minaQのつぶやき 네토미나

嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

天安艦襲撃魚雷部品が2種類以上あった?

 
[ミリタリーミーナ] 一昨年3月の"韓国哨戒艦天安沈没事故"の最大の証拠とされてきた"天安艦襲撃記念魚雷部品"が同時期に発表された"キタ朝鮮輸出用魚雷図面"と一致しないことはこれまでに何度か掲載してきたので過去カキコ見るよろし
 
 
ところが"天安艦襲撃魚雷部品"として公開されてきた写真に、どう見ても"別物"としか見えない写真が公式調査資料にも出てきていたことに注目してみましょう。
 
 
"天安艦襲撃記念魚雷部品A"の写真は李東官主席補佐官による勘違い発言のときに登場する。 
 
   この写真の魚雷部品のところに注目!
 
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▲李東官大統領府広報首席が28日午後、春秋館で、韓中首脳会談の結果を説明し、会談の間に中国の温家宝首相に見せたとする、北朝鮮が海外に輸出するために作成された輸出魚雷カタログを見せている・・・・・・っと聯合ニュース配信の写真解説のついた“キタ朝鮮輸出用魚雷カタログ”初登場の写真
 
すでにカキコしているとおり"天安艦襲撃記念魚雷部品"と"引き揚げられた天安艦"の印刷されているパンフレットはキタ朝鮮魚雷輸出カタログではないことをご承知くださいね  ※これを輸出魚雷カタログだと思ってるひとまだいませんか? 特に緑色部分は"ロシア製魚雷カタログ"からの引写しですからね♪
 
 
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▲写真上側は李大統領が中国に根回しに向かったときに作られた魚雷図面との比較写真に使われた魚雷部品Aとして 下写真は名物合同調査団団長ユンドンドン教授の説明で一般に公開されたときの写真である。 このガラスケースの中にある"天安艦襲撃記念魚雷部品"Bとしよう。  多くの近接撮影が残されており"名品天安帆立貝"の貝殻が見つかったのも、この"天安艦襲撃記念魚雷部品B"である
 
帆立貝関連はこんなに
http://blogs.yahoo.co.jp/illuminann/313596.html 魚雷部品に貝の欠片があるぉ  
http://blogs.yahoo.co.jp/illuminann/324494.html 発見されたのゎ新種なのです  
http://blogs.yahoo.co.jp/illuminann/342970.html 国防部の言い訳 早すぎっ    
http://blogs.yahoo.co.jp/illuminann/344471.html 国防部 証拠隠滅を図る     
http://blogs.yahoo.co.jp/illuminann/344471.html 証拠隠滅ゎダメ 裁判で決着   
 
 
消えてしまった"天安艦襲撃記念魚雷部品A"
 
天安艦事故から50日も過ぎた頃に"韓国海底捜索隊(漁船)"によって"奇跡的に"引き揚げられたとされる"天安艦襲撃魚雷記念部品"が5月20日に"決定的襲撃の証拠"と言論に公開された際に撮影された写真とそれまでに図面と比較された部品が見るからに違うものだという疑問は以前からも囁かれてきたが、国家情報院エージェントによる"独自ルートからの入手"とされた魚雷図面との不一致について気を取られているうちに第一の魚雷部品は"たった一枚の写真"を残して消えてしまったという。(何枚もあるんだけどね)その後の消息の知れない"天安艦襲撃記念魚雷部品A"はどこにあるのだろうか。
 
 
撮影の方向が違うからではないのか?
 
こうした"正論"にも見える"韓国型思考"でも同じように見えないという意見がここに来てここで主張するにも骨が折れるのだが話はまだ終わらない、
 
同じものに見えるひとは是非ご自身のページで主張なさってください。
 
 
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▲天安艦襲撃記念魚雷部品AとBの写真、モーター部分との接続する部分の形状が違っている、また"天安艦襲撃記念魚雷"としての特徴であるとされた尾部下側のヒレ部分の形状も違っているのだ
 
 
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さらに特筆すべき点としては"モーターのコイル部分"とされてきた部分も"初期公開時"と比べると明らかに大きさが違う。 どう見ても違うし引き伸ばしても縮めても違うったらちがうのっ!
 
その上、ペにょン島近海で活動していたとされる"天安艦襲撃魚雷発見漁船"の船上で撮影されたもの(これを天安艦襲撃記念魚雷部品Cとする)も"少し違うのではないか"という見方も出てきた。
 
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▲モーターのコイルだと説明させるダイナモのような(同じかな?)の大きさの違うものは最初の登場のあとこの世から消えてしまう 残っているの李東官主席補佐官の持っている3つ折りパンフレットに有るきりだ
 
 
大きさを変え姿を変える不思議な韓国型主張
 
このように写真を並べてみると分かるが、"天安艦襲撃記念魚雷部品"はその時々で形状を変えているように見える。
爆発の痕跡があるならばと天安艦船体から発見された数十ナノグラムていどの"微量の火薬成分"ですら発見されなかった"天安艦襲撃記念魚雷部品"がどうして何個もでてくるのだろうか、これには"韓国人独特の早く早く"という行動様式が絡んでいるように思えてならない、証拠は事前に用意しておく、あるいはとりあえずそこにあるものの爆発力で解決したいという欲求のようなものですね
「同じようなものを海軍第2艦隊平沢基地で見かけたことがある、」 「それがどれと一致するのかは分からない」 という当時海軍基地勤務だった人の証言も出てくることに期待したいものです。
 
もしかすると魚雷部品引き揚げというその日よりも前に"襲撃記念魚雷部品"は確保されていたのかもしれませんよ  もちろん天安艦の事故よりもずっと前だったでしょうけど
  
 
だって"単独座書事故"だったとか"米軍原潜急浮上衝突説"とか出てきちゃうと困るのは"建軍以来巨額の艦艇整備費"を上納させていたひと達でしょ
逃げ場の無いところに降りかかっちゃいますからね、
やっぱり"根も葉もキタ朝鮮偵察総局"による犯行っていうのがアノ国にとって国論を統一し選挙に勝つための手段であり貧困と格差から目をくらませる方法として最善だからでしょ。
 
 
 
▲魚雷部品が中国製の大型魚雷ではない可能性も出てきた 外寸が小さいため483mm径の魚雷部品ではないかとも囁かれている そうなれば炸薬量は100kg程にしかならないため天安艦を真っ二つにする“完全水平型バブルジェット魚雷”どころの話では無いことになる。
 
 
 
 
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