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嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

韓国の金色の食器の手入れ方法


韓国人のあこがれ金色の食器の手入れ方法


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3Mスコッチブライト ってさび落としかいっ
注:お仏壇の品ではありません、食器です





韓国軍1960年代の食器

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▲内側の目盛りは公平に分配するためにあるらしい

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▲これひとつが兵隊ひとり分の食器、材質はアルミ製
これが蓋であり、仏前用を思わせる組み合わせだ

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 ▲1人飯1食用 陸☆軍 남선긍업사

国軍盛切り飯の記憶

韓国軍の食事が全軍共通で調達されるようになったのは1970年代になってからである、それまでは各部隊が国庫から支給される食材費を自主裁量の範疇で各師団ごとに使っていた。兵士がキムチを漬けるシーンなどで見られるような軍隊自活の精神はそのころから具現していた。
写真にある大型のアルミ椀は1970年代の終わり頃まで使われた兵食アルミ椀大である、これ1つに麦40%の飯とキムチ(あるいはもやしのナムル)だけが当時の兵食だった。部隊の専用倉庫にはその年集められた米が積み重なり、これが年度替わりまでの部隊の主食を支えた。
日課の無い日曜日には部隊総出で近所の川に行き水浴びとともに魚を根こそぎ獲ってくることもあったし近所の農家と交渉して野菜類を仕入れてくることもあった。
とにかく食事絡みの争いごとが絶えず有り、国中が食べるものにも困っていた頃にもコメの飯が食えるというだけで兵役を志願する若者が1000人も並んだこともあったという。しかし年度替わりの主食料渇望期には食用倉庫が空になると腹の減る訓練は無くなり一日中寝ていたこともある。
兵食は十分な量が用意されているのが常だが部隊によっては烹炊(ホウスイ)課員らによる横領などが横行すると不足をきたす部隊も多かった※この頃の新聞では軍の食料倉庫からの横領が年に20件も起きていると記事になっている
このように兵隊各個に食事椀が支給されたことで、食糧難の時代でも兵役への人気は高かったが、やがて経済成長期になり食糧事情が改善されると兵食の質も見劣りすることになり、やがて食盆式の給食の時代を迎える事になる。




時代別食器の記憶

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1ガロン缶(3.8ℓ)
 
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▲バケツで取り分けられるラーメン

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▲七輪でつくるラーメンは”床食”が基本となっている
練炭を使う家庭は現在でもソウル市内に100万世帯ある


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▲大勢でラーメン鍋を囲むところ
お父さんにだけ”マイなべ”がある

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▲職場に”マイラーメンなべ”を持ち込む企業戦士
オフィスの事務机には当時最新型のカラー電話機

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▲床食という基本原理は今も守られている


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米食文化圏で韓国だけがちょっと違う


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▲どうみても一人で食べる分には見えないのは、まず家長が先に食べて
そのあとで食べ残した分を家族で回し食いをするため、家族全員分ってこと
ちなみに朝鮮時代の食卓に金属器の食器は一つもない



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朝鮮時代には箸を使ってはいけない身分があったらしい


どんな風に見えますか?みんなバラバラの食器でしょ。でもよく見てください、右のおじさんは小さな白い茶碗で食べてるでしょ、左の女性も今で言うラーメンどんぶりのようなものの前に小さい白いのが見えますね、真ん中の人もよくみると小さくてしろいお茶碗を持っています。おかずと汁は大皿ですけどね。 使ってる箸も金属製には見えないですよ。

一部の主張では、”朝鮮では山盛りご飯を食べて...”というような記述があったりします。これを信じちゃう人もいるようですが、ニホンからの農業視察団が朝鮮の農地を一目見て「灌漑、水路の整備で農地面積が2倍になる、苗代をつくり田植えが普及すれば収穫量はさらに倍になるだろう」これが、ニホン統治が本格化したらコメの生産量が5倍になるという怪挙ですからね。元々コメなんか食べる文化はなかったのでしょ。

※朝鮮では雑穀入りが普通だったようです。


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どうですか? 真鍮製のお茶碗なんてどこにもありませんね。こちらに至っては手づかみで食べてるじゃないですか、金属製の箸・茶碗なんてものは昔は無かったのです


◇ ◇ ◇

 
◆ニホンの主力輸出品目ってなんだっけ 
 
実は興味深い資料があります 1917年といいますからヨーロッパでは第1次世界大戦のころですが。ニホンの銅器輸出が世界一位だったんですね。 なにそれ?

あの仏壇などにつかう銅器ですよ、一膳めしの一本箸のアレです。あれが朝鮮で大人気ということになったのです この流行(特需)は1932年ころまで続いたといいますから。その間に朝鮮の食器はニホン製の仏壇にあるようなアレへと進化したようなのです。

ようやくやってきたその時代の朝鮮にはもう貴族はいませんでしたけどね


現在でも、”流行(流言)に敏感”な韓国人ですからね。当時なら、金色に見える真鍮製の茶碗を見て、『王侯貴族でも使わないような金色の茶碗だ』歓喜したことは想像に難くないでしょう。もちろんもっと喜んだのは銅器輸出で潤ったニホンでしたが。



そういうわけで真鍮色に輝く食器は朝鮮人のあこがれだったのです。  これって今にしてみると恥ずかしいですよね。
それで、”金属製茶碗起源説”というのが主張されたのです。 ”古くは高麗時代より金属精錬ギジュチュが盛んだった朝鮮半島では祭祀などに使われる金属器を広く庶民が食器として使うなど...”  こんなことですよ。

いまでも真鍮製の食器は高級品なのだそうです、だけどすぐに変色しちゃいますよね、それで最近では錫メッキされたものが主流です(5円玉の色じゃありがたくない)



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