体育館 VS プレハブ住宅
履き物の数だけ残った行方不明者の家族
[今日のミーナ]行方不明者の数が減少し、体育館やバンモク港に残された家族の孤立感は大きくなる。体育館には約250枚の毛布が敷かれている。そのうちのほとんどは、現在空いているスペースである。
家族·公務員·ジャーナリスト·ボランティアなど、最大6000人の喧騒だった体育館にはもう400人程度残っている。約30人が行方不明者の家族である。体育館の床の内側に設けられた政府支援センターの職員数は、家族よりも多い。床に座って交わす家族の会話が観客席から聞こえるほどひっそりある
畳まれた毛布類は、すでに遺体が見つかり家に戻った人たちのもので、残される行方不明者家族が寂しくならないようにそのままにしてある。
今日5月19日 大統領の対国民談話の中継をみている行方不明者の家族ら、体育館の床に敷いたゴザなどがかなり乱れている様子がわかる。
前日の5月18日のようす、セヲル号の惨事行方不明者の家族が集まっている珍島体育館では空席も増えてきた、ボランティアは残っている家族が不安にならないように無人となった毛布などをそのまま片付けずに置いている
事故から31日目となる5月16日の珍島体育館のようす、遺体発見が伝えられると遺族は悲しみの対面のために体育館をあとにする、そのまま遺体が確認されると葬式のために珍島体育館から出てゆく、残される家族関係者らにもギクシャクした空気が漂っている。
5月13日撮影の珍島体育館、この日までに行方不明者は28人と発表されている、体育館に残る行方不明者の家族らは最後の一人が発見されるまでここに残るつもりだ。
事故翌日の珍島体育館のようす、真ん中の通路が広くとられているのがわかる、急いで建てられた屋外用テントも2張り見えるが、その後対策本部の縮小に伴い撤去された。このテント撤去についても一部遺族の間では捜索体制の縮小を意味するものとして反発があったりした。
5月12日、ボランティアが清掃しているところ 白い三本線の黒いサンダルが見える、支援物資として提供されたものだ、このサンダルも徐々に数が減ってゆき体育館内に並んでいる履物の数で体育館にのこっている関係者の数が減ってきていることがうかがい知れる。
室内履きとして提供された2種類のサンダル(スリッパ)、体育館内は本来、土足禁止とされてきたが行方不明者家族らが履物の不便を訴えたため急遽用意されたものだ。しかし多くの韓国人には室内履きという習慣がないためそのほとんどが使われずに並べられている状態だという。
(翻訳:みそっち)
プレハブは持ってきたけど報道陣や警察が使うわけには...
対策本部は「体育大会開催のために、珍島室内体育館に滞在中の行方不明者の家族を追い出してしようとプレハブ住宅を設置したという一部報道はまったく事実ではない」とし「政府や珍島郡が室内体育館を空にしようとしたこともない」と釈明した。
一方、海上警察の解体で遺体検案などの業務が一部移管されることと合わせ
バンモク港にはプレハブは昨日までに全10棟が用意された。置くだけの簡単な韓国型簡易住居はトラックで持ち運びができ撤去も簡単だ。しかし行方不明者の家族らはそこへの移動を希望していないと伝えられた。
※ニホンでいうところのプレハブ式子供部屋とも言えるものだそうです。
遺体捜索の最前線であるバンモク港に設置された仮設住宅だが入居を希望する行方不明者家族はいない、国の経費で設置されたが入居のいないまま事態が終息するまでそこにおかれることになった。
しかしなんといっても遺体確認所にもほど近く作業が短縮化されることが期待されている。
直接置くだけの一戸建ては全10棟で電気・ガス・水道などの付帯設備は入居者が希望してから工事されるものと知られている、エアコンのない構造ではすでに真夏日の観測もある珍島でも決して過ごしやすいとは言えないらしい。
内部の撮影は報道陣の強硬な要求で許可されたもの。
プレハブが設置されたのはバンモク港にある”遺体確認所”のすぐ手前で遺体の確認にかかる時間が短縮されることが計画された。 ※後方に見えるとんがりテントが遺体確認所
遺体確認所のすぐそばに建てなくてもいいのに