minaQのつぶやき 네토미나

嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

厳正な法執行や信賞必罰を軽視する長い歴史


信賞必罰と法治国家に一番遠い国


イメージ 1[メディアミーナ]信賞必罰は、功労ある人に賞を与えて間違った人に罰を与えようという原則だ。

功罪による賞罰を施行し、公正な社会をつくることに反対する人がいるだろうか。 法治国家において法律を厳正に執行しようという主張に反対することができるだろうか。 しかし、韓国社会はこのような基本的な質問に確信を持っていると答え難いのが実情だ。

不幸にも韓国にとっては厳正な法執行や信賞必罰を軽視する長い歴史がある。 朝鮮成宗(ソンジョン)時代の深刻な日照りが続くと、朝廷では禁酒令を出していたが、いくつかの宰相がこれを破って、酒を飲んだ。
イムサホンが経筵(王の前で経書を講義する席)で宰相も法を破ったなら処罰しなければならないと主張すると、承旨がそろって"'宰相も禁令を犯した者は必ず罰して許してはならない'と話したのは、まさに商鞅(中国戦国時代の秦国の政治家)の政治のようなものだから、まさしく儒学者が言うようなことです"としながらイムサホンを処罰すべきだと反発した。 立派な政治家だった成宗王がイムサホンを積極的に保護することで、このことは中止されたという。

民が法を破れば厳罰に処するべきだが、宰相が破ったことを処罰しようとすれば、その主張する人を処罰しなければならないというのが正しい論理なのか。 性理学を教祖的に信奉する朝鮮士大夫官僚たちの法治認識は、偏狭に偏っていた。

 
信賞必罰の法制度を厳しく施行して辺境国家で急速に強大国になって天下統一を成し遂げた代表的な事例が秦だ。 500年以上継続してきた春秋戦国時代を締めくくり、統一を成し遂げた晋は法治行政と信賞必罰の成功例だ。 春秋戦国時代孔子孟子荀子、長者をはじめとする諸子百家が活動していた時代にそれこそ多様な警世理論と特出した思想家たちが溢れていた時代だった。
商鞅韓非子が代表する法家は他の思想家、特に儒学者とは違って強力な国家は君主の道徳性によって形成されるのではなく、信賞必罰の法制度と厳格な施行に造成されると力説した。 それで成功事例を作ったが、朝鮮の士大夫(サデブ)儒者たちは自分たちの主張と違う理論や事例には耳を傾けずに異端として非難した。

信賞必罰と法治行政を土台にした富国強兵論も同様だった。 国を富強にして外敵の侵略に備えるため、強い軍事力を維持することは、国家の当然の責務だが、朝鮮では儒学の原理に反する政策だと批判している。

朝鮮王朝実録に'富国強兵'を検索すれば、38件が出ている。 主に宋の王安石の新法改革や商鞅の法家と連携して王道政治の理念とは合わないという内容で記述されている。 太祖から成宗の時まで10回が言及されて中宗の時、10回、そして先祖以降は18回が出ている。 代表的な士林派改革論者である趙光祖は、富国強兵を仁義から外れた装飾品と罵倒する。

今も韓国社会には、法と原則が守られていると見ることはできない。 社会的弱者は法を破ったり、無理な要求をしても、黙認して同情論が生じる一方、慣行化された政治的特別赦免に、財閥や政治家など、強力な集団はあらゆる手段を動員して適当に法を回避する。 だから法の権威がなく、法治行政にならないのだ。

国が発展するには、何よりも法の権威を立てて信賞必罰の文化を作らなければならない。 能力と実績に依拠せず、各地域や集団間の適当に按排していいのが良かったというふうに分けることは上手くやろうとする意欲を阻害して上手な人に不利益を与える後進的な文化だ。

上手な人に賞を与え、ミスする人に罰を与えるのは、経済活動を促進する明確なインセンティブ制度だが、法治もまともにできなくて、信賞必罰も確立されなければ、先進国になることができるだろうか。 成果給という業務成果を測定して成果を多く出した労働者には多くの賃金やボーナスを与え、成果が少ない労働者には少なく与えよう、ということだ。
成果に応じて賃金をやるということになぜ韓国の労組は反対するのだろうか。 我々が直面した多くの問題を解決するため、特別な対策を模索する前に基本に立ち返り、必ずしなければならない原則からきちんと守るのが急務であると思われる。



(翻訳:みそっち)



儒教的思想が”近世のまま”の韓国の原点だと言われることもある”韓国型思考”だそうですが、じつは朝鮮時代末期から大韓帝国建国のころにかけて、あれほどまで儒教に執着していた韓国の両斑はほとんどが消えてなくなってしまっていたのです。たぶんニホンと第二次日韓協約を結んだ当時の大韓帝国李完用首相あたりまででひとり残らずいなくなってしまったのでしょう。
儒教とは自分の都合の良いふうに物事を解釈してゆくものであると考えます、これは現世でも儒教儒学を研究していると自称する輩には自己保身最優先な人物が多くこれを研究することでこの世のあらゆる出来事がどこかの誰かの責任であり自分ではないという責任回避をしようとする理論なわけです。そんなところが最近の韓国人に突発的に受け入れられたと見れば、根を同じくするキタ朝鮮にはなぜか儒教の儒の字も無いことが理解できると思います。

信賞必罰というとなにやら痛い感じがするのでそれを避けることこそが近世型儒教思想とも言える”韓国型思考”だと考えれば、借りた借金を返すのはバカであると考えるような韓国型思考はつい最近になって出来たものかもしれません。
これは、”被害者は特権である”と考える韓国型思考こそが朝鮮時代には無かった全く新しい考え方であることからも見て取ることができます。

ニホンが統治する以前の朝鮮は、思想だの思考だのといった分類とは遠くかけ離れた文字も読めない未開人ばかりだったことが知られています。それらが身分解放にも似た身分詐称を極めて短期間に全国的規模で成し遂げたわけですが、その際に学問としての旧来の儒教は失われたと考えることができるかもしれません。

えっ?

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