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韓国軍の上陸作戦 これホント?

 

工事中放置の盈徳上陸作戦文山号展示館、年末臨時開館

山号は2度座礁する 仁川上陸作戦の陽動作戦で、盈徳投入… それホント??

2015年から工事中断はひとまず置いといて間もなく映画公開もあるから

 

 

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[国防ミーナ]建設途上で放置された慶尚北道盈徳(ヨンドク)文山(ムンサン)号展示館の開館に青信号がともった。盈徳郡は最近、文山(ムンサン)号の展示館設計士と瑕疵の補修工事に合意したと26日明らかにした。

 

文山(ムンサン)号は1950年6・25戦争の時、盈徳上陸陽動作戦に投入された船だ。

 

韓国軍と国連軍は,仁川上陸作戦のために、北朝鮮軍の注意を引き付けるため、盈徳郡南汀面長沙里(ナムジョンミョン·チャンサリ)に上陸作戦を展開した。

※盈徳郡は二ホン海側に面した街、蔚山浦項の30~50㎞北方にあたる。これより前、8月中頃浦項が先に陥落したため盈徳にあった守備していた国連軍は取り残されて海上撤退(8/16.17)をしたところ。


韓国の記録によれば、学徒兵772人と支援要員56人は1950年9月13日2千700t級文山(ムンサン)号に乗って釜山港を出発し、翌日午前5時に盈徳郡長沙里に到着した。

しかしムンサン号は上陸地点で台風で高波であっけなく座礁した。

濡れネズミで何の武器も持たずに上陸した学徒兵らは上陸後、北朝鮮の正規軍補給路と退却路を遮断する戦闘を行ったことになっている。

この過程で139人が戦死して92人が負傷した。 数百人は行方不明になった・・・。

 

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慶尚北道と盈徳郡はこれを称えるため、文山号を実物大模型で製作し、当時の状況を紹介するコンテンツを展示することにした。

※作戦の目的は独立第1遊撃隊隊772人がLST(landing ship tank)文山(ムンサン)号(2,700トン級)に乗って盈徳郡長沙里に上陸し、200高地を確保して7番国道を封鎖、人民軍の補給路を遮断することだった。 遊撃隊とは、一定の制服を着用せず、正規軍に属するということを明示しないまま戦闘行為を行う部隊だ。 簡単に言ってゲリラ戦だ。 遊撃隊の隊員772人は、人民軍の服装で船に乗り込んだ。 言葉がいい、遊撃隊敷地実は全員が学徒兵で構成された部隊だった。 彼らが受け取った戦術、戦闘教育は2週間がすべてだった。

 

しかし、2015年末の内部展示作業まで終えて2016年に開館する予定だった文山(ムンサン)号の展示館は現在までドアを開けていない。

安全に欠陥が明らかになった上、盈徳郡と建設会社の間に竣工期限が過ぎたことによる遅延賠償金や工事代金関連の訴訟が起きたためだ。

その上、文山(ムンサン)号の展示館は2015年夏の台風と冬のうねりに船の後方内部の鉄の構造物が曲がるなど手抜き工事に起因する問題が16件も発生した。

 

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盈徳郡と設計士、施工会社は欠陥発生,工事遅延の責任を追及する訴訟をお互いに数年間繰り返した。盈徳郡は2年間、攻防の末に工事遅延賠償金請求訴訟で勝って施工会社から12億3千万ウォンの賠償金を受けた。

一方、施工会社は、工事代金請求訴訟で勝って11億3千万ウォンを盈徳郡から受けた。

これとは別に2018年からずっと損害賠償請求訴訟は進行したままだ。

 

山号展示館が長期間放置されると、イ・ヒジン盈徳郡首は、文山号記念館開館のためにまず工事を進めて裁判結果によって責任範囲を決めようという解決策を提示した。

これに対し,盈徳郡と設計士の実務陣がまず補修工事を行うことで合意した。

 

盈徳郡と設計士は鑑定を経て、9月初めに着工し、6ヵ月間、補修工事を行う予定だ。

また、今年末には臨時開館するという計画も立てた。

盈徳郡は来月公開する映画 '長沙里(ジャンサリ):忘れられた英雄たち' 試写会と盈徳上陸作戦戦勝記念式が開かれる9月6日まで、文山(ムンサン)号の展示館周辺に広報文字と大型の太極旗を設置する予定だ。

 

(ソウル/みそっち)
 

 

韓国人は朝鮮戦争で逃げ回ったり、軍隊が離散したり、指揮命令権がアメリカになったら軍人の募集が勝手にできないので国民防衛隊なんていうのを作っていたでしょ。

解体された韓国軍人は砲弾運びに従事していました。そうなると朴正煕の時代には悔しいですから、つぎつぎと英雄譚を作り上げてきたのです。

学徒兵っていうのもそのころに創作された与太話ですよ。

 

あのソウル奪還韓国海兵隊太極旗掲揚なんてウソがあるでしょ。そんな海兵隊に嫌気が差した朴正煕は海兵隊に解散命令を出しましたよね。そんな活躍を事実だと思い込んでいる人は多いですよね。

 

 

 

 

とんでもない韓国軍、ソウル奪還 国旗掲揚もウソ
総督府の建物を慌てて壊さなきゃならない理由があった
 
 
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▲9月15日の仁川上陸作戦がありソウル奪還のお手柄として ”9月28日に中央政庁(旧総督府)に韓国軍海兵隊員が旗を上げているところ” と紹介されがちな写真。ところがこの写真は1950年9月の撮影では無い。
 
※韓国では教科書にもこの写真が登場するそうです
※※政府は1959年9月27日、中央庁でパクチョンモに太極旗の掲揚を再現させて写真に収めた。
 
 
実は仁川上陸作戦に韓国軍は参加していないし。もちろんソウル奪還というお手柄も国連軍によるものでした。 なにしろ極秘作戦ですよ 韓国軍が上陸したのは9月29日というハナシもあります。
 
以下、何枚かのお写真を見てみましょう。
 
 
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▲真ん中の丸天井のとんがりのところが少し焼けています
中も燃えたみたいで窓から煤けていますね。
 
 
 
同じ頃に撮影されたソウル奪還後の中央政庁、国旗掲揚台には国連旗が掛かっています。撮影日1950年9月29日
 
 
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という、この国連旗をあげたのはもちろん国連軍でした、ちなみに国旗掲揚台はこの1つしかありません。 こちらも窓が煤けてますよね。 これも撮影の日付が分かっています。1950年9月28日 
 

 
 
そいじゃぁ2枚並べて見てみましょう
 
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韓国人は本能からウソを盛るんだけど、朴正煕はそれを嫌っていたのでしょうね。それでも取り巻きはお手柄を次々に捏造したのです。

 

学徒義勇軍(韓国では今の高校生以下)なんて言うとカッコいいですが、当時の就学率からみると、いえいえ、韓国で義務教育が再開されたのは1960年代になってからでしたからね。※最近の韓国でいう義務教育とは、無試験入学+無償教育+無償給食のことを言う、親の義務とかではない