ジャージャー麺の日だったぉ
混ぜる文化はそれほど古くない?
キムチ消費量が減っている、
ビビンバは外食時の緊急食?
給食で残るキムチの再利用計画
[コリアミーナ] 韓国の食文化といえば"キムチ、きたない、混ぜる、"という3つに説明される。
食卓の食材再利用(食べ残し再利用)の元祖は韓国であるし、それはだれ一人として否定できない韓国の伝統でもあるという現実に文句のあるモノなど誰一人としていないだろう。それほど食材再利用は20世紀における東アジア最貧国だった韓国は食べるものに不自由していたのだ。これは現在の壮年層の韓国人の多くが若年層の頃に貧しい食事をしていたという証明でもあると見ることが出来る。
ところが混ぜるという食文化がアノ国で形成されたのはそれほど昔ではないのだ。 朴政権の頃(~1979年)、軍事政権だった頃の韓国で生み出された独特の食文化なのだというのが最新の学説だ、当時になっても存在した貧困層との明確な差別化はニホンの半島統治による義務教育という足枷(あしかせ)によって学校という教育機関に子供たちが通うことになった、やがて半島統治時代が終わり半島は独立への
・・・略・・・
学校にお弁当という時代に生まれた
学校という教育機関では何よりも公平な平等性が求められる、しかし、いかんともしがたい貧富の差が"韓国型昼食事情"をもたらすこととなる、 当時の韓国の食料自給率はわずか20%程度だったし、ほとんど全てが連合国による食料援助によってまかなわれていた。(ニホンによる古米古々米援助の頃 昭和47年頃)そこで食糧難+教育に悩む朴政権は学校での弁当差別を無くすため"弁当フリフリ"を奨励したのだ、
それまでのニホン統治時代に根付いた"各自の食器による食事"という基本的文化(箸をつかう、手を洗う等)が民衆に行き渡った頃にやってきたのが弁当画一化のための"マジェマジェ文化"だったのだ。
しかし軍事政権が強制したマジェマジェ文化は最近のキムチ消費の減少とともに大きく変わり過去のものになろうとしている。
なぜキタ朝鮮にはまじぇマジェ文化が無いのだろうか
まぜるビビンバというのは韓半島南部発祥ではないし明確な起源も示されたことはない、それどころか"唐辛子"と"白菜"によるキムチなどほんの100年ほどの歴史しか無いことに注目しなくてはならない。
それまで韓半島に住む朝鮮人の主食は雑穀であり白米の原種となる米(こめ)が輸入されたころ(16世紀)から栽培に不適格だった韓半島の土壌に適した稲が導入される19世紀のニホン統治時代まで待たねばならなかった。
※20世紀だとおもいます ぁ 19世紀かも
みんな貴族出身になった韓国という国
東洋の最貧国と差別社会が生んだマジェまじぇ飯はキタ朝鮮ですら存在しない"近代型マジェマジェ文化"という特異性だけが韓半島下半分を代表する食文化になってしまったのだ。
そもそも混ぜるという文化が発達した朝鮮半島では長い間食器の無い生活が続いていた、
だが実際の支配層であった"両班"と呼ばれる知識階層では混ぜる文化は存在しなかった。
これはやがてニホン統治政府による身分開放へとつながり"誰もが貴族階級出身"という特異な韓国型身分詐称事案となっていく。 ※韓国では3代前の先祖の出自は秘密 っていうかわかんない
混ぜるということは韓国の国旗にもあるように混ぜるということにほかならない、 混ぜるということが善であるとするならばそれは韓国人のアイデンティティーであり・・・・ 以下略
主に、まだ恋人たちのできない手に入れた人々がジャージャー麺を食べる日が知られています。(ソロなので中華料理店に行ってみれば、このナルマジョカップルが一緒に食べている。)2月14日のバレンタインデーと3月14日のホワイトデーの直後に帰ってくる14仕事という点では、両方の記念日の意味と密接な関連がある。ブラックデーの後に戻ってくる14日はロジュデイです。