落ちた大尉、飛行時間は年間80時間??
操縦不能の機体を壊した空軍大尉⇒英雄ニダ
事故の原因は"原因不明の整備不良"
再発しますか?の問いに"老朽機種であり改変が進むと考えている"
訓練時間は少なくないでしょうか?"平均的だと思っている" ニホンの半分以下?
この大尉は、事故当日の滑走路を離陸した直後から、機首が急激に上昇し、右にずれる異常を発見した。 機首を正そうと操縦桿を最大限に手前に引いてコックピットの計器を続けることを確認したが、原因を特定することができなかった。
※機首が上がるなら操縦桿は前に押すと思います。
管制塔では近くに飛行中だった別の航空機を接近させてこの大尉を手伝うようにした。この大尉は追跡機の助けを受けて30分間4回にわたって非常着陸を試みたが、航空機の姿勢の調整が不可能だった。
その間、この大尉はクラッシュに備えて地上爆発や火災の範囲を減らすために、燃料タンクの燃料を最大限に消費しなければならないと判断、空中で1時間10分間30回以上を旋回飛行したと空軍は伝えた。
結局、この大尉は民家を避け、清州基地の北東二泰山地域まで飛行した後、機体が空中に垂直に上昇するように制御棒を置いたまま、緊急脱出した。
墜落地点は民家から100mほど離れた所なのでややもすると大事故につながるところだったが、幸いにも民家の被害はなかった。
この大尉は、 "離陸直後に正常な飛行が不可能だったが何とか着陸させてみることにした"とし、 "最近に射出座席も交換したため、いけるんじゃないかと考えた"と当時の状況を伝えた。
▲落ちてくる落下傘はゴルフ練習場からも至近の距離で確認された(地上45m)
空軍関係者は "当時の航空機自体の水平飛行が難しく、空しか見えない状況にパイロット自身が航空機と地平線との関係がどうなるか分からなかった"とし、 "この大尉は操縦桿を引いたので、インジェクションする瞬間気絶をし、落下傘では手をあげて着地点を調整する必要があり降りてきてまたびっくりした "と話した。
この大尉は、 "隣の追跡飛んでくれたイサンテク少佐(空士49期)は、かつて教官もしていたのでラジオ交信の声だけ聞いても大きく励ましになった"としながら "無事に着陸して妻を見たかったし、脱出してしばらく気絶した目を覚ますと民家の被害がないという知らせに感謝した "と話した。
空軍はこの大尉の軍人精神を高く評価して表彰を与える案を検討中だ。
(翻訳:みそっち)
先月の墜落のこと
▲26日午前11時55分に忠北曾坪郡でF-5E戦闘機1機が墜落した。
この戦闘機は清州基地を離陸した直後、機首急上昇現象が発生し、操縦士某大尉(32歳)は非常着陸を数回試みたが、着陸が不可能で基地近くの野山の上空から脱出した。 当局はこの戦闘機周辺えを"爆発物が搭載されていて、2次爆発の可能性がある"と判断して事故現場へのアクセスを統制した。
この戦闘機は清州基地を離陸した直後、機首急上昇現象が発生し、操縦士某大尉(32歳)は非常着陸を数回試みたが、着陸が不可能で基地近くの野山の上空から脱出した。 当局はこの戦闘機周辺えを"爆発物が搭載されていて、2次爆発の可能性がある"と判断して事故現場へのアクセスを統制した。
先月の墜落事故はココ ⇒ http://blogs.yahoo.co.jp/illuminann/11227344.html
地上では"足をドンドン"させて見守るニダ
脱出したこの大尉はパラシュートは開いたが、操縦桿を持つ力を使い果たして気絶したという。 これを見た地上の指揮官たちは足をドンドンさせたが、幸いに精神を整えた地上に着地した後、再度気絶した。
病院の緊急治療室に到着してからこそ目を覚ましたこの大尉は、 "民家の被害はありませんでしたか"と最初に尋ねた。
2006年に任官したこの大尉は2007年12月からF-5系列の戦闘機を操縦している。
総飛行時間668時間のF-5系列は501時間である。
2007年って6年前ですね、飛行時間は6年間で501時間であるというわけです
すると空軍関係者による、"機体の共食いで飛行可能な機体が少なくなっており、飛行訓練にも支障をきたしている" っていうはなしはホントのようですね
・整備マニュアル翻訳出来なくて F‐15Kのうち数機は部品予備機体(朝鮮日報)
・16万ページに及ぶ部品図の翻訳にはあと数年かかる見通し(中央日報)