minaQのつぶやき 네토미나

嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

韓国の反企業情緒ってなんだ?



嫌いきらいのニホンに韓国人が押し寄せている

矛盾しているようでも実は韓国型思考から見れば当然の行動


イメージ 1[ソウルミーナ]世論調査によれば、若者たちはほとんど反企業情緒を持っているという、サムソンのような企業が嫌いだという。その一方で不思議なことにサムソンのような大企業に入って行きたがる若い人がまた圧倒的という。
昨年のサムソンノート7発火事件では国民の大半が ”天罰を受けた、ザマみろ” などの感情をむきだしにしたがサムソンへの就職志願状況はかえって競争率が上がったというから驚きだ。

ではどのような条件が揃って反企業情緒が生まれるのだろうか。まず、社会制度について信頼していないほど、企業に対して否定的に評価する。第二に、若い世代ほど、そして教育のレベルが高いほど、反企業情緒が高いことが分かった。第三に、家計の所得水準が低かったり、大都市で成長していない人が反企業情緒を持っている

韓国では大企業が軍事政権の保護を受けて発展してきたことも考えに入れる必要がありそうだ。70年代の維新政権は60年代不正蓄財者断罪論理を名前だけ変えて企業にそのまま適用した。1973年に発表された「反社会的企業名簿」に含まれている企業は、5年間の信用融資を行うことができないようにする金融規律を受けました。しかし、当時、どのような基準で、特定の企業が反社会的企業名簿に含まれているのかは明らかにしませんでした。80年代になり新軍部は強圧的な政権の要求に応じない企業を解体しながら、結果的には、企業を圧迫して、非常に親密な関係を維持し、自分たちの必要な部分に利用したことが明らかになっています。

「韓国で反企業談話は、国の象徴暴力」
 60年代は不正蓄財者、70〜80年代は、反社会的企業である、90年代には、不良企業/退出企業、そして経済民主化の反対側に財閥を位置させた、現在に至るまで、政府の企業烙印を撮るには持続しています。開発独裁時代には、政府は、企業の好みを与えながら、一方では、鞭で道応じました。このような流れが新軍部と文民政府部経ながら、企業が優遇措置を得るというよりは損をしたくない、一種の保険で、政府の要求に従う傾向が強くなりました。これに対してギムスハン高麗大学助教授は、国が企業に「象徴暴力」を行使したものと規定します。「韓国で反企業談話は、特定の事件や、特定の企業や企業の逸脱的行動によって、一時




韓国社会の反企業情緒。何が問題なのか?
まさか何かを勘違いしたまま大きくなっちゃった?

まず指摘できることは、私たちの社会では、民主主義と資本主義の間の葛藤が相当部分深く形成されているという点である。周知のように、民主主義は1人1票の原則と接続されている。すべての国民は、この法律の前に平等であり、すべてに一票が与えられながら代表者を選出する投票行為がその核心的な制度となっている。平等の価値が最も優先される制度である。
しかし、資本主義を見ると、少し違う姿が目に走る。企業組織を動かす制度における資本主義の花と見ることができる株式会社制度を見ると、「1人(人)1票」ではなく「1株(株)1票」の原理が働いている。1000株を保有している1人は、1株だけを保有している1000人の株主のような持分権を行使する。制度の設計上当然のことながら、民主主義的な観点から見れば、不合理に見えることができる構造である。

これは、効率性を追求する資本主義的論理の結果であり、株式会社制度を通じて資本主義の発展が相当部分からなる部分が存在するが、平等性を追求する民主主義的論理とは、いくつかの相反する姿が現れている。


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持つ者は悪であり、寄らば大樹の陰というそれぞれの考え方に単に忠実に行動しているだけということだ。
韓国には生麺が無いというハナシがあるが、工場製品であるインスタント麺への絶対的な信頼はそれこそ異常だ。韓国の代表的ブランドである”疹ラーメン”にゴキ○リが入っていても記事のコメント欄が騒がしくなるのはせいぜい半日がいいとこだ。
韓国では市販の冷凍ギョーザに何が入っていようともメーカー謹製の冷凍ギョーザの位相が変わることなどない。ギョーザも麺もひとが作る物だが、韓国では”個人事業者”への不信感の方が大きくて、”手打ちうどん” などのようなものが存在しない。工場製品に衛生的な不安があっても個人事業者の厨房で作られるものよりもマシだと考えるためだと考えられる。それほどまで他人への不信感は根強いものがある。



鋭意加筆中