minaQのつぶやき 네토미나

嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

床ラーメン・おかず再提供・チゲにラーメン、これで全部つながった

 

食べ残しを家族に与える優越感ってやつ

韓国人の心の底のキムチ使いまわしにも根深い精神構造があったのだ

 

イメージ 2

[暮らしのミーナ]朝鮮の男性が食事をしているところと紹介されがちな一枚の写真がある。これについて「当時の韓国人は食事の量が多かったのだ」といった解説も見かけることがある。もちろんこれは事実ではない。この食事は彼の家族全員が食べるものを彼だけが優先して先に食べているシーンなのである。

 

朝鮮時代両班の男性の毎日の食事献立

 

すなわち、彼の家庭にあるすべての食器がこれですべてであり、彼が一通り食べた後の食べ残しを大きな汁椀にすべて入れて、それを残りの家族が囲んで食べるというのが朝鮮スタイルということだ。これを撮影したニホン人写真家はこのあとの様子までは記録しなかったのである。

 

ところがそういった事実は現在の韓国人にとっては認めにくいことである。そのため「当時の韓国人は食事の量が多かったのだ」という理屈が出てきたりするのである。

 

日帝統治時代になっても朝鮮人の食卓のスタイルには大きな変化は無かった。特筆すべきなのは、少なくとも朝鮮時代の生活食器の痕跡がほとんど見つからないということだ、どこにでも捨てられそうな茶碗のかけらさえも生活人口からみると限りなく少ないのだそうである。そうしたかけらの破片をあつめてみても、写真に出てくるような大型で少なくとも大勢で食べたとしか考えられない食器ばかりなのだという。

※朝鮮時代にはトイレが無かった。そのためトイレの遺構はひとつも発見されていない、しかし新羅高麗のころの遺跡からは汲み取り式のトイレの遺構が見つかっている

 

 

しかし朝鮮の両斑はそれぞれの食器を使っていたでしょう>>>>>。このように反論するひともいるだろう。これはそうじゃないのである。すなわち、儒教社会における大家族制度のなかでの序列を決定付けるために必要な手段として、「目上の人が箸をつける」あるいは「客人が先に箸をつける」下げた物を「残ったものを家族らが一斉に食べる」というのは両班社会だからこそなのだ。したがってお客用の食器は必要数は用意されていただろう、年に数回のお祝い事みたいなときにも食器が並んだことだろう。しかしここで説明しているのは普段の食事風景のことなのである。

 

それじゃぁ一般的貧民はどうしていたのかというと、序列はあいまいだったが、食べ残しをもう一度鍋に戻してそれを全員で食べていたということは確かだ。

たとえば戦後に確立した韓国料理のひとつに『部隊チゲ』という軍隊の残飯をあつめてそれを食べる文化が存在するが、このなかにインスタントラーメンを入れるのには彼らなりの理由があるらしい。

インスタントラーメンはその一食をひとりで食べるきる個食であり、その食べるスタイルはニホン式だ、これに反発する意味で、「ひとりで食べるラーメン」を、全員で混ぜて食べるチゲ(汁物全般)に入れてしまうというという説明が出来るそうだ。

 

そういえば韓国の『床ラーメン』も、一人飯スタイルを否定する彼らなりの生活スタイルだと見ることもできよう。

 

f:id:ninoQ:20210313233411p:plain

とんでもない韓国料理体験… - minaQのつぶやき 네토미나
とんでもない韓国料理体験… - minaQのつぶやき 네토미나

 

もちろん日帝時代には彼らの生活にも、徐々に食器の数が増えて行ったし、やがて現在の韓国式なキムチばかりが何種類も別々の皿で出てくる韓国式食堂のスタイルに変わってきたりもしている。

こうした現在の過剰なまでの皿の多さは朝鮮時代の大勢で囲んで食べる式文化を認めたくないという精神構造が作り出したしろものだと言える。

 

イメージ 2

 

しかし実際の韓国社会では学校や社員食堂などで見られる食盆(一体式のあれ)に根強い人気があることからも、彼らの食の起源はニホンとは全く違った歴史があることは確かなようだ。

 

 

f:id:ninoQ:20210313230941p:plain

▲朴正煕の頃の1970年代に再現された朝鮮式食卓のようす。夫婦が隣り合って食卓に並ぶというのは日帝時代でも朝鮮社会では見られなかった。すでに皿が多い

 

 

 

おまけ1936年正月ころの東亜日報の全面広告ページ

f:id:ninoQ:20210313232151p:plain

f:id:ninoQ:20210313232356p:plain