いよいよ珍島体育館最後の日
珍島体育館いよいよ明け渡し
[メディアミーナ]政府の現地対策本部は19日に撤収、「事故収束のために設置した、政府の事故対策本部は、現場を整理するために当分の間、縮小運営している途中解体する」とし「今後、引き揚げなど船体の処理に関しては、海域環境、船体の状態などの技術的検討と行方不明者の家族、専門家などの意見収斂および公論化の過程を経て、適切なタイミングで中央災害安全対策本部で決定すること」
4月18日の朴大統領訪問にあわせて設置された大型モニター
200インチの大型モニターはLG製(一部報道ではサムスン製182インチ説も)で珍島体育館に2台と彭木港(バンモクハン)の待機所に設置された(バンモクハンには60インチ1台)台風接近で彭木港の待機所が移動することになりテントの撤収などが行われたが、その際にバンモクハンに設置されたモニターが危うく詐取されるところだったこともあった。
とうとう設置されなかったプライバシーの間仕切り
6ヶ月を超えて長期化した”珍島体育館籠城”も初期に議論された行方不明者家族の居住空間快適化計画はついに実施されなかった。その理由とは”間仕切りをすることで**犯罪が起きる可能性が高い”というもの。
さらに事態を悪化させた発言は”体育館に恒久設置物を施工すると行方不明者家族がいつまでも...”という発言。
さらに”体育館間仕切り設置は珍島郡が行うべきこと”という政府方針もあってプライバシー問題が炎上っ、バンモク港に仮設住宅を設置することで問題回避を狙ったが入居者はゼロという事態に。
着替えや入浴施設なども結局はそのままに
既存の体育館施設にあるシャワー室がつかわれたが6基あるシャワー台は、一時2000人を超えた滞在者には少なすぎるとして増設も検討されたが珍島郡の単独では予算化が難しいことや、恒久的施設設置に反対する意見もあって設置は見送られることになった。
※シャワー室の給湯設備の増設は行われ200㍑温水タンクが設置されました。
※※ボランティア団体の洗濯機が最盛期で14台も無秩序に設置され給排水設備がパンクしたことも。
大量にあつめられた寝具類の行方
珍島郡役所や防災保管庫に集められた支援物資のうち、体育館で使われる寝具などの必要数は比較的早く確保されたが、その後も続々と届く支援物資に行方不明者家族のいる珍島体育館を管理する珍島郡では”支援物資をホームレス対策に利用する”と発表したがボランティア団体の反対などもあり現在も防災保管庫で保管されている
※タオル、衣類などは早い時期に分配されたためほとんど残っていないらしい。
※※軍が提供した軍用毛布などは所定の保管場所に格納されました。
▲船内捜索の完全中止が決まった10日午後、珍島体育館ではボランティア支援体制の最終的な撤収も決まり一部がバンモク港と全南大学海洋体験館に残ることが知らされた。
※全南大学の施設への移動も、捜索活動全面中止をうけて行方不明者家族は全員帰宅するようです。
地元企業から送られた”体育館内サンダル”が集められたダンボール箱ごと消える事件があった。
5月12日、ボランティアが清掃しているところ 白い三本線の黒いサンダルが見える、支援物資として提供されたものだ、このサンダルも徐々に数が減ってゆき、体育館内に並んでいる履物の数で体育館にのこっている関係者の数が減ってきていることがうかがい知れる。
室内履きとして提供された2種類のサンダル(スリッパ)、体育館内は本来、土足禁止とされてきたが行方不明者家族らが履物の不便を訴えたため急遽用意されたものだ。しかし多くの韓国人には室内履きという習慣がないためそのほとんどが使われずに並べられている状態だという。
6ヶ月の賞味期限、インスタント麺はどこへ
届けられた支援物資のうち最も多かったものがインスタント麺などの食料品だった、郡庁が支援物資の受け入れをやめた7月以降には急減したがそれでも一時は5000ケース(30食入り)を超える物資が郡役所の廊下を埋め尽くし使用されていない講堂などにも分散して収納されたが、適宜運び出されそのほとんどが食べられ現在ではほとんど残っていない
※野次馬見学者にもインスタントラーメンを提供 あとで問題に
また大量に届いた保存用食品などもすでに行儀よく分配されており、はじめから支援物資の一覧を作らなかったことで実際に届いた物資のうちどれだけが行方不明者家族に使われたのかは定かではない。
公称69万の支援物資の内訳は不明だ、ボランティア団体の集計と珍島郡庁で受付された物資の総数だと発表されているがそのほかにも現地に直接持ち込まれたものも多く、また運び込まれる段階で消えたものも多いため集計は早い段階で打ち切られた。
▲支援物資の大量盗難という前代未聞の事件もあった
募金詐欺や葬祭詐欺に捜索詐欺から支援物資詐欺といった”韓国型事情”が凝縮された6ヶ月でしたね。
さいごにお亡くなりになった皆様のご冥福をお祈りいたします。
過去カキコ転載します
うっとりする”韓国型不信社会”
引き取り手のない救援物資は勝手に処分できない、最後には送り主に送り返すしかないかも
[ニュースミーナ]遭難現場に近い珍島室内体育館が遭難者の関係者に解放されたのは事故当日の先月16日でした。初期救助体制の混乱もあって捜索が長期化することが予想されると、大統領をはじめ首相クラスの閣僚も次々を応援に駆けつけましたが事故の拡大となった原因や未熟な対応の責任が政府にもあることから対立が高まり一時は険悪なムードの漂う修羅場ともなりました。
珍島郡庁でも総合体育館で予定されていたすべての行事をキャンセルして支援してきたが、この一ヶ月間の概算損失は予定されていた体育館使用料のほか電気水道代などで2億4千万ウォンほどにもなることがわかった、これは総合体育館の所轄は郡庁だが実際の管理責任は施設管理公社となるため無償使用には応じられないとする主張があるためだ。
郡では特別補正予算を組み補填する計画で費用の一部負担を国に求める考えだが応分の負担を求めるには慎重な声も聞かれている。
さらに問題が深刻化しているのが大量の支援物資だ、ボランティアによるとこれまで集められた支援物資は69万件あまりだがそのうち10万個あまりが使用されすに保管されているという。また未分類のままの支援物資も多く、最終的にはかなりのものが使われずに処分することになるだろうという。
▲未発見とされる行方不明者は昨日現在で27人といわれているが珍島体育館の特設待機所でも空席ばかりが目立つようになってきた。
現場近くに戻ってくる関係者のために毛布類などはそのままにされてきたが先週までにボランティアの手により一部が撤去されている。
主のいなくなった寝具をボランティアたちが片付けている、最盛期には500人を超えた遺族関係者も今では遺体未発見の家族ら数十人が残っているだけだという。
▲事故からまもなく一ヶ月になるが遺体発見のニュースも途絶えがちとなり珍島体育館の観覧席に陣を置いた報道関係者もそのほとんどが撤収して閑散とした風景を漂わせている。
珍島郡を悩ませているのはこれらの大量の救援物資のやり場のことだと言われている。処分するには問題があり、支援してきた国民の理解の得られる方法で検討していきたいとしている
※ホームレス支援団体が受け入れを表明~国民感情で却下
荷物をまとめて最後の別れを惜しむ関係者の姿
※もちろん帰りのほうが荷物が多いのが当たり前だったりする
船の引き揚げはやめちゃうの?