minaQのつぶやき 네토미나

嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

20年前の亀船(亀甲船)存在の証拠騒動

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亀船(亀甲船)というものの存在を証明する物は現在でも何もない

過去には”龜艦”の文字のついた大砲を作って沈めておいて発見したこともある
切羽詰まった”常勝李舜臣将軍”400年記念だった1992年という年

今日は2016年9月27日


イメージ 2[その日ミーナ]1992年8月18日、海軍士官学校を中心に組織された'忠武公海戦の遺物発掘団'慶尚南道統営郡閑山島ムンオポの西北460m海域の海底で朝鮮時代のものと推定される銃筒を引き揚げた。

調査の結果、銃筒の砲身には'万暦ビョンシンニョン(1596)6月仕事の製造して載せたビョルファンジャ銃筒(萬曆丙申六月日造上別黃字銃筒)'と'龜艦の別黃字銃筒は敵船を驚かせ,一発を発射すれば必ず敵の船を沈没させている(龜艦黃字驚敵船一射敵船必水葬)'という文が刻まれていた。

萬曆丙申六月日造上別黃字銃筒 龜艦黃字驚敵船一射敵船必水葬

イメージ 3龜艦'という文字は、これまでの記憶にだけ伝えられただけであり、実物では何一つ手がかりを伝えない亀甲船の存在を証明するものだったことに、歴史学界と考古学界は一気に興奮のるつぼに陥ることに十分だった。
そして発掘してからわずか17日が過ぎた9月4日、文化財庁はこの別黃字銃筒'国宝第274号龜艦別黃字銃筒'に指定した。


'国宝第274号龜艦別黃字銃筒'

壬辰倭乱当時に製作されたものとはいえ、前例にないほど迅速な対応だった。 いくら重要な遺物でも十分な検討を経た後こそ初めて、宝物に指定されて、数十年が過ぎて、ようやく国宝に昇格されるという点でも、国宝指定過程はあまりにも早かった。

龜艦黃字驚敵船一射敵船必水葬の文字が見える▶


海軍のスローガンにも採用されてみたり

国宝になった別黃字銃筒は鎮海市の海軍士官学校博物館に所蔵され、海軍は後にこれをもとに、実物の復元はもちろん、砲撃試験まで実施するに至っており、砲身に刻まれた'一射敵船必水葬'は、海軍全体のスローガンに浮び上がるようになった。 このように。
また壬辰倭乱400周忌を迎え、全国的にも高い関心が集中されたのはもちろん、韓国ではニュースでも各紙が6段ぶち抜きで大々的に報道した。


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▲白服がお手柄のファン大佐


38トン級小型探査艇一隻と運営要員がわずか30人の超ミニ発掘団としては信じ難いほど大きな業績をあげたので、発掘団長ファン・ドンフヮン大佐(海士22期)には報国勲章三一章が授与された。 ※海士22期は1968年に士官学校卒業


(翻訳:みそっち)




ファン大佐、ちょっと自慢をしたのが耳に

発掘後、4年が過ぎた1996年5月、光州(クァンジュ)地方検察庁順天支庁は水産業者のホン某さんを貝採取の許可と関連した賄賂事件で調査していたところ、ホン氏から"ファン・ドンフヮン大佐にも金を渡したが、彼から国宝別黃字銃筒は偽モノという言葉を聞いた"という話を接している。
これに対して検察は別黃字銃筒を発掘していたファン・ドンフヮン大佐を密かに呼び、調査をしたが、ファン大佐は"私もそのようなうわさを聞いたりしたが、海軍の名誉もあるんだからいい加減にしてほしい。"という言葉をいう。

正常な状況なら、ホン某容疑者の言葉が事実無根とし、腹が立ち、明白な珍品だから調べてみると全部出るだろうとし、堂々と出てこそだが、ファン氏の態度は、誰が見ても怪しかった。 当然検察はこの言葉を見過ごすことはできず、そのまま証拠をつかむため、捜査に着手した。 捜査とは別途に、ファン大佐を再び召喚して、自白を誘導したが、ファン氏の態度は変わらなかった。


李将軍から400年なのに何一つ証拠が無くてあまりにも悔しくて

二ヶ月が過ぎた6月半ばになってファン大佐は結局、事件の全貌を吐露した。 "ホン某氏を通じて骨董品商シン・ヒュチョルが持っていた銃筒を買ってこれを海に落とし、発掘したように見せかけており、この過程には海軍士官学校博物館長チョ・ソンド大佐(当時死亡)も関与したということ"だった。 6月18日、海軍はこれを公式発表し、学界はもちろん全国民が衝撃と恐怖に陥った。

まもなく 銃筒を売ったシン氏の家で制作時期がわからない銃筒13点と文字が刻印する道具が発見され、数日後、逮捕されたシン氏が彼の娘婿と一緒に銃筒を作って字を刻んだ後、その上に化学薬品を入れて腐食させ......


◇ ◇ ◇ ◇


ということがあったのです。まぁ捏造は韓国の文化ですからね


ちいさなトリビア

'一射敵船必水葬'は、海軍全体のスローガンに浮び上がるようになった
漢字で書かれたこの7文字が1990年代の韓国海軍を象徴するスローガンだったのですが、ニセモノという自白もあってこの7文字は使われなくなり、使用禁止になり、海軍の掲示板でハンドルネームに使おうとすると現在でも投稿文が削除されるとか
さらにこの漢字7文字を水兵らに読ませないためにハングル教育が強化されてみたり
亀船(亀甲船)の存在した直接的証拠が何一つ無いことから、想像上の亀船の復元事業が強力に進められて海軍士官学校には実物大の亀船(亀甲船)がつくられて大いに宣伝されてみたりした挙句に亀船(亀甲船)を復元する動きが急に高まって地方自治体が競って亀船(亀甲船)を作ったりする惨事となりました。


えっ? 亀甲船ですか? あれは慶長・文禄の役から60年くらい後の家光の時代に朝鮮で創作された読み物(李舜臣直筆の日記)のなかにも登場しないんですよ。つまりそんな小者なんて当時まで誰も知らないわけです。
彼の死後200年くらい後の正祖の時代の朝鮮実学で、歴代の王に諡号が乱発された時にひねり出されたのが李舜臣将軍の活躍ってことです。(正祖の時代を朝鮮のルネッサンスと評するよね)



なんで朝鮮ではそんなウソを考え出したのかというと、中国の清に全面降伏しておつむゴンゴン(三跪九叩頭の礼)してたでしょ。王様の権威は地の底に落ちていたんですね。それじゃぁあんまりだっていうので負け戦を書き換えることが行われたのです。

それがいまでも継続して行われているということですよ。
亀甲船なんてものは脳内に存在するだけのファンタジーなんです。
そんなものはありゃしません



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