最前線の西海5島 延坪島って
延坪島砲撃から2年、緊迫する西海5島、
[ミリタリーミーナ] キタ朝鮮による2010年の延坪島砲撃(韓国では延坪島砲撃事件という)で住民の大半が半島へ避難してから2年が過ぎた、現在、延坪島の海兵隊兵力は2000人程度とされる、キタ朝鮮とは海上12km隔てた最前線の島である、4方を海に囲まれた延坪島は大小2つの島からなる、一方島に残った住民の大半は中国の違法操業と拮抗しながら名産でもある"カニ漁"によって細々と生活しているに過ぎない、ところが延坪島には繁華街が存在するのは最前線の島ならではの現象だ、島では酌婦を置き海岸警備部隊を相手に商売をする"飲食店"が複数存在する。
延坪島での"飲食店"の歴史は古く6.25戦争の直後から駐留する軍部隊を追いかけて開業したのが嚆矢となる
少数の将校相手となる"高給娼家"は現在2つ、また下士官・兵を相手にしている"韓国型飲食店"も複数存在している、これらの店舗が開店するのは平時の海兵隊の訓練がおわり夜間点呼のある夜10時までというのが表向きのだが夜間公用外出許可の比較的自由な下士官級らはそのあとになっても居続けることが多い。
※駐留する海兵隊部隊員は半数ずつが交代で勤務にあたる
去る盧武鉉前(ノムヒョン)大統領時代には10.4平和宣言(西海平和協力特別地帯)によって軍部隊の縮小が行われたりもしたが駐留する軍部隊特需に依存する"韓国型飲食店"はその都度廃続の危機に当てられてきた。
現在延坪島に複数いる"韓国人慰安婦"は推定で50人程度とされる、これは居住人口からみても比較的多いほうだ、また延坪島海兵隊駐屯地の目の前で"貸金業"をいとなむ業者も少なからず存在する、相手が島嶼地に勤務する現役の兵隊ということもあり窓口ひとつで開業できる"私債金融業者"はそのほとんどが違法未登録業者であるとみられる。
"最初の借金は10万ウォンでした"、そう語る在島歴4年になる某キムさんはあちこちから借りた借金の返済からまとめて返済できる上手い方法があるといわれ島にやってきた、"現在では借入金の額は数千万ウォンにまで増えたが生活はなにも変わっていない"と話す。"僑民の多いニホンという選択もあったが渡航費用の前借りという負担も大きく"島"へやってきたという、島への渡航は漁船に乗せられ最初はどこに向かうのか分からなかったしあとになって延坪島だということを知ったと話した。
延坪島をむすぶ定期客船はわずか一隻
延坪島砲撃事件のあと被害をうけた店舗兼住居の建て替えもあり複数の建設労働者らが入島したりもしたが景気が良かったのはごく一部にかぎられたし駐留する海兵隊の増員が無ければ先細りになるしかないとはなすのは島で唯一のコンビニエンスストアを経営するキム某氏(57)だ、
おりしも北朝鮮はこの日午前9時30分頃から空襲警報を出して1時間防空訓練をした。 しかし、わずか数分後、海兵隊延坪部隊のホットラインを通じ "誤って出て行った放送だった"という連絡が来て、びっくり驚天した役場の職員と住民ははじめて安堵した。
仁川市甕津郡によると、同日午前11時45分頃延坪島のあちこちに設置され、スピーカーから "実際の状況です"という軍人の声が流れた。
放送を聞いて驚いたヨンピョンミョン事務所の職員10人余りは緊急無線機を用意して各自引き受けた担当避難所に走って行った。
その間家で昼食の準備をしていた住民数百人も飛び出して体を下げたまま避難所に向かって走った。 戦争が起こったと思って旅客船に乗ろうとダンソム船着場に駆け付けた住民も一部あった。
(この記事転載は ネト 美奈がカキコしました)
はじめてご覧になられた方はご苦労様です、 ネト美奈(ねとミナ)に良く似たお名前も散見しますがお間違いの無いようにお願いします。