先祖の墓6つが無くなり、太陽光パネルがそこに
韓国の野山葬 一年ぶりに行ってみれば移葬してました
先祖の墓6つが無くなり、子孫びっくり その場に太陽光施設ができていた…
まだ14こあるけど 名乗り出てくるひとがいないのも何だかな
[暮らしのミーナ]"秋夕の墓参りに行ったら先祖の墓6基がなくなり、その場に太陽光施設が建てられてました。"
その場には太陽光発電パネル施設が占めていた。
秋夕連休が終わって苦情を提起して確認した結果、太陽光施設業者が墓移葬業者をさせて太陽光施設の敷地の墓20つを改葬したことが分かった。
墓移葬業者は、すでに昨年12月、ペク氏の先祖の墓6基など計20基を改葬後、忠清南道錦山郡にある私設の納骨堂に遺骨を安置したことが明らかになった。
この20基のうち6つは縁故があるという連絡が来たが、残りの14基には、まだ縁故者申告がない。
(翻訳/2ちゃん番長)
どこにでも埋めてきた文化
太陽光発電施設を他人の土地に設置するほど最近の業者がバカなのではありません。
キチンと持ち主のいる山林に勝手に埋めて先祖の墓としてきた韓国人一家がいるわけです。 勝手な墓も土地の持ち主には拒否する権利があるんですが、うっかり墓を作られちゃうとそれを移転させる費用負担が発生します。 それは本来実費分だけですから、勝手に埋めて移転費用を脅し取ることは利口じゃないです。 それで埋めてしばらく待つんですよ。 朝鮮式の墓は日当たりの良い南向き斜面が良いそうですからほかにも用途がありそうな土地ですね。 そして誰かが土地利用のために改葬しちゃうとそこから出撃開始となります。
秋夕なら先祖の墓へ、この文化ついこの間始まったんです
先祖探し'代わりに'子孫を探す'…墓地管理費、相次いで滞納
5年以上長期延滞者の多く 縁故者連絡が途絶える滞納通知不可
遺族実名公開、音沙汰は無し 追悼霊園では赤字覚悟で管理、持続
遺族実名公開、音沙汰は無し 追悼霊園では赤字覚悟で管理、持続
[墓石のミーナ]'ますます苦しくなる生活に先祖を迎えることすら難しいのだろうか' 民族最大の祝日である秋夕を控え、一部の公園霊園には縁故者たちと連絡ができず、放置された墓の管理のために管理費の納付を促す案内版まで登場した。
公園霊園側の'劇薬処方'には日増しに増えている管理費の長期延滞者をこれ以上耐えられないという切迫感が増した。
1日午後、春川(チュンチョン)のある公園霊園の入口に入ると、管理費の長期延滞者を知らせる案内板が目に付いた。縁故者と連絡が切られて墓地管理費を受けられなかった墓苑側では遺族実名を公開する強気の姿勢を示した。
しかし、長期滞納者はなかなか減っていない。4000余りの墳墓を管理する該当公園霊園には5年以上管理費を払わない長期滞納の墓地が187基に達する。 墓を書いてから30年が過ぎたが、子孫たちの足が途切れて管理費が滞納される墓も相当数だった.滞納管理費も数億ウォンに達し、霊園経営まで圧迫している状況だ。
▲1日、春川(チュンチョン)のある公園霊園の入口に管理費の長期延滞者を知らせる案内板が設置されている。
公園霊園の関係者は"郵便物などを送って滞納に通知しが、住所が合わなくなったり、最初から連絡が途絶え、赤字を甘受しながらも、管理は続けるが、滞納額が減らないので運営に困難が多い"と話した。
他の追慕公園も事情は同じだ。道内のある追慕公園の管理費は4坪基準(1坪当たり1万7000ウォン)で、年間6万8000ウォンだが、長期間の滞納された'無縁墳墓'がますます増えている。
該当追悼公園は全体の10%ほどが5年以上の管理費を滞納した無縁墳墓であると把握している。 追悼公園の関係者は"無縁故の墓地は世代が変わり、子孫たちが足を切ったり、経済的な問題など個人事情によってますます増える傾向"と"無縁墳墓に対する需要を減らさなければならないが、制度的に後押しが行われず、困難が多い"と話した。
(翻訳:2ちゃん番長)
ニホンとは異なる韓国人の考える墓の概念
まず、韓国では最近こそ火葬が増えてきましたが、火葬するようになったのはつい最近のことで30年ほど前までは土葬が普通でした。そして韓国での墓という概念はニホンとは大きく異なります。
墓石が無いのはもちろんのこと、何も無いなんていうのが普通だったりします。
いわゆる”高麗葬”とよばれる姥捨て山の習慣が1970年代まで続くと朴正煕大統領は国民次元で先祖供養をする方針を立てたのです。
政府が最初に行ったのは、それまで誰もが好き勝手に埋めてきた死体を決められたところだけに埋めろというお触れだったのでしょう。それまでのようなどこでも埋めて構わないということから一歩進んだ埋葬許可証の発行というお役所が介在するようになったのです。
ところがこれには法の施行にも強制力がなく、私有地であればどこでも構わないという解釈から野山の日当たりのいい場所というのが次々に根こそぎほじくり返された結果、公園墓地とよばれるものがあちこちに造成されるようになりました。
ちょうど不動産バブルでもあるように公園墓地の区画が高値で取引されるという珍事があったのもそのころです。
一度墓地になった土地はすべてを改葬しないと転用できません。そのため敷地を必要とする公園墓地は次第に姿を消してゆき現在ではあたらしい分譲は全く行われていません、現在では納骨堂式の墓地が増えています。
全国の無縁墓は200万基以上?
管理費が滞ったまま子孫と連絡が途絶えた墓地のため、一部の公園墓地は経営難まで経験しています。
江原道江陵のある公園墓地。
墓地碑石に連絡先を書いた案内文が張られています。1年に数万ウォンの管理費が数年間も延滞されたまま子孫と連絡が途絶えたお墓です。
黄色の案内文が白く変色するほど長期間管理費を払わない墓地も一つや二つがありません。しかし、電話番号が変わって郵便物も返送されやすく、事実上連絡する方法がありません。
[インタビュー:霊園関係者]
"おじいさん、ひいおじいさん、ひいひいじいさん墓地は訪れないようになります。古い墓地はほとんど無縁墓なのではないか。"
"おじいさん、ひいおじいさん、ひいひいじいさん墓地は訪れないようになります。古い墓地はほとんど無縁墓なのではないか。"
近くの別の霊園の事情はもっと深刻です。
この霊園から管理費が滞納された墓地は全体3000基余りのうち、70%に達しています。
管理費の延滞で経営難が加重され、霊園側は破産申請まで考慮しています。
[インタビュー:霊園関係者]
"赤字が累積されて墓地草刈することにだけお金が巨額に入ります。破産申請を受けてくれるかどうか受けないかもしれないが、申請はします。"
"赤字が累積されて墓地草刈することにだけお金が巨額に入ります。破産申請を受けてくれるかどうか受けないかもしれないが、申請はします。"
誰も面倒を見ない無縁墓は、全国的に220万基を超えていると推算されます。
子孫たちの無関心の中に増える無縁墓地。
核家族時代を迎えた固有の民俗祝祭の寂しいな風景です。
(翻訳:みそっち)
韓国では墓地じゃないところにも墓がウヨウヨあったりする
韓国ではそれを墓と呼ぶ
[今日のミーナ] 韓国では墓地、あるは墓所といわれるものは時代の権力者たちだけの専有物だった。これは韓国のある朝鮮半島で土地の私有が長いことあいまいだったことにも問題がある、そのため1980年代になり火葬が一般化するまでは集約された公園墓地などは無く、自然に帰すと言う意味でそれぞれが勝手に山に行き埋めてきた歴史が長く続いた。
そうして存在する韓国型墳墓は全国いたるところに存在している。
▲儒教の国では先祖の供養も大事な儀式だと考えられてきたが実際にはこんな墓がいたるところにあるため素晴らしい景観を醸し出している。
私の土地だと言って勝手に墓地を壊したり勝手に別の場所に移葬させると 下手をすると刑事処罰を受けることがあります。 (刑法160条( 墳墓の発掘) 墳墓を発掘した者は、5年以下の懲役に処する。)
▲このちいさなふくらみが全部墓である、もちろん墓標などはなく祭祀者がここだと決めた場所が埋葬地となる。(墓を示すものは何も無い、唯一この時期だけ草刈りが行われるところもある)
広い山を相続したり買ったりしたときには、お墓があるかどうかを心配しないといけません、 通常、墓は日当たりが良く見通しの良い位置を占めていることが多く、土地を購入した人が住居を用意しようとして他人の墓が先取りしている厄介な状況が往々にして発生します。
そのため、農村の土地を購入するとき、大事なことは残っている墓の確認を必ず行うことが必要でしょう。
墳墓の権利と無縁墓地
広々と林野の場合、土地の所有者でさえも境界を正確にわからない場合があり、特に継承した林野の場合には、墳墓の位置や古い無縁墳墓を知ることができない場合がたくさんあります。
管理がない林野の場合、近くの町の人々が所有者の知らないうちに墓を置く場合もあったりします。
▲墓をしめす物などはまったく無い、1980年代になってもこのような自然葬が一般的だった。
◇ ◇ ◇
韓国でも土地の私有は認められていますから必ず誰かの土地なのでしょう。ところがどこにでも埋めていい時代が長かったのでいたるところに墓があります。墓の数だけ毎年供養が行われているのかというとそれはありません。
飽きっぽい国民性もあって、墓まで行かずに家で先祖供養をするというお手軽式なのが普通でしょう。また、仏壇っていうのはニホン独自の文化ですが、それを真似た位牌のようなものが韓国には存在します。普段はタンスにしまっておき用があるときだけ出してきて供物を並べる式ですね。
ちなみに野山のどこにでも埋めて墓にするという習慣は ニホン統治時代にはじまりました。 それ以前はそこら中に死体を放り投げていたわけです。 それを見た明治時代のニホン人が『まるで平安時代のようだ』と言ったことはよく知られています。
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