最近は海でも巫習、やってます
韓国の巫習が変なとこで迷惑になっているらしい
ゴミに埋もれた文武大王陵…"権限ない"手を拱いた行政機関
[ニュースミーナ]夏休みになると、歴史の勉強も兼ねて家族と慶州を訪れる人は多いですよ。 水中陵である'文武大王陵'周辺も、慶州で立ち寄る場所の一つです。 ここが祈祷場所だという噂が広がり、毎日祈りが行われて騒音とゴミで苦しんでいるそうです。
祈祷場所って何だろ?
海辺の村の入り口からけたたましい鉦を叩く音が聞こえ、駐車された車両には並並ならぬ文句が貼られています。'大王岩'を合わせた慶尚北道慶州市陽北面ボンギル海水浴場。
最近、この海辺には数多くのグッダン(祈祷所)が設置されています。
近所の刺身屋の主人たちがシャーマンたちを相手で、時間当たり1~2万ウォンを受け取って賃貸してくれたわけです。
簡易テントの中ではシャーマンたちが準備しておいた食べ物たちを並べて太鼓とドラ、鉦の他は音で大変です。
家族連れや団体観光客が多くおとずれていた大王岩周辺の海の家はシャーマンたちの儀式に押され、倒産の危機に追い込まれました。
さらに、儀式が終われば、いけにえとして並べた豚の頭や餅、果物、マッコリ(どぶろく)などを海に捨てて海辺が汚しています。
[キム・ジョンイル/観光客:観光地にそのようなもの(儀式)が開かれてはいけません。 文武大王墓前にしては絶対にいけません。]
しかし、管轄行政機関は手を拱いています。
[キム・ウンラク/慶州市陽北面事務所:太鼓、チャングとしてするのに、他所に行ってやってください'とする強制できる権限がありません。]
歴史と絶景を抱いた大王岩遺跡がそのまま汚染されています。
(翻訳:みそっち)
文武大王(生年不詳 - 681年)が、死んだら骨を海に...50年くらい前に”ここでいいんじゃない?”という観光誘致レベルで墳墓として比定された海中岩礁が”文武大王陵”になっている文武大王のが死んでから600年ほど後に書かれた三国遺事には、文武王が自分を火葬して(ソラボル)の東の海辺に水葬して国を保つようにしてくれという遺言が記録されている。 記録としては文武王陵の正確な位置を知ることができない。この時から蔚山(ウルサン)大王岩は王妃の陵として次第に固められてきた。しかし、この著書について反対意見を出している学者らもいる。 蔚山東区出身であり、この地域に造船所が建設される際、諮問役割をしたキム・ビョンヒ博士(95)もここが王妃の王陵ではなく、文武王の陵という理論を展開している。蔚山(ウルサン)にある代表的国宝である盤亀台岩刻画に鯨の絵があるなど蔚山(ウルサン)は昔から今まで鯨都市に知られてきており、文武王碑文にいるこの物語が蔚山(ウルサン)の文武王陵が正しいことを説明するということだ。もう一つ、文武王、当時の地理的環境だ。 当時、徐羅伐(ソラボル)と蔚山(ウルサン)大王岩は馬に乗ったら、1日の距離であるのに対してガンポは700メートルを超える吐含山のすそがさえぎられて3日もかかった距離だったということ。慶州とガンポ間の直接道路は1960年代、朴正熙(パク・チョンヒ)政権当時、開通された。慶州の入り口の入室で太和江に達する東川川は独特にも北側(イプ)から南(太和江)に流れるが、当時の慶州で船に乗って蔚山(ウルサン)に往来したことがその証拠だとのこと。
大王の墓がワカンナイというのは新羅や高麗なんかの王朝が変わるたびに前の墓を破壊したからなんですが、どうやら西暦600年頃に文武王というのがいたらしいのです
そのひとの記録というのがただひとつ1300年ころに書かれた三国遺事書かれた断片だけのなのですね。そんなひとの墳墓、陵はどこにしようかという時に、蔚山の沖合いに”大王岩”っていうのがあって、これでいいんじゃないかと決めちゃったのが50年ほど前だということです、写真にもあるように海中にある岩礁なのですが、これが文武大王陵ということになったのですね
おなじような岩場がもう一箇所あって蔚山の沖合いと慶州甘浦でどちらも文武大王陵だと主張しているのです。しかしあっちのは王妃の陵だとか、そいじゃその王妃って名前はなんて言うんだというと”王がいれば王妃もいただろう”っていう程度なわけですね。
そんなところが最近になって巫習のメッカになって仮設テントがずらりと並んでお供え物を散らかしながら鉦や太鼓を叩いて問題になっているというのがニュースなのです。
韓国の巫習といえば普段は占い業をやっているのですが、本業は水子供養ですね。そこで韓国中の善男善女が我先にやってくるようになっちゃったというわけです。