minaQのつぶやき 네토미나

慰安婦像の首が落ちる日を待っていてくださいな

生活逼迫傷痍軍人はニセモノ

 
お涙頂戴コンビニでコーラを泥棒 生活逼迫傷痍軍人はニセモノ
 
砲弾の破片で負傷は真っ赤なウソ 公傷軍人ってサッカーしてても認定されるよ
集めた200万ウォンの寄付金はそのまま彼の手に残ることにラッキー
 
あちこちで話題に
 
イメージ 1[暮らしのミーナ]1800ウォンのコーラを盗んで警察に捕まった30代男性が18年前の第1延坪海戦に参戦した負傷した退役傷病軍人であることが明らかになったと報道したが、翌日になると実際に戦闘に参加したことの無い兵隊だったことが判明して軍関係者や警察はもちろんのこと市民の間からも失望の声が上がっている。
 
ソウル江東警察署は、先月コンビニでパンを買う際に、1800ウォンのコーラを盗んだ疑いを受けるチョ某(38)氏について即決審判(軽微な犯罪事件を対象とする略式裁判)を請求したと24日明らかにした。
警察によると、チョ容疑者は5月28日、ソウル江東区コンビニエンスストアで6600ウォン分のパンを買った際、従業員にこっそり1800ウォンのコーラを服の中に隠して店を出ようとして発覚した。チョさんは「お腹が空いてパンを買いに行ったら飲み物を買うためにお金が足りなかった」と述べたと伝えられた。
 
 
投資詐欺に引っ掛かり5000万ウォンの借金まで供述 ホントか?
警察の簡単な取り調べの結果、チョさんは、1996年6月の第1延坪海戦で脇に砲弾の破片に当たって負傷した国家有功者として、けがの後遺症のために、一日にも2〜3回耐え難いほどの痛みに苦しみ、毎日病院で治療を受けることが確認されたことになった。
当時、大学を休学して海軍に入隊したが、第1延坪海戦でチョさんは負傷し持病まで悪化して20回以上の手術を受けた後に除隊したという。
チョさんは毎月出てくる有功者の年金170万ウォンに依存して生きてきたがそれさえも投資詐欺に騙された5000万ウォンの借金返済に大部分を使っていると警察に供述した。
警察によると、チョさんは、毎月110万ウォンを融資に返して、残りの60万ウォンで考試院で生活していることになった。
 
チョさんは「有功者の名誉を失墜させる行為をして後悔している」とし「二度と犯罪を犯さない」と述べたことが分かった。
 
 
 
コーラ盗んだ延坪海戦の勇者」は、実際に「参戦軍人」ではなかった
最近コンビニで1800ウォンのコーラを盗ん警察に発覚した30代の男性チョが第1延坪海戦の退役軍人という事情が伝えられ切ないという反応が沸き立った。しかし、この男性が、実際には参戦していないという事実が明らかになった。
聯合ニュースによると、軍当局は26日、チョ氏が「マスコミに報道されたものとは違って、第1延坪海戦に参戦していない"と述べた。
チョは警察に捕まった直後、自分が1996年の第1延坪海戦で「脇に負傷した国家有功者」であり、「一日も2〜3回耐え難いほどの痛みに苦しんでいる」と述べたが、これも事実ではなかった。
 
軍当局は、チョ氏が「第1延坪海戦当時、第2艦隊司令部所属だったが、戦闘に参加していなかった」と聯合ニュースに伝えた。これに地元の人々は残念な事情を接して寄付200万ウォンを集めチョ氏に渡したことがある。
東亜新聞によると、チョ容疑者が軍服務中に「健康が悪化したのは事実」である。軍生活の中で持病が悪化し、国家有功者である「公傷軍警」に分類されたということ。これ軍当局は、聯合ニュースにチョ氏が「退役軍人ではない公傷軍警に国家有功者だコーラを盗むだけ生活苦に苦しんことは非常に残念だ」と伝えた。
 
 
美談だからね寄付金は取り戻さない方針
一方、聯合ニュースによると、先月28日にチョ氏をコンビニで捕獲した江東警察署はチョ氏が「国家有功者として十分に困難な状況に置かれている」とし、支給した寄付金を取り戻さない予定だと明らかにした。
警察関係者は「若い年齢で国のために身を捧げたチョさんは自力で生きていくの長さはるかに遠い状況」とし「切なさを感じた警察関連団体と従業員が寄付約200万ウォンを集めてチョ氏に伝えた」と述べた。
 
 
(ソウル/みそっち)
 

 
 
第1次延坪海戦(1999年7月)とかっていうと何やらドンパチしたような誤解を受けがちですが戦果はすべて推定で、破片も見つかっていないという脳内交戦だったのですね。
そりゃ海の上ですからね、背伸びしたってすぐ向こう側の敵情が分かるわけじゃないのです。
ところがそうなると俄然張り切るのが彼らの習性なんですよ。当日の様子はその日のうちに〝敵指揮官戦死、敵艦3隻以上が炎上、敵将兵に150人以上の負傷者〟なんて言うのは序の口で、忘れたころに、キタ朝鮮軍で人事異動があると〝延坪海戦の敗戦の責任を取らされて降格〟なんてことが嬉しそうに記事になるのです。
 
たしか第1次延坪海戦では韓国海軍から7人くらいが昇進してるんですが、7人って何でしょうね? ひとつの船に7人しか乗って無いわけはないですから、機銃を撃ったひとや大砲を撃ったひとが「命中させました」と言えばそれでOKだったようですよ。
韓国の高速艇ってたしか30人位乗り組みなんですよね。すると機関銃や大砲の係じゃないのも乗ってるわけで、そういうのから不満が出たというハナシはありませんでしたが、全員もれなく何らかのご褒美が貰えたらしいですよ。
んでもね、艦底で油の心配してる兵隊なんかが「上の方で何かやってるようだぞ」くらいのことしかわかんないわけですよ。ドンパチしてるところを見に行ったらそれは職務放棄ですからね。となると証人なんていうのは全然いらないわけです。
 
あのほら、白頭山艦のウソがあるじゃないですか。あのへんから伝統があるんでしょうね。
そういえば天安艦なんかも単独座礁事故なのか味方の機雷が爆発したのかはっきりしてませんが、死人は〝名誉の戦死〟だそうですからビックリですよ
 
白頭山艦の戦死者が表彰されたのは何と1980年代になってかららしい
 
 
◇ ◇ ◇
 
 
 
 
ご存知ない方の為の白頭山艦案内 (韓国人はこんなふうに活躍を創造した)
 
 
※注意、ここからが韓国人の考えたフィクションです
 
大韓海峡海戦は、1950年6月25日頃釜山沖で白頭山艦が交戦の末、北朝鮮の輸送船を撃沈させた海戦である

韓国海軍初の戦闘艦『白頭山』(PC 701と呼ばれる)は、大韓民国海軍が保有する唯一の戦闘艦だった。
海軍の全将兵と国民は、強い火力と、最新の装備で武装している戦闘艦がないことを残念に思った。 白頭山艦は、これらの寄付金として誕生した。1950年4月10日鎮海港に入港した白頭山のは、国民の声援に報いるために、国内の主要な港を歴訪し、6月24日鎮海港に帰港した。
翌日の日曜日を迎え鎮海港第4埠頭に停泊していた白頭山艦の乗組員たちは長い海上生活から抜け出し、半分以上が、外出をした状態だった。11時頃、不意にジープに乗って走ってきた統制次長ギムソンサム(金省三)大佐は、当直士官ギムジョンシク少尉に命令した。
"701艦長は、制御の副司令官からYMS 512と518をを買収指揮して、すぐに東海岸に出動、第2小隊司令官の協力の下、海上警備を強化す​​ると同時に、敵艦を捕捉するように撃沈してください。"
701艦長チェヨンナム中佐は、緊急招集と一緒に外出将兵に出航の指示を出して出動態勢を整えた。外出中の乗組員たちが戦闘時の緊急物資を積んだトラックが駆け付けて軍医と衛生要員も乗り組み出発の準備が完了した。 制御の副司令官に出発準備完了の報告を終えてYMS 512号艇と518号艇を指揮し、鎮海港を出発した時間は15時だった。
 
※この段階ではキタ朝鮮軍からの砲撃も攻撃もまだ始まっていない、しかし26日発行の朝刊に国防部からの戦果発表が載るためには〝開戦前の前夜に、訳も無く敵艦を撃沈〟しなければならない
 

(敵艦も無いのに海上警備>>これは海上に避難したと考えられるそうです)
※実は燃料不足で鎮海港から済州島に避難するのに1ヶ月かかっているんだとか
 
 
 
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▲1980年代になってあらたに書き起こされた海戦のようす、座標が何箇所か確認できる
 
 
釜山港に強襲上陸を図ろうとした・・・”  “完全武装敵兵800名の乗った?” そんなのを ボカちんしたのが歴史になっています 
※ニホン海上自衛隊や米海軍でゎウソ認定しているようですね
 
闇夜の深夜に音も無く艦籍不明の何かを警告射撃も無しに(キタ朝鮮の船じゃないそうです)を 搭載弾数80発で“初弾命中”を   しかも“命中弾”+“残余弾”が異常に多いの  当時の大砲係さんは撃った記憶無いんだとか
 
※当時を知ると名乗り出た水兵は機関室勤務のひと、大砲係が負傷したあと大砲を撃ったと証言しました(1982年のこと)
 
当時砲弾は一発当たり30ドル 船の購入資金と回航してくる費用(艦長さんをアメリカ人にしてもらった)を計算してみると白頭山艦に搭載されていた砲弾は最大でも50発程度だったと推定されています、韓国海軍の初の戦闘艦艇には砲弾50発しかなかったというわけですね しかも白頭山艦はその後役に立つことなく廃艦になりました。
 
701艦の左舷後方から37㎜の照準射撃を開始すると敵艦は57㎜砲、中軽機関銃などで対抗して熾烈な砲撃戦が展開された。"距離1500、発射。再び艦体を蹴飛ばして出た砲弾は見事に敵船のメインマストに命中した。
701巡洋艦から歓声が出てきた。  
 
※いつの間にか1000トンの掃海艦が巡洋艦になってるのです
 
この時、赤軍船は、一筋の光をのぞかせ打って701であることを探し始めた。
砲術士官らの指示で射撃演習のようには、チェ中佐の指示に合わせて、今回は赤線の信号を粉砕されてしまった。
 
 
初戦で被弾、死者多数 しかも戦果不明
 
敵は逃走を断念し火力を白頭山艦に集中し始めた。真っ暗な夜の海の上に、味方と敵が機関砲と主砲の赤い砲火が多数の行を引いてまた引いて消えていった。しばらくして、片方が向くのが見えた。
ところが、この時点では何が光っているであり701艦も大きく揺れた。.敵弾は701艦の操舵室の中央下部に命中された。操舵手ギムチャン伍長は片衣装を着ても最後まで舵をつまんでいたし、主砲前のギムチュン砲術士官も同じだった。激しい砲撃戦が終わると、多数の上陸兵を乗せた敵艦は濁っ蒸気を噴き出して沈没されていた。
大韓民国海軍の初の戦闘艦である701艦は、これを4時間余りの戦いの末、6.25戦争の最初の海戦を痛快な勝利で飾って鎮海に帰港した。
艦長チェ中佐は、1951年10月30日、この海戦を勝利に導いた功労で軍の最高の栄誉である太極武功勲章(番号第18号)を受け取る。  
 

はい ここまでフィクション認定ですよ


白頭山艦の活躍はたった一冊の本から始まった

白頭山艦の大韓海峡海戦回顧録-`海よ、その先へ!'
2003.6.21
1950年6月26日。大韓民国では何が起こったのだろうか。 もし6月25日を書き間違えたのではないかと聞いたら、あなたは自らの無知について、一度ぐらいは反省しなければならない。 1950年6月26日、同日は、韓国海軍が、大韓民国の軍隊が韓国戦争での初勝利を収めた歴史的な日だ。
最近、一般人たちにはよく知られていない白頭山艦の大韓海峡海戦を記録した本`海よ、その先へ!'(図書出版の中央)が出版された。
著者であるグォンジュヒョク(權主赫・50)氏は平凡なサラリーマン(ウリ産業副社長)だ。 本が出るまで決定的な証言と資料を提供してくれたのは予備役海軍大佐のチェ・ヨンソプ(崔英燮・76)さん。二人が同席した。

"クォン社長とは今年1月に初めて会いました。 大韓海峡戦闘に関する本を書きたいと言うし、急に家にやってきては当時、話をしてほしいというんです。"
戦争当時、白頭山艦甲板長だったチェ・ヨンソプ氏は、生涯大切にしてきた貴重な記憶を快く出すことをが簡単でなかったと話した。 しかし、韓国の戦史を記録して子孫に知らせなければならないと一心に孤軍奮闘するクォン氏を見て、うれしく、ありがたい心に積極的に作業に参加するようになった。
白頭山艦の戦闘の記録や航海日誌などは現在までどこにも残っていません、米軍の記録に出てくるのは1950年8月30日付けで済州島沖に碇泊中とあるだけ、船員は全員が陸戦の訓練をしているとあります。

"出版された本を見たら私が思った以上に白頭山艦の活躍ぶりがよく入っていました。 戦況についての詳細な描写と歴史的背景はもとより、軍事用語や各種兵器に対する説明までつけて海軍についてよく知らない一般人らも十分分かるようです。"
事実、海軍についてはまったくの門外漢だったというグォン・ジュヒョクさん。2年前太平洋戦争を扱った`ヘンダーソン飛行場'(知識産業社)を出して中部太平洋・西部太平洋戦闘も引き続き出版を控えていた彼は途中に計画を変えて私たちが直接経験した韓国戦争に関する本を書こうと心を決めことになる。
"小学校時代、ある雑誌で偶然に読んだ白頭山艦の話が忘れられない、頭の中に残っていました。 風前の灯に直面している時、国を救った歴史的事実に対して韓国国民があまりにも気付かず、関心もないじゃないです。 1人の生存者でももっと生きている時に一日も早く記録に残そうとの切実な気がしました。"
誰か決めなければならないことだったが、1人も出てる人がいなくて結局、自分がするしかなかったというクォンさんと先にこの世を去った戦友たちを、ようやく晴れて見ることができるだろうというチェ氏。本のページをめくるながら情溢れる会話を交わしていた彼らはまだ言えなかった話は増補版に掲載することを次を約束した。

◆大韓海峡海戦
1950年6月25日、鎭海(チンヘ)基地を出港、東海岸に移動中だったPC701白頭山艦(艦長チェ・ヨンナム中佐)は釜山沖で国籍を知ることができない船を発見する。 粘り強い追い上げに出た白頭山艦はその船が北朝鮮武装輸送船であることを明らかにして26日0時30分からの砲撃戦を行って沈没させた。
味方被害は戦死・負傷が2人ずつ。当時、撃沈された北朝鮮武装輸送船には特殊部隊員600人が搭乗していたことで知られた。
もし彼らが釜山に成功的に浸透していたなら、韓国軍が大きな困難を強いられる状況だった。 表向きの戦果は、船1隻撃沈に過ぎないが、実際には戦争の勝敗そのものにも影響を与えた戦闘だった。 規模は小さいが、大きな意味を持った海戦であるに海軍ではこの戦闘を大韓海峡海戦と呼ぶ。
 
 この本を書いたひとが主犯のようです、”それまではあまり知られていなかった大韓海峡での海戦”、これってどうみても真実じゃないんですよ。
新聞が読めるひとならすぐにわかることなんですが、たった一行の”上陸企図の、蘇船を撃沈”という見出しだけが開戦翌日の新聞にちょこっと載ったのです。

いっしょに書いてある”海州市突入”なんていうウソについてはすべての韓国人が黙っていますよ。

 
朝鮮戦争開戦当日のようす 1950年6月26日
 
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▲開戦2日目
 
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▲大韓海峡海戦を伝える京郷新聞1950年6月27日
 
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▲1950年6月27日うっかりキタ朝鮮領の海州市まで攻め込んじゃったという大嘘がステキですね    
 
 
 
物証はないが心証では確実だ
 
三軍一体敗敵猛追
一部海州市へ突入
上陸企図のソ連船を撃沈っ
 
 
 
東亜日報もこんな記事 1950年6月27日
 
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海州市を完全占領
大韓海峡で敵艦撃沈 
綜合戦果発表 26日午前八時現在
 
これは27日の東亜日報っていうことでソウル陥落の前日に発行されたものです
大韓海峡海戦の翌日の新聞ってスゴイ速報じゃないですか 脳内妄想 序盤の負け戦で実力の差がわかったんでしょ  (海州市っていうのはキタ朝鮮だからね)
 
 
6月14日の新聞に載った"ハワイで儀装中"の白頭山艦は実は燃料代が払えずハワイ真珠湾で立ち往生、船長役のアメリカ人大尉も韓国人水夫にこりごりして中途脱落(彼は2万ドルもらいました)、もちろんまだ下朝鮮に到着していないっ
キタ朝鮮戦車部隊はソウルのすぐそばまで来ちゃってる
 
 
 
 「あまりにも悔しい状況だったので、国民の情緒や失われた自尊心を考慮して関連する案を推進したことと明らかにした。」
 
 
と言うのが真相だということなのです。