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クムミ号機関長自殺 キタ朝鮮陰謀説①

クムミ号機関長、陸地での二日間行動 接触者は
記事入力2011-02-17  
  
健康"異常ない"と明るい表情で過ごして
(ナイロビ.ドバイ=聯合ニュース)カン・ジョング特派員.ウ・マングォン通信員
=ソマリア海賊に拉致されて解放されたクムミ305号機関長キム・ヨンヒョン(68)氏が17日ケニア、モンバサのあるホテルで自殺したと分かりながら彼の最近行跡に関心が集まっている。
キム氏は去る15日午前8時(現地時間)クムミ号を乗ってモンバサ港に到着した後キム・テグン(55)船長と共に拉致状況などに対してケニア保安当局の調査を受けた後、同日午前10時頃船から下りた。
キム氏は船から下りるやいなや外交官の携帯電話を借りて家族に電話をかけて安否を伝えることもした。 ハイジャックされた間に海賊から殴打されてマラリアまでかかって苦労したが健康に大きな問題はない状態で知らされていた。
 
接触するキタ朝鮮関係者
キム氏は船舶代理店社長のキム・ジョンギュ(58)氏らともに運営する市内ある食堂でイ・ハンゴン駐ケニア、韓国大使、聯合ニュース記者などと共に昼食を食べながらも終始明るい表情で対話をした。
ハイジャックの間クムミ船の残余燃料量をだましたという理由で海賊に3回も引きずられて行って銃殺威嚇を受けたりもしたキム氏は拉致衝撃からは程度抜け出しているような姿だった。
キム船長がこの日昼食後病院で健康診断を受けて糖尿薬果皮膚発疹治療剤を処方受けたこととは違って、キム機関長は本人健康に何ら問題がないとし検診を受けなかった。
キム氏は引き続き昼食を食べた食堂でキム船長、そして現地知人と共に現地ビールを添えて夕食を食べて市内にある宿舎ホテルに帰ることによって、釈放後陸地での初日を終えた。
キム氏は翌日の16日午前にはモンバサ港埠頭に接岸しているクムミ号に行って船舶の破損現況を調べて時間を送った。
クムミ号で10余年間操業したキム氏は船の使用年数が40年を越えたクムミ号を修理できることの唯一の技術者なのでキム船長の信任を受けていると分かった。
キム氏はこの日夕方やはり同じ食堂でキム船長、船舶代理店キム社長と共に夕食を食べたと言うことだ。 この席に違った知人が同席したのかは確認されなかった。
キム氏は夕食後ホテルに帰ったが17日午前2時25分頃宿舎のモンバサ ケスルロヨロテル4階ベランダから落ちて亡くなったと外交通商部は明らかにした。
4ヶ月間海賊から色々な苦難を耐え抜いたキム氏があまりにも空しく人生を終えた瞬間だった。
イ・ハンゴン駐ケニア大使は"68才という年齢がミッキョジジしないほど訂正された方これだったが突然有名を別にすることになり残念なだけ"としながら"捜査が徹底してなされるようにケニア警察に要請して現地に私たちの警察領事など公務員3人が残っていて、葬儀手続きが円滑に進行されるように大使館次元で積極支援する"と話した。
しかし聯合ニュース記者から耳打ちされたあと家族に電話をし”安否の心配は要らない”とまでつたえた真意がわからない また当日その席に一緒に居たという聯合ニュース特派員が不明だ 誰かわからないということだ。
キム氏と同席していたのは、駐ケニア、韓国大使らと数人だ、その中でピョンヤン訛りのあった聯合ニュース記者とは何者なのか いったいなにを耳打ちした言うのだろうか それは釈放への5万ドルの負担であったか操業停止期間中の賠償請求であったのか、海賊に拉致されていた間絶えず連絡を取っていた韓国語を話す仲介役とは何者なのか 疑問は深まっている  ©ハウ・ニュース