緒に消去してしまった'民族の被害者'としての冬日だけだ。
 
(中略)
 
そんな一人の、'被害者'少女たちが和服を着て日本の名前を持った'日本人'として'日本軍'に協力したという事実を知ったことになれば、同じ手で彼女たちを指差すかもしれない。慰安婦になる前にそのように幼い'少女'を追い込んだ'手'また、我々の中のまた違う手でもあったということは忘れたまま。
 
'朝鮮人慰安婦'という朝鮮人が日本軍と同様に抵抗したが、屈服し、協力した植民地の悲しみと屈辱を一身に経験した存在だ。'日本'が主体となった戦争に'ひかれて'ただけでなく、軍が行く先々で'ひかれて'しなければならなかった'奴隷'であることにはっきりしていたが、同時に性を提供してくれて看護してくれながら、戦場に発つ兵士に向かって'生きて帰って来い'と述べた同志でもあった。彼らは'韓服'を着たリボン頭朝鮮人でもあったが、和服を着て日本髪をした清楚な'大和なでしこ'でもあった。言ってみれば、朝鮮人日本軍と同様に'植民地の矛盾'を最も悲惨に生きた存在だった。
 
(中略)
 
慰安婦が代表する'植民地'体験は'記念'になって顕彰されるためにはあまりにも多くの矛盾を抱えている体験だ。'慰安婦'が'柳寛順'生じる恐れがないのはその点にある。もちろん日本が作ったシステムとインフラを享受した彼らも同様に矛盾を内包した存在にしかない。言い換えれば、植民地化とは、構成員のうち、誰もが分裂症を患うようになるしかない状態になることでもある。
 
(中略)
 
挺対協は世界に向けた運動で慰安婦ホロコーストと似た位置に置いてもらおうとするが、それはその差を無視したことだ。
 
少女像に代表される'慰安婦'に促したのは、実際には我々自身は日常の中では忘れて無関心に過ごすこと、すなわち'民族の娘'に存在してあげることだ。言ってみれば、我々は我々自身がしていない役割を彼女たちに任せているわけだ。
 
(中略)
 
そういう意味では少女像は、慰安婦の自分というよりは、挺対協の理想を代弁する像である。言い換えれば、少女像は'その時の朝鮮人慰安婦'というよりは、'最近の20年余りのデモ'で運動家になった慰安婦の姿だ。
 
(中略)
 
日本による被害を記憶することは重要だが、大使館前の少女像は半分の真実を示すだけだ。'朝鮮人慰安婦'という朝鮮人だけに残っていることができなかった植民地人だったに、一つの思い出だけを持つことはできない存在だった。
 
ところが、少女像はもう韓国内の別の場所(統営(トンヨン)、公州(コンジュ)など)で、そして米国にまで拡大する中だ。米国に設立された慰安婦記念碑は'強制連行された20万人の少女'という文言を入れている。そんなその碑は'慰安婦'に関する大韓民国の'公式記憶(実際に起こった事実がない)'を表現しただけの慰安婦そのものを表現したわけではない。
米国に慰安婦記念碑を立てたことは、日本を圧迫する方式に選択されたのだが、私たちが一つの記憶だけを掲げほど、慰安婦問題を否定する人たちはまた、他の思い出だけを想起するしかない。そしてそんなふうに各自の記憶だけを固守する限り、慰安婦問題の解決は来ない。
 

(翻訳:みそっち)
 


 
あっちの掲示板にアルバイト募集っていうカキコを投稿してみたの
 
 
 
イメージ 1
 
 
何だか反響が無いのは100万ウォンだからなのかなぁ
 
 
 
イメージ 5
(いま作ってみた)
 ※韓国人に限るって入れ忘れた ><;
 
 
これじゃぁVANKと一緒じゃない?
 
 
 
すると会費を集めて募集でもイイんだ
 

 
 
 
韓国人売春婦像をどーにかしちゃうには
 
 
イメージ 2イメージ 3[ニュースミーナ] ニホン大使館の前には常時ソウル警察がバス数台を止めてニヤニヤ見てるわけですね、大使館のお向かいは聨合ニュース、その歩道部分に置いてあるんですが道路と歩道の段差は15cm程度 スロープがありますから "個人負債に悩む韓国人タクシー運転手"あたりにお小遣いあげれば"単なる事故"で撤去できると思います。
あるいはトラックで目隠しをしてるあいだにロープをかけて引っ張ればOKかも、ブロンズ像の設置なんて韓国流だからすぐにやれると思うのです。
 
 
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▲左茶色のがニホン大使館、お向かいは聨合ニュースですね その先の歩道に"韓国人売春婦像"が置かれたのです。
 
(みそっちのソウルこぼれ話)  右側が聨合ニュース 右手前は警備員(民間人)詰め所  ニホン大使館は左側の茶タイルのバスの止まってるところ そのうしろに한일건설って見えますよね、工事中のハンイル建設って言うんですが韓日建設は資金難で2010年6月、ワークアウトを申請した。 http://www.hanilenc.co.kr/index.jsp
 
 
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▲ここがニホン大使館前 "韓国人売春婦像"が設置されるまえのグーグル画像です ふたり歩いているその後方に設置されました。
 
 
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▲画面左側のそこの段差の色違いなところに置かれたようです スロープがあるので車での体当たりは簡単に出来そうです しかも韓国は右側通行ですから逃げるにもイイじゃないですか
 
 
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▲ほらねクルマですぐでしょ やっちゃえ ソウル市内の在大韓民国日本国大使館(韓国の日本大使館)前を訪れ、公道上に不当に設置された「従軍慰安婦」(韓国売春婦)像に「竹島の碑」を贈呈より