天安艦 飛び交うデタラメ④
天安(チョナン)艦事故を寄り道で見てみると
天安艦 訓練に参加せず
フォールイーグル鷲訓練に参加させてもらえなかった外洋航行不適艦な天安(チョナン)艦はぺニョん島と大青島(テチョンド)の間の東側NLLを行き来しながら 不法漁業を日常的に行う180隻余りの中国漁船を監視するためにあのへんでウロウロしていたと考えます あれれ? 海上警察のお仕事でしょ って思うでしょ 昨日の中国漁船体当り逆神風でもわかるように海軍だって同じ任務で近所にいるのです
事故当日の2010年3月26日は、陰暦で言うと2月11日
丸い月が浮かび上がった月の明るい夜と言われているにもかかわらず海霧発生で視程が500m以下という航行に安全のお約束出来ない、いかにも韓国海軍が事故を起こしそうな日でした。
ぺニョん島西側からペニョン島南側をすぎて東に移動した天安(チョナン)艦が中国漁船監視任務を終えて左折でUターンして 東側で西の方にまた戻って
▲ぺニョん島と大青島に間には天安艦クラスの船が通れる航路は1本しかない 左右は暗礁ゴロゴロです
天安艦は錨を下ろす
9時15分頃
ぺニョん島東南側2.7km海上に位置したコンビニ岩周辺の海底砂丘に座礁して所属の海軍第2艦隊に座礁による破口で浸水していると救助要請をして、 急に船首を面舵に回して座礁地点と最も近いところに位置した西北の側に4km程度離れたペニョ村港(ペニョ村入り江)に走りながら帰港しようとして、 座礁地点で約2.7km程を走った時 ぺにょ村港まで1.3km程残した地点で 88mの長さの天安(チョナン)艦が破口で浸水した艦尾が水深24m程度の砂場海底に沈んでしまって、 艦尾は海底に沈んで艦首は水面上で20゜程度の角度で斜めにわき上がった状態で、天安(チョナン)艦は潮流に流されることを防いで波と潮流に船が転覆することを防ぐために 急に艦尾面舵イカリをおろしたが、
その時、9時22分頃!
東側(東南側)で西側(西北側)で進行したインダンスの潮流にのって1秒ごとに関数の後方で駆せ参じる大波性波が傾斜した天安(チョナン)艦の艦首を乗って上がって その重さを持ちこたえることができなくて 天安(チョナン)艦は座礁時損傷を受けた船底の破口部位があっという間に折れながら真っ二つになってしまったが.......
天安(チョナン)艦が艦尾が沈みながら艦首が沸き上がる光景を事故地点から東北側で880m程度落ちたTOD警戒所で海兵隊哨兵が自分の目では直接確認したが、あまりにもあっという間に起きたことであったため!TODカメラでの記録は出来なかったようだ
これは天安(チョナン)艦が座礁による破口で浸水すると救助要請をしたが、海軍第2艦隊では 日頃から仲の悪い海兵隊に救助要請(救助協力命令)をしなかったり 救助要請をしたのに海兵隊が協力をしないためだっただろう
そして天安(チョナン)艦は真っ二つになりながら水面上に落ちる50m程度長さの艦首が逆V字型をして落ちながら水柱でないしぶきを起こした後平衡を維持したが、これもTOD哨兵が直接目で確認をしたし....... してないし
天安(チョナン)艦の艦首部分が平衡を維持しようとする瞬間 常時海側から陸地側に押し寄せるぺニョん島水道独特の潮流が真っ二つになった艦首の左側を強打して 艦首部分は右側に90゜角度で倒れてしまったし.......
このような状況らがあまりにも瞬間的に広がってしまって艦首の艦橋に避けて身を守っていた生存者らが気が ついて倒れた艦首部分の艦橋で這い上がって甲板のように平平なことは艦首の左舷鉄板の上に駆せ参じた時は艦尾はすでにほとんど沈んでしまった状態であった。
やはり放水と防水の区別が出来ないから
艦尾が事故後わずか3分余間にほとんど沈んでしまうことができたことは真っ二つになる前にすでに浸水で大部分沈んだ状態だったためだっただろう。 その当時に58人の生存者らは艦首の艦橋にあったし46人の死亡者と失踪者らは艦尾にあったが、9時15分に最初状況が発生して9時22分が少しできなくて真っ二つになる直前まで約6分程度間に避けて身を守る人々は安全な艦首の艦橋に避けて身を守って浸水を防ぐために 艦尾の船底で排水ポンプで水を汲み出す人々が区分されていた。
艦尾で死んでいった46人の将兵らが大部分技術職の副士官(下士階級)だったことで知ることが出来るように。その状況で浸水を防ぐためには怒涛のように流れ込む水を汲み出すことが最上の方法であったのに排水ポンプと消防ホースで水を汲み出すということだったし、この部分は技術分野だ。 防水命令が放水であった可能性も否定できない
それで艦長は極度の危険な状況で可能な多くの将兵らを安全な艦首部分で逃避させて船も救うために技術職らを危険に狩り出すほかはなかっただろう。
大部分が下士階級だった46人の死亡者と失踪者らはその危険な状況でも死を覚悟して命令に従いながら
一つしかない命を捨てる覚悟を耐えたという....... その軍人精神、犠牲奉仕精神を私たちは認められなければならない。 ここ笑うところですよチョーセンジンにそんなひといませんから
それでも海兵隊は出てこなかった
海兵隊が最後まで出てこなかった。
ありえない広がったのだ。
海軍指揮部で命令をしようが、海兵隊の自らの判断繋ごうが間に!
海兵隊は 夜は戦争をしないことになっている 夜間休息の原則を忠実に守るからだ
浸透後要人暗殺と要人救助のような任務も訓練された精鋭部隊なのに....... 夜はお休みなのです。
分隊単位で上陸をする特殊部隊だと見ると各部隊ごとに 数十隻の動力高速艇ゴムボートを海岸に保有しているが、海兵隊の島だと呼ばれるペクリョン島でそれも海兵隊の部隊らが密集した海兵隊近海で104人の味方が乗っている軍艦が真っ二つになって死んでいっているのにも.......世界最強の海兵隊は最後まで事故現場に出てこなかった。 その代りに海軍(2艦隊)は 遠く離れている海上警察を呼んだ。 事故地点自体を事故地点と他で呼んでくれながら!
天安艦事故の朝鮮人的対応
天安(チョナン)艦からの緊急事態救援要請で 座礁による破口で浸水すると救助要請を受け取っておいても安易に対応してあっという間に46人が乗っていた艦尾が水の中に沈んでしまったという携帯電話報告を受けては....... マズイことになる 隠さなきゃ 内緒にしなきゃ とにかく海兵隊だけにはバレないようにしないと
海軍ではその責任が怖がり事故地点自体を移してしまったのだ。
天安(チョナン)艦はぺニョん島東南側のぺにょ村白砂浜の前1.1.km程度 ぺにょ村港からは1.2km程 事故地点から東北の側にある海兵隊TOD警戒所からは880m程度事故地点から西北の側にある大きなゲップ岩からは1.2km程度離れた 北緯37度54分41秒、東経124度40分43秒海上地点であったのに.......
海軍では事故地点自体を海兵隊部隊と遠く離れていながら無人の境のペクリョン島西南方遠い海で2.5k mの前に移してしまったのだ。 そして以後で天安(チョナン)ハム事件は 政治的な問題になってしまうけれど......
嘘が嘘を産んで、嘘がまた、嘘を産みながら....結局はその場でそのこの前に誰かが鉄板のサビ水の上に使っておいたマジック1度をすくい出すようにまでなる。