minaQのつぶやき 네토미나

嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

師団長の墓場と言われる部隊

 
事件、事故が多い最前線の師団のウワサ
 
そこに配置が決まると同期も距離を置く
イメージ 1[国防ミーナ]21日銃乱射事故が発生した陸軍22師団は、2012年の「ノック帰順」事件など大小の事故が後を絶たなかった部隊だ。
30年前にも同じような事故が発生し、兵士15人が命を失うこともするなど、不名誉な事故で規律弛緩の指摘を数回受けてきた。 
 
江原高城郡東部戦線最前方に位置する22師団は、他の部隊とは異なり、地理的に山と海岸の警戒の両方を担当しており、勤務が大変なことで有​​名である。兵士たちは常に緊張状態になければならず、指揮官もよく更迭されて「師団長の墓」という話が出てくるほどだ。 
 
2012年10月、北朝鮮軍兵士の一人が東部戦線鉄柵を越え、最前線一般前哨(GOP)部隊内生活館で入るまで誰も気づかなかった、いわゆる「ノック帰順」事件が代表的である。当時、北朝鮮軍が内務班のドアを叩いて帰順の意思を表明するまで、鉄柵が切断された事実さえ知らなかった。結局、2人の将軍と佐官級将校2人が懲戒処分を受けた。
同年3月28日にも22師団の海岸警戒所でパク某(21)一等兵が頭に銃弾を当てて死亡したのが発見されたが、当時この事件を適切に処理していない点が明らかにされ、その部隊の大隊長補職解任された。
2009年10月には民間人が22師団の管轄区域の鉄柵切断越北する別の警戒の失敗事件が発生し、師団長と連隊長大隊長など5人職務解任され懲戒委員会に渡されたことがある。 
2005年12月には予備役中佐のチョンさんなど2人K2小銃2正手榴弾6発、実弾700発を奪取したが、部隊側は、これらの事実を、一日が過ぎた後になってようやく把握した。 
22師団の代表的な大惨事は、30年前の1984年にさかのぼる。1984年6月22師団件鳳山カチボン境界警戒所(GP)に勤めていたジョジュンフイ兵が内務班に手榴弾3発を投擲してライフルで射撃を加え仲間小隊員15人を射殺し、11人に重傷を負わせた後に越北した。当時、北朝鮮は対南宣伝放送を介してジョ兵の越北を大々的に宣伝した。
 
 
(翻訳:みそっち)
 


 
ニホンだと士官学校で同期だったりすると生涯仲良しな良いライバルだと言いますがアノ国ではライバルは蹴落とすものとなっています、そのためそういう仕組みは非常に残念に出来ています。その一方で実力者の2代目ともなると要領よく派手な部署を渡り歩きながら大した事故も付けずに昇進していくことになるますよ。
ところでアノ国で、かなりの倍率を勝ち抜いて師団長さまにまで出世するような御仁たちは、今回の5人死亡くらいではビクともしません。それどころか”最前線のかったるい部隊から楽な首都圏の部隊への転勤のチャンス”程度に考えるかもしれませんよ。なにしろ現場で起きたことは指揮官のいないところの出来事なわけですから韓国型思考では責任の取りようがないわけなんです。それでも一応は処罰っぽいのがでてくるかもしれません。 やっぱり転勤かな
 
全体で65万人いるとされる韓国軍では徴兵でやってくる季節兵がおよそ40万人といわれています。これらの徴兵の兵隊が使い物になるのかというと関心兵などの問題もあって21ヶ月という期間では十分な訓練はできないと見るべきでしょう。
そうした差し引きをすると程度の低いのばかりが集められてくる徴兵制度に問題があるのだという簡単な意見も出てきますがこれは簡単にはやめるわけにはいきません。初級兵士の訓練をしておく必要があるからですね。しかし”号令で回れ右”をするような訓練ばかりしていると真っ直ぐ行進出来なくなるということにも注意が必要です。
 
 
 
 
 
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枝豆はおいしいよね