韓国の旅客船は船齢20年以上の中古旅客船
予算100億ウォンで600億旅客船の現代化?
表向きはもちろんのこと、内部もきれいで、操舵室にある装備もよさそうに見えました。 前に海軍の最新艦艇に乗った経験があるが、そのような船と比較しても決して遜色のない船ました。
でもびっくりしました。 乗務員に聞いたら、この船が90年代初めに海外で作られた船齢20年以上の中古旅客船だということです。
■大きな旅客船であればあるほど古い船
それで、沿岸旅客船の現況に対する資料を探してみました。 一番最近の資料は昨年に集計された資料でした。 旅客船168隻のトン数と旅客定員、スピードと進水年度、運航航路などが書かれていました。 一部の旅客船は運航が中断されたりはしたが、とにかく一番最新資料でした。
この資料で最も目立ったのは規模が大きい旅客船であればあるほど、船齢が長くなったという点でした。 168隻のうち1,000トン以上の中大型旅客船が12隻だったが、最も最近作られた船でも船齢が17年、最も古い船の船齢は29年でした。
平均を出したところ、23年が出ました。 ほとんどが中古で導入された旅客船であり、船齢制限25年を目前に置いたり超えた状況でした。 なぜなのか気になりました。 造船強国の大韓民国ではどうして中・大型旅客船はほとんど外国から輸入した中古なのでしょうか。
旅客船企業の数ヵ所に電話をかけて聞けました。 答えは、やはり'金の問題'でした。 セウォル号の大きさである6千トン級の船を新たに作るためには600億ウォンから800億ウォンが必要だが、零細な業者たちにはとても大きなお金だということです。 それで200億ウォン程度の中古旅客船を主に日本から輸入して運営し、船齢制限が近づくと、再び第3国に中古で売るということです。
■曖昧な大きさ6千トン級
今回は造船会社に電話をかけて聞けました。 韓国が造船大国だが、旅客船程度は安い価格の優秀な品質で作ることができるのではないかと問い合わせました。 そうしたら収支が合わないという答えが返ってきました。
韓国の大型造船所は、主に超大型タンカーや遠洋漁船、クルーズ船のような高付加価値船舶を製造するのに、そんな船を作るための超大型ドックに旅客船を上げておいては赤字だということです。 ※クルーズ船は作ってないし
もちろん、2千トン以下の中小型旅客船は韓国の中小造船会社がたくさん作っていたが、6千トン級程度の旅客船は小型造船会社が作ることはとても大きくて、大型造船会社が作るには小さすぎるという話でした。 さらに、カーフェリーや超快速船のような場合、標準船形が作られなくて初期の製作費用がとても大きいという説明も出ました。
船齢が重要ではないという意見もありました。 保守がうまければ、30年船齢程度の船も運航に何の問題がないということです。 セウォル号も不法の増築と貨物過積載、平衡水の除去などが事故の原因だっただけで、船の老朽化のため惨事が起きたわけではないかという指摘でした。
■セウォル号2周忌...合意はどこに?
しかし、もっと重要なのは'社会的合意'という気がしました。 セウォル号惨事後、立ち後れた旅客船を現代化し、第2の事故を未然に防がなければならないという社会的合意があり、政府も、惨事から、数回にわたって旅客船の現代化計画を発表したからです。
それでも昨年の沿岸旅客に新たに投入された船4隻のうち3隻がやはり外国から入ってきた中古船舶でした。 5千トン級3隻がすべて90年代前半に建造された中古の旅客船であり、2,100トン級の比較的小さなカーフェリー1隻だけが国内で新たに作られた船でした。 '社会的合意'が履行されていないという意味です。
このために政府は、今年に入っていわゆる'沿岸旅客船の現代化ファンド'政策を発表しました。 旅客船を建造費用の半分を政府が出資して、残りの35%程度を金融機関で対処し、旅客船会社は15%程度の費用で船を新たに作ることができるという計画です。 旅客船も現代化して、造船産業活性化も期待できるという一石二鳥の政策としました。
しかし、見通しはあまり明るくないです。 ファンドというのも、結局は、収益が継続して発生するところに主に投資になるが、沿岸旅客は季節によって収益がギザギザだからです。 また、大部分は赤字です。
セウォル号惨事後、仁川(インチョン)から済州を往来する路線の旅客船が全て中止されて、現在は貨物船だけを往来しているが、この路線の旅客船事業を水産協同組合中央会が検討していたが、収益性がないため、放棄したという話も聞こえるほどです。
■船舶価格は600億ウォンだが、政府予算は100億ウォン
さらに、この沿岸旅客船の現代化ファンド事業に策定された政府の今年の予算が100億ウォンと申します。 金融機関が半分を当てて200億ウォンを作ると言っても、6千トン級旅客船を建造費用600億ウォンにずいぶん不足した金額です。
2019年までに政府出資金を1,000億ウォンに増やすと言うが、果たして初年度予算100億ウォンにその意志が込められているかどうか疑問です。 2020年までに老朽化旅客船63隻を新しい旅客船に変えるという政府計画の現実性が肌で感じられない理由です。
韓国は三面が海で囲まれています。 済州道(チェジュド)と鬱陵島、独島などの島は経済はもとより、安保にとっても極めて重要なところです。 セウォル号惨事後、政府は島嶼地域旅客船公営制を検討すると発表しました。 しかし、今は事実上白紙化状態です。 沿岸旅客船の真の現代化に向けた韓国社会の合意と意志が再び必要な時点です。
(翻訳:みそっち)
まあ作れないものは作れないんですね、ニホンでは氷川丸(横浜にあるでしょ)っていうのが戦前からあって戦時中は病院船だったしその後は復員船にも使われました。
鳳翔っていうのも戦後には復員船になってたし、未完成だった航空母艦の葛城も復員船に使われたそうです、旅客船だった氷川丸なら着の身着のままのひとを載せるのに不自由しなかったでしょうけど、航空母艦じゃただ広いだけですからね、さぞかし大勢乗れたことでしょう。 ※葛城はラバウルまで行っているよ。
さて、じつは韓国軍にも復員船があったことになっています。 なっています
過去カキコ:ベトナム戦争末期に韓国艦船がお迎えに行った?
ある日突然主張され始めた”南ベトナム撤収作戦”ですが、米軍によるアメリカ人撤収作戦もゴタゴタしていたのになぜか日にちをずらして”定員 約211名 他に兵員約150名”の船に800人づつ詰め込んで>>>そんなファンタジー
[単独]極秘撤退「南十字星作戦」38年ぶりに光見る
「南十字星勇者」ベトナム参戦を認めないから受け入れへ
2013.6.6
http://news.sbs.co.kr/news/endPage.do?news_id=N1001821589
[ハノイミーナ]ベトナム敗亡直前に現地の私たちの同胞と大使館員を撤収させるための作戦が極秘裏に進行されました。いわゆる南十字星作戦です。しかし、命をかけた作戦を成功に導いた軍人たちは、38年の間に退役軍人の待遇を受けられずにきました。政府が方法を見つけてみることにしました。
<記者> ベトナム敗亡直前の1975年4月3日。 上陸作戦用艦艇「開峰艦」に秘密作戦命令が通達されました。 ベトナムでまだ抜け出せていない同胞と大使館員を本国に帰還させろという命令でした。
[バクインソク/予備役大佐、当時「開峰艦艦長:これは絶対極秘だ、私たちは死ぬ覚悟をして出発したのです。敵地に行くために、すべての覚悟をして...。]
国防部では法改正を推進していませんという反論がすぐに出ました。
南十字星作戦に関する韓国国防部の立場について
http://m.mnd.go.kr/mbshome/mbs/mnd_m/jsp/board/view_m.jsp?boardId=I_42745&boardSeq=o_52000000000203&page=10&id=mnd_m_010300000000SBS「極秘撤退南十字星作戦”38年ぶりに光を見る”」報道関連
いわゆる南十字星作戦に参加した方々を退役軍人として認めるには、関連する法律の改正が必要とされます。
*関連法律:参戦有功者礼遇および団体設立に関する法律
上記の法が改正されるためには、
まず、同法で規定されているベトナム戦争参戦期間(1964.7.18~1973.3.23)作戦に参加していただいた方の中から代表団の性格を考慮して参戦が認められていない方との公平性を考慮しなければなりません、
第二に、関連する専門機関の詳細な検討とベトナム戦争参戦兵士の多様な意見を集約する必要があります。
国防部は現在ベトナム戦争有功者の参戦日についてベトナム敗亡日のあと1975年4月30日まで延長する法改正を推進していないことをお知らせいたします。
何度も同じ主張をくりかえすんです、それがやがて歴史になるんですね
サイゴン陥落は避けられない状況となり、アメリカ政府および軍は4月28日に国家安全保障会議を開き、アメリカ軍や政府の関係者と在留アメリカ民間人、アメリカと関係の深かった南ベトナム政府上層部のサイゴンからの撤退方法についての緊急討議を行い、サイゴンからの撤退作戦である「フリクエント・ウィンド作戦」を発令した。作戦開始後、市内のアメリカ政府やアメリカ軍、南ベトナム軍の関連施設からアメリカ軍や政府の関係者と、グエン・バン・チュー元大統領やグエン・カオ・キ元首相をはじめとする南ベトナム政府上層部やその家族、在留アメリカ人らが、サイゴンの沖合いに待機する数隻のアメリカ海軍の空母や大型艦艇に向けて南ベトナム軍や米軍のヘリコプターや軍用機、小船などで必死の脱出を続け、空母の甲板では、立て続けに飛来するヘリコプターを着艦するたびに海中投棄し、次に飛来するヘリコプターや軍用機の着艦場所を確保した。フリクエント・ウィンド作戦に関するアメリカ軍の公式記録では、述べ682回にわたるアメリカ軍のヘリコプターによるサイゴン市内と空母との往復が記録され、1300人以上のアメリカ人が脱出に成功、その数倍から十数倍の南ベトナム人も脱出した。なお作戦中に海中投棄されたアメリカ軍や南ベトナム軍のヘリコプターは45機に達した。
しかし、在留日本人は、アメリカ人や南ベトナム人の撤退を行うことだけでアメリカ軍が手一杯なことや、日本が直接参戦していないことなどから、たとえ日本人がベトナムに残っても北ベトナム政府や市民などから迫害を受ける可能性が低いことなどを理由に、アメリカ軍のヘリコプターに乗ることを拒否された。また、自衛隊の海外派遣が禁じられていたために、欧米諸国のように政府専用機や軍用機による自国民の救出活動が全く行われなず、日本政府による救援機も運航されなかったために、混乱下のサイゴンに取り残された。
また、かつてはアメリカ軍とともにベトナム戦争に参戦していた韓国人は、「アメリカ人や南ベトナム人の退去活動で手一杯であること」を理由に日本人と同じくアメリカ軍機による撤退への同行が拒否され、その結果駐南ベトナム大使以下の在留韓国人の殆どが、反韓感情が根強く残るサイゴンに取り残された。残留韓国人は、国際赤十字指定地域とされた市内の病院に避難し迫害を受けることはなかったものの、その後しばらく帰国することができなかった。
このように南ベトナムの駐在韓国大使もしばらく帰れなかったのです。
◇ ◇ ◇
というのが”南十字星作戦”に参加したと言いはる人の主張ですが、これはとんでもないウソであると見ていいでしょう。
▲こんな船ではるばる
ほかの国の人の見ていないところだけで
活躍するふしぎな国のおはなしでした