minaQのつぶやき 네토미나

嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

戦争記念館の参戦記念碑でメシを食う

 
 
 
ソウルの戦争記念館でウリスト教の宣教団体がメシを食う
だって、テーブルに丁度イイんだもん それは参戦記念碑
 
 
 
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[日曜ミーナ]ソウルのとなりの龍山駅からほど近い ”戦争記念館” といえば毎週金曜14時から1時間、戦争記念館前の広場で国軍儀仗隊パレードが行われ、無料で観覧できます。
 
儀仗隊パレードではCDの再生に合わせたカラーガードやドリル隊の演武を見ることができますね。※伝統武芸もココ 関連過去カキコ:時代劇ドラマの見すぎ 国防部伝統儀仗隊
 
 
昨日の20日でしたが、「韓国障害者の日」のこの日、あるキリスト教宣教団体が主管したイベントで、一部の参加者が、戦争記念館の6・25戦争参戦国の記念碑を食卓にして食事する姿が、戦争記念館の投稿欄に公開されて話題になっていました。
 
 
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今日、21日、戦争記念館のホームページお客様の声掲示板に「戦争記念館の管理ひどくね」というタイトルの文と一緒にいくつかの人々が6・25戦争参戦国の記念碑で食事する姿が撮られた写真が公開されました。
 
コメントには、「残酷な光景を目撃して文を上げる。慰霊碑を食卓にご飯を食べる光景を写真で見た」と理解することができないという反応を見せた。
 
 
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"隣人を愛せ" 韓国ウリスト教教団

私の周辺5Kmの中の愛を実践するために私の隣人と一緒に歩くキャンペーンにあなたを招待します。
この席は,お名前の席になります。
私の隣人にそっぽを向けないようにしましょう。 
私たちの隣人に力になって下さい。
私たちが一緒に歩けば道が開かれます。
"私たち一緒に歩こう"

■日時:2019年4月20日(土)
午前8時~午後1時
■場所:ソウル市庁広場 -戦争記念館 
(平和の広場)
■参加費:1万ウォン
 
韓国人は食べることへの執着心が極端なほうだ、食事中であれば現行犯でも食事が終わるまで待ってくれるし、今でもハングルのあいさつは「ご飯食べましたか?」である。
 
食べられなかった時代が身に沁みついている韓国人の行動でよく知られている「ご飯の上に全部盛り」は、そうした社会文化を現在に伝えている習慣だ。
 
 
この6・25戦争参戦国の記念碑は、2015年の国連創設70周年を迎え、6・25戦争参戦国に感謝する大韓民国国民の心を込めて設置したモニュメントだ。もちろんこの中に韓国軍の参戦の証拠を示す標識は無い。
 
 
(ソウル/みそっち)
 

 
 
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あの記念館の敷地に入ってずっと向こうの建物のそばです。普段はイベントのテントなどがこの前に出てることが多いです。
 
 
 
 
 
戦争記念館、いえいえ行かなくてイイですよ。実物のB-52が展示してあって、主翼の先端に触ることができるとか、M1ガーランドが撃ち放題とかそいうことはありません。
鹵獲品のT-34やMiG15は、実は1970年代になってルーマニアとかから買ってきたもので、朝鮮戦争とは関係ないですからね。
 
 
 
記念館に入ってすぐにあるのが「ソウル奪還」の展示です。
 
 
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別名を「urinating outdoors; or urinating standing up」。 ニホンの残してきた総督府と太極旗のシーンですが、あれはヤラセです。全く事実じゃありません。
 
 
 
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とんでもない韓国軍、ソウル奪還 国旗掲揚もウソ
総督府の建物を慌てて壊さなきゃならない理由があった
 
 
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▲9月15日の仁川上陸作戦がありソウル奪還のお手柄として ”9月28日に中央政庁(旧総督府)に韓国軍海兵隊員が旗を上げているところ” と紹介されがちな写真。ところがこの写真は1950年9月の撮影では無いのです。
 
※韓国では教科書にもこの写真が登場するそうです
※※政府は1959年9月27日、中央庁でパクチョンモに太極旗の掲揚を再現させて写真に収めた。
 
 
実は仁川上陸作戦に韓国軍は参加していないし。もちろんソウル奪還というお手柄も国連軍によるものでした。 なにしろ極秘作戦ですよ 韓国軍が上陸したのは9月29日というハナシもあります。
 
以下、何枚かのお写真を見てみましょう。
 
 
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▲真ん中の丸天井のとんがりのところが少し焼けています。つまりこっちが先
1950年の暮れに中共反攻がはじまり間もなくソウルは2度目の占領を受けます。
総督府の建物は停戦のころに修復されるので太極旗はウソです
 
 
 
 
同じ頃に撮影されたソウル奪還後の中央政庁、国旗掲揚台には国連旗が掛かっています。撮影日1950年9月29日 つまり韓国軍はこの時点でまだ総督府に到着していないのです。
 
 
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という、この国連旗をあげたのはもちろん国連軍でした、ちなみに国旗掲揚台はこの1つしかありません。 こちらも窓が煤けてますよね。 これも撮影の日付が分かっています。1950年9月28日 
 

 
 
そいじゃぁ2枚並べて見てみましょう
 
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見るからに焼け方が違いますね。同じ頃に撮影されたようには見えませんよね、もちろんこのトンガリ尖塔は真ん中にひとつあるだけですから同じものを写してるはずですよ。
 
ということで、まず撮影時期が違います、韓国海兵隊の掲揚式は総督府の建物がお化粧直ししてから撮影されたものでしょう。つまり韓国海兵隊のお写真はニセモノってことなのです。
 
 
イメージ 7じつはこの国旗掲揚は韓国の海兵隊がお手柄を自慢するために時々再現していることなのです。そんなお手柄自慢ですが、しばらく行われなかった時期があります。
 
▶掲揚再現シーン各種アリマス(もちろん戦後の撮影だけどね)
 
 
朴正煕大統領の時代になりますが、海兵隊の横暴が目に余るとなんと1973年に韓国海兵隊は解散させられてしまうのです。なぜかというと、つまり海兵隊が調子に乗って ”ソウル奪還は海兵隊の単独戦功” みたいなことを宣伝したりやらかしたからですね。
 
アメリカではソウル奪還はアメリ海兵隊のお手柄となっている
※※仁川上陸作戦再現式典には最近になり韓国海兵隊が参加するようになった
 
そうなってくると諸外国の記録にある歴史的事象との齟齬で空想戦記もバレバレですよね。そういうわけで、超時空韓国軍の活躍はこの時代に収斂されることになったのです。その結果、戦時統制権を国連軍に渡すまでの約20日間(1950年6月25日~7月14日)ばかりだけに韓国軍の超時空戦果が存在するという奇妙な状態となっています。
 
白頭山艦の大韓海峡海戦、韓国空軍のムスタング空輸、某対戦車砲部隊の活躍 他
 
 
海兵隊部隊の解体は韓国軍の大活躍が戦史研究院などでつぎつぎと捏造された頃と一致します。おなじみのペク将軍なんかは口封じの意味もあって外国に追いやられていた頃です。(大使とかね)
 
何でか? そりゃもう李舜臣将軍以来の空想戦記がすっかり身に染み付いているからですよ。もう教科書にも載ってるという歴史的事実にまでなっているのです。
 
 
 
 
韓国人は日めくりカレンダーをめくるように嘘をつくのです みなQⒸ
 
 
 
 
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あさコロしてみる?