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嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

天安艦、救助の時にもう一隻沈没説を追う①

ニホンにいるからでしょうけど新聞報道が当てにならないからあっちの記事を機械翻訳して眺めていたのです そーしたら気になるのがあって  それでコピーして貼るのです。
 
 
 
なんと救助に向かった船が天安艦にゴツン説
 
 
 
3月27日朝大きなゲップ岩近海に浮び上がって消えた‘第3の船’の艦首]

 

当時はもちろん今でも多くの国民はこれを引き潮によって水の上に浮び上がった天安(チョナン)艦艦首を正しく知らない。軍と政府がそのように発表したためだ。しかしこの船は天安(チョナン)艦でゎない。艦首左側最後の端の部分(青い色でひいた四角の中の部分)をつくづくと見よ.
[写真説明:これは‘第3の船’の艦首写真だ。 第一の下写真は左側最後の端の部分がグラフィック処理で操作されたのだ。 上の二つの写真と比較してみなさい。 この部分を天安(チョナン)艦艦首部分とだますために第一の下側写真の左側最後の端の部分の形を操作した。 しかし急に操作するのに手法が荒くて第一の下のことが上の二と違うということをすぐ知るようになることができる。 大きさも天安(チョナン)艦のように大きく見えるように操作される。 ‘サプライズ’シン・サンチョル氏が撮影者から直接伝達されたという中で写真は写真属性がそのまま残っているが、他の二の写真は写真の属性が消えてない。加工されたという話だ。]
 
[グラフィック処理で操作された艦首写真(真上のこと)と引き揚げされた直後の天安(チョナン)艦の艦首(下写真二)との比較]
 
 
 
 
 

[上は正面側から見たもので下は左舷側から見たものだ。艦首最先端の部分にある半円格好の輪を見てね。そしてこれを前で調べたグラフィック処理した写真の浮遊艦首部分最後の端の部分と比較してみます。グラフィック処理された写真では半円格好の輪が関数最後の端の部分全体にかける形に間違って(?)描いている]

 
大きなゲップ岩の前に浮び上がった‘第3の船’が天安(チョナン)艦ではないということは去る4月24日艦首が引き揚げされながら明確になった。それでその‘第3の船’は何か?その付近海域で天安(チョナン)艦と衝突/沈没した船ではなくては別に想像しにくい。そのような船ではどんなものがあることができるだろうか?  哨戒艦であろうか?  哨戒艦である可能性も排除できないが、少し前に一緒に調べた<国防日報>報道を見るならば高速艇である可能性がさらに多い。

 

高速艇は事故直後天安(チョナン)艦にホッチュルを売高救助活動を試みたし、その過程で将校ひとりが海に墜落したし、大波波である種の危険性があってホッチュルを解いて救助活動を中断した。そのように救助活動を中断する時にはそれなりの理由があっただろう。単純に“艦艇の揺れるということとシル族の危険を考慮して”そのようにしたのだろうか?

一方軍の報告で235高速艇編隊の数字がずっと2隻から3隻に一進一退した。それで全体的に構造に参加した高速艇数が四隻から五隻に一進一退した。事故後初期には群島国会報告で四隻の高速艇が救助活動に参加したと報告した。

李合同参謀情報作戦処長は3月27日国会国防委員会報告で “高速艇4隻が何時に到着したのか? ” というキム・ドンソン議員の質問に対して“21時58分に高速艇が2隻が到着した”と報告した。

ところが3月29日国会国防委追加報告の時にキム・テヨン国防部長官は“高速艇5隻と海上警察500t級1隻、それで主に6隻が中心的にその仕事をした”と報告する。   しかし4月2日臨時国会緊急懸案質問では“一番最初に2隻その次にすぐに後に2隻して4隻がそこから出たし、それからおよそ30~40分後に仁川(イン※※※)海上警察から連絡がついたのが...501ハム、すなわち500t級の警察艇が出てきました。” と報告する。

そうするうちに4月7日合同調査団報告では235編隊が21時58分に3隻がきて続けて22時10分に233編隊2隻がきてして都合5隻が構造に参加したことで整理する。しかし具体的にいったいどこの所属の船なのかは明らかにしない。(唯一軍が公開した船は235編隊のチャムスリ322号だ。)

 

 これに比べて人命救助を直接担当した海上警察は事故直後報道資料で“海上警察旧調整が事故現場に到着した午後10時20分ぐらい事故海域にはすでに海軍所属艦艇4隻が到着していた。だが、艦艇らが天安(チョナン)艦に近付くことができなくてサーチライトを照らしていた。” と伝えた。
 この事実は海上警察501ハムが30日午前1時頃仁川(イン※※※)港を通じて復帰した直後持ったコ・ヨンジェ艦長の記者会見でも再度確認された。

それなら果たして救助活動に動員された高速艇は五隻なのか四隻なのか?五隻が参加したが一隻は沈没して四隻が参加したと隠してきて、そのような場合、235編隊の三隻の中で一隻がどこへ行ったかという疑惑が提起されることがあるので五隻で発表を統一させたのではないだろうか?

 もう一つ言ってみれば大きなゲップ岩近海に姿を表わした浮遊艦首部分の姿は哨戒艦のことでないという事実だ。
 いくら見てもそれはチャムスリ高速艇の姿だ。この船は天安(チョナン)艦を救助しようと試みて事故に遭って沈没した高速艇だと推定される。 まず腹の頭の部分の曲線の部分がチャムスリのそれを非常に似ていた。哨戒艦の該当の部分はそのような姿でない。チャムスリのそれは角度もあまり急でなくて形も流線型だ。それに(彼に)比べて哨戒艦のそれは角度もさらに急で形もさらにとがっている。

 

[写真:引き揚げ中であるチャムスリと大きなゲップ岩‘第3の船’艦首部分の姿一致]
 
 
写真:上の写真は3月27日大きなゲップ岩近海に浮び上がった‘第3の船’艦首、該当部分に赤い線で外側の線をひいて模範としてまねた。
下写真は赤い色で模範としてまねた外側の線を135度ほど時計方向で回転させて延坪(ヨンピョン)海戦の時沈没したチャムスリ357号の艦首と合わせてみたのだ。驚くべきことに正確に一致した。]
 
 
[写真:‘3の船,の艦首の部分で模範としてまねた外側の線を天安(チョナン)艦に大きさに合うように調整して天安(チョナン)艦艦首と対照させてみた天安(チョナン)艦の艦首が3の船,に比べて角度がはるかに急で隅形もさらにとがっている。]

したがってその‘第3の腹,’が事故直後、天安(チョナン)艦乗務補助員らを救助しようとしたが衝突/沈没した235編隊高速艇中の一隻と推定される。このように推定すれば多くの疑惑らが解ける。何より大きなゲップ岩近海に現れて消えた‘第3の船,’に対する疑惑が解ける。そして救助に参加した高速艇数字がなぜ四隻になって五隻になってしたのかも解明される。なぜ定員95人(‘ユ・ヨンウォンの軍事世界’で)の天安(チョナン)ハム乗務補助員の数字が104人で吹いたのかも解明される。 ※天安艦の定員ゎ95名でしょ何らかの目的で多く乗船してたとかいう説ゎ おかしいね

進んで北朝鮮制魚雷スクリューが出てきたと操作した蓮花里(ヨヌヮリ)/蓮池洞(ヨンジドン)近海でなくこの場村入り江/大きなゲップ岩近海がすぐに事故発生海域であることが確認される。そして蓮花里(ヨヌヮリ)/蓮池洞(ヨンジドン)近海で取り出したという魚雷の破片は純然なねつ造であることが確認される。そして場村入り江/大きなゲップ岩近海で米軍潜水艦と同じ外部の物理的衝撃に天安(チョナン)ハムが衝突/半破されて46人の貴重な命らが倒れていったことが確認される。

しかし事故後初期対応がうまくいったという話は産痛がこわれる。それでもそのみすぼらしいぶち壊すまいと、この重要な真実を最後まで隠蔽操作しようとするのか?
 
 
 
 っとここまでなんですけど  ちょっと整理すると 9:15に漏水で救助要請そこに海軍の小型艦が救助に向かって ドスン おろおろしてるうちに海上警察がやってきて10:20 さくさく救助 死亡者と行方不明者を隠すために、救助にむかったはずの船の死者ゎ天安艦乗船勤務だったことにして  っと  おつかれさま。