海図から読む天安艦の謎⑥
キタ朝鮮潜水艦襲撃説の為には事故海域はぺニョん島西岸でなくてはならなかった
単独座礁事故隠蔽の為に最初報告と入り乱れる国防部発表 “空想襲撃現場”をぺニョん島西岸と決めた国防部はさらに妄想に“尾びれをつけて胸びれをつける” それでも足りないと見た国防部は さらに足を生やして事故原因を改ざんして“キタ朝鮮潜水艦襲撃説”の補強の為に手段を選ばない、“地震波と空中音波の観測”というデタラメに“合同指揮統制”KNTDSの偽記録を作り上げやがて陸に上がった“韓国人”は“エラ呼吸”しながら南大門の周りに草葺きの小屋を建てて住み着くようになる。もちろんヒゲを描くのもわすれはしない “長期倉庫保管”のガラクタを“天安艦襲撃キタ朝鮮製親環境緑色魚雷”にするという荒業を炸裂させて 「あぁ やっぱりネ」。 しかし平沢基地第2艦隊司令部第4倉庫保管の“天安艦襲撃キタ朝鮮製親環境緑色魚雷”の信憑性が失われたと見るや一夜にして“模造品”とすり替え“天安艦襲撃珍品魚雷”を隠そうとする “憲法原文や国璽を無くすような国がそんなに物持ちイイわけ無いニダ”と自虐するのさえ忘れることは無かった。
海上警察の状況図には“救助位置”と明確に記載されていたが国防部発表ではそこゎ“艦首部分漂流位置”となっている。潜水艦襲撃とキタ朝鮮関与を“国技発動の絶好のチャンス”と考えた国防部捏造班の当夜の行動には不審な点がいくつも存在する。
まさに国技の“オンパレード”状態だったろうしあらゆる手段を用いて“単独座礁事故隠蔽”を図ろうとした
▲衝突遭難現場はまさにぺニョん島“場村港”の目の前 しかしぺニョん島海兵隊部隊には救援要請をしなかった。 また陸軍・空軍にも事故発生を伝えなかった事実がある。
▲公開されたTOD画像での事故状況には“公開されなかった”方位に映っている天安艦の姿ゎ見ることが出来ない。 しかしぺニョん島哨所からは確かに見えただろう。
その時間の潮流は 21:47に低潮とある その前後30分余りは潮流なんか無かったのだ。またぺニョん島と大青島(テチョンド)の間の水路は低潮時には有効航行幅が180m程度しかない その場所でターンするなど自傷行為そのものだという意見もある。
それなのに天安艦は行ったり来たり折れたり潜ったりしながら世界中を笑いと蔑みの声で満たそうとした 水中万年准尉は潜水病で死ぬし ヘリコプターなどは“脳内妄想部品交換完了経費不正請求”で2機落ちちゃう。
こんな胸のすくような天安艦で もう少しアノ国を笑います。
天安艦事故翌日に海軍が指し示した状況図は何を表しているのだろう
案外大きかったあの地図をよぉ~~~く見る
あの38って何だろ?
地図上に現れた ●や38 は一体何を意味しているのだろう 当日天安艦救助していた海軍や海上警察の艦名を見ことができる ぺニョん島西側にいる4隻の海軍艦艇には 忠南艦 束草艦 城南艦などの名前がみえる、また緑色の“海上警察艦艇”の 1002号艇や 501号艇の名前も見ることが出来る
▲写真左下隅を見れば、37.54.16,124.40.41と記されているが、"最初座礁"とこれは同じペンで使ったと見られて、高潮:03:41/16:13,低潮:09:57/22:39,平均水面:6.4mと書き方が全く同じです。 また、37度54分16秒(北緯),124度40分41秒(東経)はすぐに"真っ赤な点"を示すのがおもしろいですね。
▲海軍が失踪者家族らに説明して使った作戦地図に書かれたメモ.失踪者家族が携帯電話で撮影したのを‘アジア経済’が報道した写真. ★印で書かれた部分には 水深6.4mとある もしもそこが事故現場だったとしても“自傷行為”であることに変わりはない しかし魚雷襲撃説としてはもっと沖合いの水深47m地点が理想的だ。
追跡60分<天安(チョナン)艦、何を残したか>で上の写真 “救助活動状況図”を置いて海軍関係者は録音を通じて"海軍で救助探索をどのようにしているのか説明する絵・・・・・"と説明する。
放送で公開されたこの資料写真は事故の知らせを聞いて平沢(ピョンテク)第2艦隊司令部で集まった犠牲者家族らの前で海軍が公開した作戦状況図を<アジア経済新聞>が去る3月27日とったのだ。この写真で指が示す所には'最初座礁6.4','4'と表記されている。 ※座礁って書いてあるんだ ふぅ~~ん
天安艦救助隊投入の真っ赤な原点周囲に数字"38"が見える.その周辺には○で囲まれた+ -表示もある。
捜索隊では無く救助隊ということだから当然3月27日撮影ということもあるのでこの時点では艦首部分や艦尾部分は公式には発見されていないハズだ。
私たちはすでに3月26日11時30分を前後して天安(チョナン)艦生存者58人が救助されたことを知っていて、また、上の状況図が その当時(3月27日)失踪者家族を対象に海軍がどのように救助探索をしているのか説明する絵という海軍関係者の話を上から見たので、数字"38"は真っ赤な原点に位置した半破された天安(チョナン)艦の片方にあると予想される失踪者の数字というだろう、追跡60分で失踪者家族代表は上の作戦状況図の真っ赤な原点真下周辺を指で指して軍がこちらに艦首部分が沈没したと説明したと伝える。
天安艦航跡途上の真っ赤な原点は私たちが十分知っている海上警察状況図にある救助活動位置と一致するというだろう。
やがて艦尾部分の事故位置捏造工作によって公式に艦尾が引き揚げされて艦尾捜索過程を通じて36体の死体が発見されたというニュースを見ることになる、先立って発見されたナム○○・キム○○中士を含んで全38人が死体で発見される.これらは全部艦尾で発見された失踪者らだった。
<天安(チョナン)艦失踪者44人中36人が沈没21日ぶり4月15日冷たい死骸で発見された。>
これで天安(チョナン)艦沈没で犠牲になった将兵は先立って発見されたナム・キフン・キム・テソク中士を含んで全38人に増えた。8人は艦尾内でも発見されなくて流失憂慮をもたらしている。
天安(チョナン)艦艦尾引き揚げ作業を始めた軍はこの日午後11時現在まで失踪者36人の死体を収容して身元を確認したと明らかにした。
だが、イ○○中佐(40)とチェ○○少佐(38),パク○○中士(29),パク○○下士(24),場○○下士(22),パク○○下士(21),カン○○一等兵(21),情○○兵長(20)等8人は艦尾内で発見されなかった。これらは当初艦尾内に留まっていたと推定されると軍は伝えた しかしこの日午後11時頃捜索を中断した軍は16日また捜索に出る予定だが追加発見の可能性は低いと伝えられた>
この“38”という数字が後ほどになって艦尾部分から発見される失踪者(死者)数だとしたら海軍は事故翌日には死者数を確認していたと考えなくてはならない 事故から3週間後の4月15日にわかる事実を事前に知っていたということだろうか
それは “行方不明者”とされる8名分を差し引いた“艦尾部分で発見された遺体の数”と正確に一致するからだ
しかしこの時点で艦尾部分で発見される正確な死者数は誰も知るはずがない
( 総乗組員 引く 生存者数 ) これがその時点での行方不明者数であることは間違いないのだけど。
ところが国会答弁での応答にこんなのが
質問:パク・ビョンソク議員
大統領が‘初期対応がうまくいった’このようにおっしゃったが総理もそのように考えておられているかそして何がうまくいったと考えられるのかちょっとおっしゃって下さい。
大統領が‘初期対応がうまくいった’このようにおっしゃったが総理もそのように考えておられているかそして何がうまくいったと考えられるのかちょっとおっしゃって下さい。
お答え:国務総理チョン・ウンチャン
全般的にうまくいったとは考えません。単に大統領が初期対応がうまくいったとおっしゃったことは艦長が甲板にあったある20人程度の乗務補助員らと共に船首にあった、38人ですね? 乗務補助員らを救助できたという意味で初動段階で対応が上手でこのように評価されたと分かっています。
全般的にうまくいったとは考えません。単に大統領が初期対応がうまくいったとおっしゃったことは艦長が甲板にあったある20人程度の乗務補助員らと共に船首にあった、38人ですね? 乗務補助員らを救助できたという意味で初動段階で対応が上手でこのように評価されたと分かっています。
艦首船体に38人がいたし艦首からおりた救命艇に残り人員(20人)がいたという声となる。
それなら3月27日の海軍状況図は艦首部分での生存者救助現況を数字で表記したものだろうか。
それなら3月27日の海軍状況図は艦首部分での生存者救助現況を数字で表記したものだろうか。
時間差救出劇はこちら
引き続き11時2分高速短艇1号はまた12人を救助したし、11時20分2号が艦長を含んで12人を、最後に救命、水中にあった12人が11時35分に救助された。 全56人が海上警察によって救助されたのだ。 残り2人は民間漁船の仁川(インチョン)227号(船長キム・ジョンソク)により救助された。
海上警察側は天安(チョナン)号が肉眼で完全沈没した時点を11時20分だと伝えた。 なので海上警察救助船が到着して天安(チョナン)ハムが沈没するまで1時間5分がかかったわけだ。
海上警察側は天安(チョナン)号が肉眼で完全沈没した時点を11時20分だと伝えた。 なので海上警察救助船が到着して天安(チョナン)ハムが沈没するまで1時間5分がかかったわけだ。
なぜ46じゃないのか 20と 38を足したら 58だ
その時当時海軍は艦尾と艦首の正確な沈没地点も分からないといったし、上の記事が伝えるように上の8人が当初艦尾内にあると推定されるといった。
12人多い そっか 軍発表の“天安艦(事件)乗組員”の総数は104人っと これに 12足して126人でしょ
そこから天安艦の普段の定員85~90人を引くと なぁ~~んだ 一緒に沈んだチャスミル艦の乗り組み員数とピッタリ合いますね そーいうことでしたか うん
追伸:チョーセンジンを何人と数えるのは不穏当だというご忠告をいただきました 正確には“何匹”と数えるのだとか
しかしあっちの記事の機械翻訳なのでご理解頂ければとおもいます。