minaQのつぶやき 네토미나

嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

真っ赤なケイトウの花でキムチ


荒唐無稽とはこのこと ケイトウキムチの登場

韓国国定歴史教科書に出てきた赤いキムチはケイトウキムチだったのか?。
ケイトウの花は赤いし漢方では薬にもなるが 苦くて苦くて


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[ソウルミーナ]小学校<社会5-2>(以下、初等<歴史>)110頁を見たピョボン小学校の教師は驚いた。高麗時代の食卓イラストに「赤いキムチ」が位置していたからだ。


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▲高麗時代「赤いキムチ」が出てきた2015年初等<歴史>の教科書

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▲高麗時代「赤いキムチ」が消えた2016年の小学校の教科書。

唐辛子は朝鮮後期に入ってきたもので、唐辛子粉を散らしたキムチを学生に教えるようにするのは "考証のないエラー” との指摘だった。

壬辰倭乱のころに朝鮮に伝えられた唐辛子が使われる赤いキムチは韓国の教科書や食卓に出てくるのが日常であるが ”高麗時代” に赤いキムチはあったのだろうか。


文部科学省はその年9月に出した反論資料で「ケイトウキムチも赤い色を出す」とし「教科書を変更することができない」と持ちこたえるに乗り出した。同月18日、一線の学校に送った「教科書の修正・補完対照表」でも、その内容を直さなかった。

ところが翌年の歴史教科書からはあっさりと赤いキムチが消えた。では高麗時代には赤いキムチは無かったのだろうか。


ケイトウキムチ” を検索すると1990年代以前には全くその存在が明らかにされておらず、ケイトウが薬用に使われていたという記述が散見されるだけである。


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韓国の質問箱に答えがあった。ケイトウ花をキムチに入れていたという主張が現れたのだ。 この人が、韓国の食文化研究家を名乗るわけだが、所属する機関は世界キムチ研究所である。まさにキムチの世界的権威がお墨付きを与えたわけだ。

これ以降ケイトウの花がキムチに使われていたという記述を引用する回答が増えてきて、唐辛子以前の赤いキムチはケイトウの花が使われていたことになった。


それを引用して2015年にはケイトウキムチが作られたことがある。これが文部科学部の言い分である ”赤いキムチ” である。

結論から言えばこのときのキムチは苦くて食べるようなものではなかったということだ、世界キムチ研究所ではこの苦味を当時の人たちがどのように克服していったのかを解明するつもりである。


(ソウル/みそっち)



無ければ作ればイイんですよ。これは間違っちゃいません。そうやってクルマも飛行機も作られたのです。

んでケイトウキムチですが、その存在を補完する内容のカキコが昨日今日あたりから拡散されています。

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1924年の調理本で、ケイトウの花でキムチに赤い色を出すようにしたし、30年代には唐辛子がグィヘ白菜たトンダンご飯スプーンだけ入れるしました。」 

・キムチの話出てきて、ふと思いついたのに、1950年代に生まれた方が昔のキムチ円ケイトウ入れそうだったという言葉をいただいたことがあるのを見ると、70年代の私は、以前まではケイトウを入れたキムチということ、一般家庭で接するのがそんなに珍しいことではなかったのかもしれない。

慶尚道地方ではケイトウの花汁で赤い色を出して味付けしたキムチを、多くの人々が好んで食べたという。そうするうちに、より強く刺激的な味を出す唐辛子が入ってきてから消えた。





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