2000年のノーベル賞ロビー作戦
私たちは、今日知った事実がその時点(2000年)に知っていたら、金大中に絶対ノーベル平和賞は授与しなかっただろう。
ノーベル平和賞上位副委員長(2000年当時)グンナー・ストールセット(Gunnar Stalsett)衝撃の発言
今日の北朝鮮の核開発への資金援助の実体も、金大中政権がノーベル賞を獲るために「南北首脳会談」を企画し、これを成功させるために、北朝鮮に渡した資金によって核開発をしたという事実の実体が明らかになっている。
ともすれば「2000年のノーベル平和賞の金大中」はメダルがキャンセルされるかもしれない。
2016年12月6日、ノルウェー国営NRK放送は金大中前大統領が2000年のノーベル平和賞受賞当時に(Nobel Committee for Nobel Peace Prize)副委員長だったグンナー・ストールセット(Gunnar Stalsett)氏は、金大中ノーベル賞疑惑と関連してインタビューに答えている。彼はこの放送で「 I have no difficulty in saying that if we had known what we know today、it would never have become a Nobel Peace Prize to Kim Dae-jung 、ストールセット前副委員長の発言はノルウェー語を英語に翻訳したもの)と爆弾的な発言をした。
ストールセット前副委員長のこのような発言は、「金大中のノーベル賞探求」(Kim Dae-jung and the Quest for the Nobel)という暴露本のノルウェー版が前年12月に出版された直後に出てきた発言だ。
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1998年2月に、金大中政権が発足した。 その時、国家安全企画部のスタッフは、全員が恐怖におびえていた。政権が変わるたびに醜い引きずり下ろし合いが行われることは分かっていたが、この年の政権交代ほど恐怖に満ちた出来事は無かったという。
新たに大統領に就任した金大中は、自分たちが拉致し監禁し、常時尾行し盗聴して弾圧していた人だったからだ。 安全企画部のすべてのエージェントは、まるで死刑判決をうけた死刑囚が死刑執行の日を指折り数えるようだったという。
※このころ、韓国を脱出した高位公職者は100人を超えたと言われている。朝鮮時代であれば田舎に隠棲した没落両班となるわけだ。
このような雰囲気の中で初代情報機関の長に任命された人は、イ・ジョンチャンだった。彼は中央情報部(KCIA)の公開採用 1 期で情報部に入り20 年以上にわたり、情報機関で専門分野が強い情報ベテランだった。
過去 1979 年10 月に、朴正煕大統領が金載圭情報部長に殺害され、その年の 12 月には全斗煥戒厳軍司令官がクーデターで執権した、 その翌年、彼は新設された中央情報部の基調室長に就任して、実質的に公平を解体して、安全企画部を新設するために重要な的な役割をした。彼の表現を借りるなら「手に血をつけた」のだ。
その後、彼は政界に進出して政権与党の大統領候補にまで挑戦(1992年ごろ)したが、 最終的には自分の政治的信条の反対側の、金大中政権の情報機関長に戻ってきたのだ。
生き残りをかけたエージェントは「ノーベル賞」で結集
金大中大統領にはノーベル賞に対するあらかさまな執着があったという。ベトナム和平交渉で功績があったキッシンジャー国務長官(1973年の当時は大統領補佐官)のノーベル賞受賞を聞いたのは、彼が韓国中央情報部 (KCIA) により日本から拉致されたその年の出来事だが、和平交渉だけで、その後戦争が拡大してもノーベル賞受賞は取り消されないという事例を目の当たりにしたことで、自身の立場で再現するなら南北対話が手っ取り早いと考えたのだ。
もちろん交渉相手はキタ朝鮮だけではない、アメリカをはじめとする西側の主要国の賛同も必要だ。世界で唯一の分断国家が非核化、民主化、南北統一といった言葉で平和的に手を結べばそれだけでノーベル賞ものというわけだ。
大統領になれば訪朝も南北会談も自由に可能であり、いくらかの譲歩と現金で金正日との歴史的2ショット写真はどうにでも出来る。ノーベル賞受賞に必要な情報操作も国家情報院のエージェントにやらせてみようと考えた。
あるいは、生き残りをかけた国家情報院がロビー活動をかって出たのかもしれないが、
ここでようやく対外協力補佐官室が登場する。対外的にロビー活動をする国家情報院直属の秘密組織だ。
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この中に出てくる、延世大ムン・ジョンイン教授とは、今日のムン政権で大統領統一外交安保特別補佐官をつとめているあの人物だ。
▲延世大ムン・ジョンイン教授(1951年生まれ)は、金大中・盧武鉉政府の太陽政策と平和繁栄政策の理論を構築した代表的な国際政治学者で、2000年6月、金大中前大統領の1回南北首脳会談特別随行員として北朝鮮を行ってきた2007年10月ノ・ムヒョン前大統領の2次南北首脳会談の時も特別随行員として参加するなど、太陽政策の伝道を引き受けた。
あの時のノーベル賞ロビー作戦の主要人物で、現在も消息が確かなのは延世大ムン・ジョンイン教授ただ一人である。
ムン大統領がキタ朝鮮への国連制裁決議を無視して、360°敵対外交をしながら、米朝のあいだに割って入り、わけのわからない言動を繰り返しているのも、自身のための2匹目のノーベル賞受賞のためにやっていることだと見ればすべてが明確に納得がいく。