海外の文化風俗食生活を正しくニホンに伝えるために
アルマイト製弁当箱は世界的に見ても東アジア圏ではニホンと朝鮮半島でしか存在しない、ニホンでは1970年代までに消滅したし食の本場中国では受け入れられなかった文化だ。しかもアルマイト色と言われる"黄金色"の弁当箱を偏愛するのは東アジア圏でも半島部分の下半分に限られている、まさに"韓流"の原点はこの"黄金色アルマイト製弁当箱"にあるのだが、この歴史は意外に最近だという、これすなわちニホンでは1970年代までに廃れた文化が同じ頃に下朝鮮に輸入されたということに他ならない。

▲アルマイト製弁当箱に入る具材は昔から(40年くらい前ネ)青菜のナムルと白菜キムチ それに半熟目玉焼きというのが大体の決定事項でありこの件に関して一部言論では"海産物"はどーなっているのか のり(海苔)を入れないというのは規則違反だ、 海苔はフタの裏に付くので除外しなくてはならない” などの住民運動もあったという。

▲このように"赤青黄色"で作り出された"1970年代からの流行"であるビビンバ弁当(目玉焼きがまだです。)は"韓国起源の崇高なる簡易食である" これを世界的韓流文化伝播の流れに乗せて"世界中に大きく広めなくてはならない" っとか 妄言も "めし少な目"という合い言葉が生まれるまでには、ギッチりと詰め込んだアルマイト製弁当箱の"めし部分(約1/4)を摂取"した後にもたもたとかきマジェていたのが現実だった。

▲朝鮮半島下半分では"アカ=危険思想"であるからキムチのことを"赤い=あかい"とは言わない、しかし見るからに赤く韓国人の食欲をそそるキムチについてはむしろ、赤い(アカ)ことが尊ばれるし歓迎する風潮さえ存在する(韓国国内での消費する赤唐辛子の最大の生産国は宗主国たる中国であり韓国産赤唐辛子の生産量は僅かに0.3%程度という。)。
みそっちのハングル講座
言葉の言い換え 例 あたりめするめ
赤い あかい 〓 キムい (あっちの主席 キムさんなのに)

▲体験型学習施設風(郷愁の学校生活)を再現した食堂で"韓国型改造オバチャン"が"フリフリまじぇまじぇ弁当"を実体験している ※フリフリまじぇまじぇ弁当箱が韓国にもたらされたのは1970年代でありギリギリのセーフである。

▲ニホン報道(あるにだ大辞典)でもたらされた韓国の"フリフリまじぇまじぇ文化"については韓国内でも数々の意見があり、必ずしもアルマイト製弁当箱は"フリフリまじぇまじぇ"するだけではなく"フタでお湯"を飲むシーンが不足している(この場合マジェマジェ海苔は歓迎される)、また当時を知る年代の老紳士ラの証言でも"画一化された食器(アルマイト製)は存在しなかった"という意見もある。

▲ストーブの上で"焼きビビンバ"を実演している。 弁当箱をストーブの周囲に置いて保温するという発想とともに"ストーブ周辺"に当時の教室内有力者が集まって来たことは確かだろう、当時のストーブを囲む不良らに占拠された"焼きビビンバ場(ポジション)"が学校での食事時間にあって大きな影響を与えてきたことは韓国の歴史の中でも恥ずべき時代だった。

▲ナムル+ナムル(小魚っ)+キムチ & 目玉焼きごはんという組み合わせ この場合ご飯が"麦30%"の軍用風であることにも注目したい、 だからといって"フリフリまじぇまじぇ"の原点が軍隊にあるわけでは無いのだ。 食糧事情の自給化が進んだ1980年代までは韓国の政府配給米は麦入りだったし、貴重な外貨で東南アジア~ニホンから食用のコメを輸入していた。現在でも食料自給率はアジア圏では最下位の食料輸入国ならではの食べ方だったということだ

▲お食事時間に近い方々には申し訳ない画像だがこれが"フリフリマジェマジェ"という食文化だ、しかもこのあとに"食べる"という驚愕の事実が存在する 彼らはこれを食べるのだという

▲フリフリまじぇまじぇの為にはアルマイト製弁当箱の空間が必要となる、食糧事情の悪かった下朝鮮では政府支給米が麦混入だったし、なるべく多く食べなきゃという"韓国型発想"に、こういう食べ方が現在でもあるのかというのは疑問である。
このふりふりまじぇまじぇ弁当定食の値段は ワカメ入り味噌湯ともう一品(もうちょっとまともな物)で8000ウォン

▲ごちそうさま画像 フタにお湯だろう(スープだろ)と考えるがそれはニホンだけの文化であり アノ国では人数分のお湯が用意出来ない事情もある (ヤカンは通常でも3~4㍑)
(翻訳添削:みそっち)
大規模野外机上食、汁少な目
もちろんインスタント麺が最近になってニホンから食糧援助されるまではこのような"大人数処理型"の現韓国風な食事形態が無かったことは言うまでもないだろう、 (んじゃぁ何食ってたんだボソッ)