minaQのつぶやき 네토미나

嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

四箭铳筒と新制铳筒を知る

 
 
 
 
いっぱい発掘されるけどいまだに何に使うのかよくわからない朝鮮遺物とか
 
しかも必ず埋まって発見されているしそれが近代になるまでなんだったのかワカンナイというもの、
http://japan.yi-sunsin.com/01war/04_02.jsp
壬辰倭乱のとき、日本水軍は昔から伝えられてきた固有の登船肉薄戦術を使った。この戦術は船舶の上に飛び込んで個人携帯武器を利用して敵を殺傷する短兵戦術(白兵戦)であったが、主に略奪船舶の船員を殺害して物品を奪うための倭寇の戦術に起因したものといえる。以後、16世紀中盤に鳥銃が伝来し、既存の短兵戦術の他に鳥銃を活用した射撃戦術が追加されたが、全体的な戦術変化は大きくなかった。
これに反し、朝鮮水軍は大型戦艦の前後左右に装着された各種大型火砲を土台に艦砲戦術を駆使し、戦艦を利用した撞破戦術、火攻戦術を駆使した。特に朝鮮軍の火砲は日本軍の鳥銃に比べて射程距離が格段に長かったため、接近していない状態でも敵を攻撃できたので、陸戦とは異なり朝鮮水軍が絶対的な優位を占めることができたのである。
そういう歴史事象があったということの証拠が無いのになんでかな、
 
15〜16世紀の製作と推定19点されるものが多数出土
 
四箭铳筒と新制铳筒、细铳筒など、朝鮮前期の物と思われる铳筒類の遺物19点がソウル世宗路街の山のように出土した。

埋蔵文化財専門調査機関であるハンウル文化財研究院(院長キム·ホンシク)は、ソウル鍾路区ダンジュドン29一大世宗路地区2地区都市環境整備事業敷地4272㎡を発掘調査した結果、朝鮮前期の建物跡の基壇の前面で铳筒19点を一挙に発見したと25日、明らかにした。 これら铳筒のうち5つは個々に確認された残りの三塊は铳筒同士が固着した姿で収拾された。 铳筒たちの製作時期を記録した文字も残っている。
※製作時期を記録した銘が残ってるのに製作時期は推定なのです(嘘だよね)

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◇ソウル世宗路都心の再開発現場で大量に出土した四箭铳筒と新制铳筒、细铳筒など、朝鮮前期に铳筒類の遺物の一部。  ハンウル文化財研究院提供

キム·ホンシク院長は "保存処理の過程で詳細な情報が明らかになりますが、現在までに肉眼で確認した銘文の内容を表示するときに铳筒は大きく四箭铳筒と新制铳筒、细铳筒の3種類に分けられる"と話した。
四箭铳筒は長さ25〜26㎝、銃口直径2.2㎝、重量816〜864gで竹節(竹)の形の胴と部屋、柄の部分で構成される。 新制铳筒は長さ20㎝、銃口直径1.3〜1.4㎝、重量383〜394gで測定された。 やはり竹節形の銃身と薬室と柄の部分に分かれて袋を取り付けようにこっそり行われるように製作した銃の部分に "新制"(新制)と読まれる銘文を浮彫りにしたことが確認された3つの铳筒は長さ13.8㎝、銃口直径0.9㎝、重量135gであり、別の銃部分なしで銃身と薬室で構成された。 銃身よりも多少厚く製作された薬室の上部に穴をくぐった。
 
 
 
新制銃筒って何?
 
 
新制铳筒
 
朝鮮前期に製作された、手に火種をつけて発射する有筒式火器。
细铳筒よりやや大きい方であり、1467年(世祖13)7月の王がイムヨウン大軍(臨瀛大君)と申叔舟などをさせてモファグァンに私が新制銃筒を試験して発射するようにしたのが初めてだった。 使用する方法も歳総統と思うが、20〜30挺を同時にチャン·ジンして腰につけ、主に馬の上で1粒の目標に向かって発射した。 薬桶(药筒)·ギョクモクトン(激木筒)·とり(觜)·募兵(冒柄)に分かれており、全体の長さは6村5分、使った矢は新制銃筒扇だった。  (あっちの訳、)
 
朝鮮前期っていつごろ?
 
李氏朝鮮(りしちょうせん)は、1392年から1910年まで続いた朝鮮半島の最後の王朝李朝(りちょう)ともいう(李王朝の意)。高麗の次の王朝。約500年に及ぶが朝貢国であった時代(1393年 - 1637年)と、朝貢国であった時代(1637年 - 1894年)、清と欧米の列強および日本が朝鮮に対する影響力をめぐって対立した末期(19世紀後半 - 1910年)という3つの時代区分に大きく分けられる。
 
 
 
矢が飛んだの?
 
火縄銃(先込め鉛弾)の発明された時期に遠慮して"矢"が飛んだようです
 
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▲正確に再現されたと主張されている復元模型、その証拠となる資料が写真右側の部分にあるものだけだそうです。 あるいは"朝鮮華道"の道具だったかもしれないね
 
 
ニホンはどうだったっけ
日本に「銃」としての鉄砲が伝来する以前、元寇時に「てつはう」と言う火薬を使った音のする武器が知られていたことから、銃が伝来してのち、これに「鉄砲」の字を当てたとも云う。通説では、「銃」に相当する鉄砲は天文12年(1543年)に、ポルトガル人をのせた中国の船舶が種子島に到着したことをもって伝来の最初とする。
 
 
 
 
付録 こんなの イメージ 6
 
 
 
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▲将軍大筒と呼ばれる図解のもの、実物は一切存在しない
 
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▲将軍火筒は成宗5年(1474年)に公布された当時の兵器図説に登場する銃器のひとつです。 兵器図説にのみ出てくるだけで、朝鮮王朝実録やその他の記録には一度も登場していないため、具体的な開発プロセスとその実力は確実じゃないんだとか
 
 
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▲これが飛びます、 たぶん飛ぶんだと思います、何分にも当時の記録が一切ない上に朝鮮末期に作られた図解説明にはその大きさが載ってないので脳内で合成したようです
 
 
 
 
これらの複製品(韓国式妄想品)は建国大学博物館、陸軍士官学校軍事博物館、高麗大学博物館、慶煕大学校博物館などに所蔵されていますよ