minaQのつぶやき 네토미나

嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

天安艦 あの網ゎ中国漁船のです。

あっちのカキコです
 
最近海洋警察庁は東海(日本海海上をすぎる船舶らを対象に“廃網をむやみに海に捨てるな”という特別な注意事項を伝播しました。
 
“東海(日本海海上警察で漁民らに頼む注意事項だ。操業した漁船らが廃網や漁具をむちゃくちゃに海上に捨てて航海船舶のスクリューにかかることによって航海が不可能な事例が持続的に発生していて特に気象不良時の海難事故の危険性が高くて漁民らの特別な注意が要求されている。
特に夜間には主幹とは違って航海に対応無策なので漁船らの格別の投棄禁止が要求されている実情だ。
 
それでも被害は広まる 天安艦座礁の原因は投棄された漁網だった
 
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実際に去る5月1日明け方4時40分頃独島(ドクト)で操業中だった漁船M号(80トン、船員9人)とJ号(24トン、船員7人)がスクリューに漁具綱がかかって独島(ドクト)4.2km海上と3km海上でエンジンを使用できないとし救助要請を東海(日本海海上警察にしたのだ。
救援申告を受けた東海(日本海海上警察では近隣警備中だった5千トン級艦艇を事故海域に急派、救助隊員が搭乗した高速短艇を下して1時間の水中作業終わりにスクリューにかかった漁網を除去した。
このようにスクリューに網や漁具綱かかる事故は船舶運航者などに航海時神経を尖らせていて海難事故の主要因でも台頭していて特別な対策がなくて問題点でも作用している。”
 
この記事で見るように漁船や一般船舶はスクリューに網や綱が巻かれる場合、エンジンを使用できなくなり海洋警察に救助要請をするほかはないといいます。
それなら天安(チョナン)艦と同じ軍艦はこういう場合どのように対処をするのでしょうか?
国防部は艦艇の運行に支障がない場合、入港後に除去していると明らかにしていますが、事故当時天安(チョナン)艦は運行が困るほどスクリューに網と綱が巻かれていたことを写真らは見せています。
スクリューに網と綱がかかることになる場合、天安(チョナン)艦と同じ軍艦さえも対応できないとの事実を次の記事は示唆していますね。
 
潜水艇のスクリューに網がかかれば間違いなく座礁するということだ。網は最初から潜水艦を捕らえるための手段で使われることもした。第一次世界大戦当時英国海軍はドーバー海峡に機雷付設と共に水中網を設置した。
この方式で英国海軍などに恐怖の対象だったドイツ潜水艦U-ボート(UB-26)を網で捉えて撃沈させた事例もある。
海軍関係者も‘潜水艦スクリューに網がかかる場合、道理なしで水面位に浮上したり水中にそのまま沈没するほかはない。’で話した。
このようだと見ると網は潜水艇には爆雷よりさらに恐ろしい存在という見解もある。”
 
それで実際に我が国海域でスクリューに網と綱が巻かれて沈没した軍艦の事例らがありましょうか?
 
(1) 1998年に束草(ソクチョ)近海で北朝鮮、ユーゴ級潜水艇がサンマ漁網にかかったことがある。
潜水艇スクリューに網がかかれば間違いなく座礁するということだ。代表的な例で1998年東海(日本海)で浸透した北朝鮮のユーゴ級潜水艦1隻が私たちの漁船がばら撒いておいたサンマ漁網にかかって漂流して海軍艦艇に曳航された事例がある。

(2) 1999年3月26日Chinaの1,800トン ロミオ級潜水艦1隻がペクリョン島西側で私たちの漁夫らが打っておいた漁網にかかって座礁したのを私たちの漁船が発見したこともある。
 
だが、このように漁民らが海に捨てた網や綱のために困りきっているのは北朝鮮や中国の艦艇だけではないようです。
大韓民国海洋警察らは業務上我が国漁民らだけでなく我が国海域を侵して入ってくる中国漁船が逃げながら追跡を避けるために捨てておいて行く網と綱のためにしばしば安全事故の威嚇を受けている状況ということです。
 
 “中国漁船らは不法漁業をして私たちの海洋警察の取り締まりを避けて逃走する事例が多いが大部分網を切って逃走する。捕えられても証拠を残さないために無条件網を切って逃走するということだ。
こういう網は回収が不可能だ。はやい潮流などでどこか分からないがペクリョン島一帯水中に残っている可能性が高い。
ペクリョン島のある漁民は‘昨年まで多くの中国漁船らが私たちの海域に入ってきて操業をして網を切って逃走した事例が多い。’としながら‘網は海底に沈んだり潮流に押されて西海(ソヘ)どこかで歩き回っていること’と話した。”

“西海(ソヘ)北方境界線(NLL)は南北の武力衝突の可能性がかくれている危険な海域でこちらに投入された海洋警察特攻隊は(中国漁船らが)夜間に隠密に網を置いて行くからこれらの追跡過程で発生するかも知れない安全事故と検挙過程での中国船員らの反抗、追跡範囲の制限など多くの危険に露出していることが現実だ。”
 
いくら海洋警察艦艇のレーダーが漁網や漁具を捕らえられるとしてもスクリューに網や綱をひいた場合がひとまずできれば特に夜間には主幹とは違ってそれらを除去するというのがほとんど不可能なので対応できないといいますね。
そのような場合、天安(チョナン)艦事故当時イ・グァンヒ中佐がそうしたように艦艇に搭載されている自動遭難信号発信装置(EPIRB)でスローガン信号を送って海洋警察庁衛星遭難受信所(LUT)を通じて救助隊が来ることだけを待つのがその状況を対処できる唯一の方法になるでしょう。
このように北方限界線(NLL)と排他的経済水域(EEZ)を越えて入ってくる中国漁船を取り締まるのは本来海洋警察の主任務中の一つなのにかなり以前から海軍と共助体制を維持してきたといいます。
海軍と海上警察の共助体制が分かるようにする記事があったのです。
 
“中国漁船に対する取り締まりはレーダーで中国漁船の動向を常時把握する海軍が海上警察に取り締まり作戦を提案すれば南側水域で海上治安活動を遂行する海上警察警備艦艇が北上、NLL近海にある中国漁船側に移動してなされる。
海上警察警備艦艇で高速短艇を出して操業中である中国漁船を取り締まる間海軍艦艇は周囲で北朝鮮海軍の動向などを見回して支援する。”
 
私たちはここらで天安(チョナン)艦が事件発生時間帯に中国漁船を監視したという事実を注目する必要があります。
 
 
MBCが公開した最初軍状況日誌は9時14分以前にすでに天安(チョナン)艦が中国漁船を監視していたという事実をいってくれています。
国防部発表によれば“天安(チョナン)艦事故当時に中国漁船らが北朝鮮麒麟島(キリンド)に漁労前進基地を置いて180隻程度が漁労作業をしていた”と話します(http://blog.daum.net/yongha36/5574205)
だが、天安(チョナン)艦事故発生当時に麒麟島(キリンド)漁労前進基地を越えて私たちの水域で越えて入ってくる中国漁船を監視するためなら大青島(テチョンド)南西側で清州(チョンジュ)艦と城南(ソンナム)艦そして五隻の海軍高速短艇らが海上警察の艦艇らと高速艇らと共助体制を成し遂げることができる状況であったため天安(チョナン)艦が小型高速艇でも通うことができるペクリョン島南側のヒョプスロを通じて麒麟島(キリンド)近隣海域に行く必要はなかったでしょう。
しかも天安(チョナン)艦の平常時警備区域はペクリョン島住民たちと全域将兵らの証言に従おうとするなら大青島(テチョンド)とペクリョン島で西の方に5マイル離れた海域であったし南北で長い長方形の形態で運行しながら警備をしていたそうです。
したがって海上警察と関連した天安(チョナン)艦の中国漁船監視も麒麟島(キリンド)中国漁船基地付近の海域でなくすぐにペクリョン島西側5マイル海上だった可能性が高いです。
(もちろん実際に天安(チョナン)艦事故が発生した地域はペクリョン島西側5マイル(= 8Km)でなく2Km以内でした。
天安(チョナン)艦事故が発生したイカナゴ漁場近所では大きい艦艇が通ったことがないという、言い換えれば天安(チョナン)艦がペクリョン島西側2Kmすぐ海域を運行したことがないというペクリョン島住民たちの終始一貫した証言にもかかわらず、国防部は北朝鮮の潜水艦浸透に備えるために天安(チョナン)艦の警備区域を変更したと主張しているのです。
だが、事故発生地域がペクリョン島南側でなく西側であったという事実だけは変わるのが大変だと思います。 なぜならTODやKNTDSの座標らが指示している地点もすぐにそちら側であるためです。)
またMBCの軍状況日誌を見れば第2艦隊が天安(チョナン)ハムそれだけでなく事故発生当時に北方限界線(NLL)近隣海域を警備していた5隻の哨戒艦皆から中国漁船監視報告を受けることを願ったが麒麟島(キリンド)中国漁船基地付近の海域を監視できる位置にあった清州(チョンジュ)艦と城南(ソンナム)艦は彼に関する交信をしなかったという事実を知ることができます。
これは北方限界線(NLL)近隣海域ごとに哨戒艦らの中国漁船監視区域が別に定められていたし天安(チョナン)艦の中国漁船監視区域はすぐにペクリョン島西側海上であったという事実を推定することができるようです。
普通毎年4月から6月までがペクリョン島近隣海域はイカナゴワタリガニの操業時期といえるのに中国漁船らが私たちの海域に現れ始めたことは3月初めからだったといいます。(http://media.daum.net/society/others/view.html?cateid=1067&newsid=20100402173512021&p=yonhap)
したがって天安(チョナン)艦事件発生当日にも中国漁船がペクリョン島近隣海域で越えて入ってきた可能性を否めないです。 そして中国漁船は海洋警察の監視を避けるために主に日が沈んだ後夕方頃に北方海岸線を越えてペクリョン島近隣海域で操業しにくるという事実もまた、天安(チョナン)艦事件発生時間帯と相応するということを分かることができます。
私たちはここで9時14分に天安(チョナン)艦が第2艦隊に中国漁船監視報告をするやいなや、間もなく9時15分に天安(チョナン)艦が海洋警察庁に救助信号を送ったという事実を記憶する必要があります。
このようないくつかの事実を引き揚げされた天安(チョナン)艦のスクリューに関わっていた網と綱に結びつけてみれば、もしかしたら実際に中国漁船が逃げながら追跡を避けてしまっておいて行った網と綱にかかって天安(チョナン)艦事故が始まったという推定をしてみることができるようになります。
 
へぇ~~  中国漁船不法漁網投棄原因ですか   いいのかなぁ