40年前の海上警察艦交戦事件
【40年前の海上警察艦交戦事件】
いまさら悔しいから再調査するんだって
"863艦事件"ってなに?
1974年6月28日に朝鮮国境近く最北端の漁港巨津沖でイカ漁の漁船を保護していた大韓民国海洋警察の警備艇863艦が北朝鮮の海軍艦艇3隻の攻撃を受けて沈没した事件である。
[キムチミーナ]政府が40年前束草沖で漁船保護任務遂行中に北朝鮮艦艇3隻と交戦する沈没した"863艦事件"について全面再調査に入った。 事件直後、作成された"863艦襲撃事件に対する内部・国防調査団の真相調査書"がきちんと調査作成されたものなのか再評価して遺族らが要求している行方不明者の国立墓地埋葬などを検討する予定だ。
真相調査書には863艦襲撃沈没事件は、海警の乗組員の一方的過失と北方限界線を侵犯して発生したことが記述されている。
国民権益委関係者も"去る8月、863艦の沈没原因や真相解明などに対する苦情が寄せられ、最近まで海軍・海上警察、国防部、国家記録院などで関連資料を渡してもらった"、"来る18日、弁護士など関連専門家が参加する小委員会を開いて再調査対象などを議論する予定"と明らかにした。
束草(ソクチョ)海洋警察署所属の200t級の警備艦の第863号艦はレーダーが故障したため、帰航の仕事を一日早めて1974年6月28日午前8時45分ごろ、巨津港に復帰していたところ、江原道高城郡(カンウォンド・コソングン)ジョジン北東13マイル北方限界線(南方2マイル)の海上で北朝鮮艦艇3隻を会って交戦を展開して沈没、28人の乗組員のうち26人は死亡し、2人は北朝鮮に拉致された。犠牲者のうち8人は遺体が引き揚げられ、国立墓地に埋葬されたが、18人は遺体を見つけられなかったという理由で行方不明者として処理され、国立墓地に位牌だけ奉安されている。
(翻訳:みそっち)
これじゃ何だかワカンナイですね、もうちょっと調べてみましょう。
[1974年、束草(ソクチョ)海戦の再照明]
2013/6/28
[キムチミーナ] 39年前の今日、江原道(カンウォンド)東海岸束草沖で韓国海警史上初めての惨事が発生した。警戒勤務に乗り出した海警863艦の警備艇が北朝鮮の軍艦との銃撃戦の末に沈没、26人の警察が死亡したり、行方不明になった。しかし、今この事件を記憶しているのはあまりない。忘れられた戦闘になった。 29日に11周年を迎える"第2延坪海戦"で死亡した6人の将兵に対しては国家的な追悼イベントが続いているが、この当時、死亡した海洋警察たちについては、我々みんなが忘れている。国家記録院が保管した真相調査書と直後、海洋警察の勤務者らの証言をもとに海洋警察863艦襲撃事件を再評価した。
▲1974年6月28日、北朝鮮の軍艦により沈没した束草海洋警察隊所属の863艦の前に立ったホパンクブハムジャン(左・当時の経緯、行方不明)と出航直前863すると乗組員たちの姿(右)。
1974年6月26日午後6時。28人の乗組員(警察14人、戦闘警察13人、補助人材1人)を乗せた束草海洋警察隊所属の警備艇863艦(181t)が束草港専用埠頭(束草、水産協同組合の隣の埠頭)を出発した。イカ盛漁期で海上には漁船が多かった。 季節的要因で霧が立ち込めた。出発3日目の28日未明、海岸から40マイル地点で巡航警備を継続した。帰国日が明日(29日)だけど、急にレーダーに異常が生じた。濃い霧で位置確認が難しい、近くの海域で勤務中の海軍57艦と情報を交換、位置を推定しなければならなかった。
※海上で位置を確認するのにレーダーをつかうんだ
同じ時間束草海洋警察隊状況室に向けて、"レーダーの故障"を知らせる863艦の無線通信が繰り返された。863艦勤務者が、外海の警備を担当している海軍57艦にレーダーの故障の事実を知らせた。"現地を離脱して巨津港に帰港する"は863艦、当直の報告も続いた。 これで近くの海域にある861艦が863艦警備区域まで務めなければならなかった。
羅針盤に頼って帰港を決意した海上警察第863号艦が海軍57号艦に"針路を与えよ"と要求した。 57艦が方位角度を知らせてくれた。午前8時45分ごろ863艦は"依然として視程がよくない"と報告した。 すぐそのときに状況室に緊迫した音が聞こえてきた、"北朝鮮軍軍艦右側から発見"。
北朝鮮戦闘艦3隻が863艦を包囲した。北朝鮮に拉致しようとする意図で見せた。そのまま拉致された場合、警備艇にある各種文書など作戦計画がそのまま露出される。 しかし抵抗すれば全員命の保証できなかった。 863艦には80口径砲1門と50口径重機関銃3挺、30口径軽機関銃2挺や小銃などの個人火器がすべてだった。
この火力では到底、北朝鮮の軍艦3隻を負えなかった。30秒も経っただろうか。急に大声と一緒に銃声、艦砲の音が振動した。状況室には"北朝鮮軍と交戦中、支援求む"というホパンク(当時の警士)無線機の慌てる声が響き渡った.。これ以上何の話も伝わっていない。
束草海洋警察隊では翌日午前になってようやく現場を訪れた、船体は跡形もなくなって数体の死体だけ出ていた。ソンサンデ(当時30巡査)などは水の上に浮かんでいた戦闘警察の遺体6体を引き揚げ、午後2時束草港に力なく帰港した。遺体は血なまぐさかった。救命服を着用して銃弾迎えた橋には下着を裂いて結んだ止血対価ままだった。いかに悲惨に戦闘を繰り広げたのか足、肩の止血対価2つである場合もあった。近くの束草(ソクチョ)医療院に安置した、夜を徹して、遺体に破片などを除去して服を着替えさせた後、太極旗で覆った。
3日後、火葬する過程では除去した破片の数よりもっと多くの破片が抽出された。2週間後モギュフェ(当時30)巡査は浦項迎日湾の海岸で警察6期の同期生キムウォンハンの巡査と先輩のキムシオ巡査の遺体を収容した。被沈事故現場から163マイルも離れたところまで漂流されたのを見て村人たちは、慶尚南道蔚州郡ノンソ面(現蔚山市)と慶尚北道英和郡の臣面が故郷の二人が親兄弟と妻子を探してこの遠いところまで流れてきたとし、残念がった。犠牲者は艦艇アンチョンイルの軽減を含めて計26人。警察官2人と戦闘警察6人は死体で引き上げられ、18人が行方不明になった。ジンジョンヨンの巡査と戦闘警察シンミョンソンは、北朝鮮に逮捕されて拉致された事実が数日後、開かれた板門店軍事停戦委員会の席上で確認された。
(翻訳:みそっち)
863号艦は操艦ミスでキタ朝鮮領海に侵入したとした結論
武装した船が敵国のフネに発砲したら沈められて当然だから
[ソウルミーナ]海上警察艦の乗務補助員たちが西海延坪(ヨンピョン)海戦の犠牲者と同じ待遇を受けていないのは当時の襲撃事故が勤務のミスによるものと知られていることが影響している。
当時の事故の後、政府は内務省と国防省の関係者で構成される合同調査団を設けて詳細事故経緯を調査した。 結論は863号艦の乗務補助員たちが一方的な過失で北方限界線を越えて北朝鮮の攻撃を受けたことが記録された。
▲863号艦の調査報告書はレポート用紙10枚に手書きで作成された
しかし、ソウル新聞が最近40年間国家記録院(城南区)に保管されている"863艦事件の内務·防衛調査団真相調査書 "を海洋警察庁と国家記録院の助けを借りて入手、分析した結果は違った。 乗組員たちの一方的なミスというより、海軍など当時の軍当局の不適切な対応がより大きな原因であったと分析される。 A4用紙10枚分のこの真相調査書の正確な分析のために当時の海洋警察庁作戦状況室などで働いていた艦船と航海術の専門家の助けを借りて真相調査書の問題点を振り返ってみた。
真相調査書には、当時863艦がレーダーの故障に推測航法を行ってする位置決めが不正確だったと記録されている。
863号艦をレーダーで位置確認した海軍
まず、専門家は863号艦は、束草基地内のどの場所までどのようなきっかけにも使用値ずに航行可能な警察で構成され航海とする場所を特定できないほどではなかったと分析した。 特に、海洋警察は海軍の作戦に沿って動かして、当時海軍がレーダーで863艦の位置を正確に知ることができた。 勤務怠慢が事故の原因だったら海軍の職務遺棄も取り上げれるべきだったというのが当時の作戦状況室勤務者らの話だ。
また、当時、海上警察863艦は、作戦コマンドに応じて海軍57号艦のすぐ近くの海域を分担した。 この時、海軍57艦は、861号艦にすると863艦の作戦命令に沿った位置を知っており、863艦がレーダーの故障で制御不能との報告に基づいて束草に帰港するようにし863艦の境界海域を861号艦にするが引き受けるようにした。
863号艦は、視界が良くないとしてレーダーを持っている海軍艦に帰港針路を要求した。 そのため、海軍は北の船舶が南下するのを見ることができていたのにレーダーが故障した海上警察863艦に通知しなかった理由を、当時作戦状況室勤務者はまだ分かっていない。 視覚障害者が深い穴に落ち込むように放っておいたのと変わらなかったが、当時の同僚警官の証言だ。
※無線では相手にむけて直接話しかけることはできません、そのときに特定の相手の名前を連呼してもまわり中のフネがその無線を聞いていることがあります。
決められた周波数で送信して(相手が聞いていたら)返事がきたらそれが交信です。
26人の若い命を奪った海警863艦事件もやはり安全不感症による人材だったようだ。 どのような理由からか分からなくて、陸上での打撃牽制することができる距離にいたにも救出作戦を全くしなかった。 もちろん、戦闘機などの支援要請もすぐに行われなかったと記録されている。 また当時の東海岸には、北方限界線一帯全海域を制御することができるレーダーも設置されていなかったことが確認されている。
ただ海岸から一定距離ごとに景定(100t級)、海軍戦闘艦PCEC(3〜400tクラス)、海軍戦闘艦DD(約1000t)が水平方向にそれぞれ配置されており、これらに搭載されたレーダーを保有していただけだ。
(翻訳:みそっち)
ふぅ~~ん 海で迷ってキタ朝鮮の領海に入り込んでキタ朝鮮に捕まっちゃったんですか、まぁ海上警察っていうくらいだからスパイ行為のためにキタ朝鮮に向かったわけじゃないでしょうけどね、それでどうなったのかというとそれっきりだったわけですね。
えっとね"韓国型思考"では "当時のGPSは機能が未熟で..." そういうのは無かったですね、 海に浮かんだフネは天測と位置無線局の傍受で位置を確認することしか出来ないですよね、それこそ"航海士が10ノットで270度にむけて1時間"とかっていう記録をする程度ですからね