議政府火災被災者 今月末で出て行く
あの”306補充隊生活”はどうなっているか
今月28日までの期限付き、すでに大半が”劣悪な環境”に嫌気で出て行った
兵舎生活に残るのは体の不自由なお年寄りばかり
市では”葬儀代75万ウォン”を出しただけ? まだまだたかる気満々
12日議政府市災害対策本部によると、被災者375人は、事故直後に京議小学校講堂を一時宿泊施設亜生活してきた。しかし、小学校入学式準備のためにこれらの一時的な宿泊施設を軍部隊が撤収した306補充隊に設けられた避難所に移った。
ここで生活することに申請した被災者は117人。しかし、現在でも実際に生活している人は20人余り内外で、ほとんど体の弱い60〜70代の老人である。部屋1つに7世帯がカーテンを張って生活をしている。残りの住民は、劣悪な環境を耐えられなくなり、ほとんど出て行ったという。
さらに、これらが生活している306補充隊避難所が28日で退去することが予定されて被災者の尻に火がついた。被災者の半分近くが傳貰·月貰の保証金を受けられず、居所を設けていないからである。
※韓国型賃貸住宅でおなじみの傳貰·月貰は家主に支払い能力が無くなると一銭も戻ってこない仕組みになっています。
▲©SBS 被害住民は<聯合ニュース>とのインタビューで、「保証金返還がまだされずに滞在する場所を探せなかった住民が多い」とし「あと1〜2ヶ月だけでも補充隊により滞在できるよう市と軍に要請する予定だ」と明らかにした。被災者は13日、議政府市庁前で、これを必要とする集会も開く計画だ。
これ市の関係者は、「gobalニュース」との通話で「306補充隊の避難所は、予定通り28日撤去される予定」とし「被災者が今後の滞在住まいについては、まだ計画はない」と明らかにした。この関係者は「市で特別にしてくれることができるわけがない。遺族に葬儀費用サポートのほか、残りの被害補償は保険会社や建築主の責任だ」と説明した。
火災は先月10日午前9時16分ごろ、議政府市ウイジョンブドンのデボングリーンアパートから火が始まった。火のすぐ隣の建物2棟と近くの住宅に一度おり、5人が死亡、125人が負傷した。
(翻訳:みそっち)
306補充隊というのは徴兵の兵隊を一週間ほどあつめておく機関ですよ、軍服や軍靴を渡して配属先の部隊がお迎えに来るまでお泊りさせるんです。
補充隊では最大でも一週間の生活しかしない兵隊ですが毎週1000人くらい受け入れてきたので洗面台も立派に揃っています
お食事は兵隊は”大食堂”を使って”500人~”が2交替で一度に食べていましたが火災の被災者が使うには広すぎるのと、キッチンが火気使用不可だったので建物の外にテント食堂をつくりました。しかも食べ物は給食業者が運んできます。
これらは一日3食がお約束の時間に用意され時間に遅れたりすると”めし抜き”というのが被災者生活だったようです。しかも軍の駐屯地と同じですから正門までが遠いことったら。さいわい門番の衛兵は市役所の職員に代わりましたが”酔って帰宅”するのがイヤだということで去っていった住民もいました。
※306補充隊が昨年末に閉鎖されて正門前のコンビニも閉店しちゃったのでさらに800mほど離れたところまで買い物に行くしかないのです
▲給食のお弁当を食べている図、地元の各自治会からの差し入れもそれっきり
実は兵舎の中は飲食禁止です、夜中にお腹がすいても食べ物禁止で、キッチンテントで食べるようになっています。もちろん兵舎の中は最近はやりの”禁煙ゾーン”ということでタバコはなんと”門から出て吸う”というのが条件ですよ。
70世帯117人が一緒にきたが、劣悪な環境を耐えられなくなり、ほとんどが去りあとは14世帯、20人余りだけ残りました。 四分の一かに7世帯前後が割り当てられているみる大人二人がやっと体を横にできるほど窮屈でした。
となりでキムチを食べるってどんな気持ち?