民間防衛の日と韓国型思考
有事の際には漢江に架かる橋の全てを破壊する計画がある
”民防衛の日”消防車道走技訓練、毎月くりかえされる20分の訓練
消防車に道をあけないのは毎度のこと、バスが車道に立ち往生
▲譲歩せず、'私の行く道'固執…消防車、さらさらと虫のいい車両も
"消防車が出動中です。 左右へ避航してください。 車線を譲歩してください。"、16日午後2時、指揮車・ポンプ車・救助バス・救急車など消防署出動車両がソウル永登浦区永登浦(ヨンドゥンポ)消防署から出発し、サイレンを鳴らして放送をしたが、'音ばかりの叫び'だった。
しかし、同日、永登浦(ヨンドゥンポ)消防署所属の緊急車両が第397回民防衛の日に合わせて実施された'消防車道開く'訓練の一つで約7キロを走ったが、車両は譲歩よりは'私の行く道'を行く姿だった。
自動車たちが消防車が通行できるように譲歩すれば人命と財産被害を最小化できる'ゴールデンタイム'5分を守ることができるが、'モーゼの奇跡'を見つけることはなかった。
永登浦(ヨンドゥンポ)ロータリーでは指揮の車の前を走っていた黒いジェネシス車両が放送を聞いて、横の車線で譲歩したが、残りの5∼6台の車は動じずに自分の行く道を行くのみだった。
特に車が滞るとか信号にかかると、必ず譲歩が必要だが、消防車に道を開いてしようとするドライバーを会うことは難しかった。
永登浦(ヨンドゥンポ)のキム眼科の前片道2車線の道路では渋滞が開始され、規定どおりなら、車が左右に少しずつ退いて道を開かなければならなかったが、どの車両も動かなかった。
京仁路の交差点では赤信号にかかって車で渋滞していたが、車は信号だけ待つだけで譲歩しなかった。
同じ時間、ソウル中区中部消防署から出発した道走技の訓練消防署車両も似たような状況に阻まれ、速度を上げることが容易ではなかった。
乙支路5街から乙支路3街方面に消防車が1車線に走り停止信号にかかると前に立っていた乗用車3∼4台は2車線に譲歩をしたが、図体が大きかった市内バスはさっぱり動じなかった。
永登浦(ヨンドゥンポ)消防署ソ・ジェグン現場対応団長は"信号にかかったり、車両が多くの場合譲歩がなく、困難が多い"、"さらには消防車が譲歩を受けて出る時その後ろにくっついてついていくちゃっかり車両までいる"と話した。
譲歩は車両だけでのものではない。 消防車が通り過ぎると、歩行信号が青だとしても歩行者は信号を渡るのをしばらくやめなければならないが、よく守られないというのが消防関係者の言葉だ。
結局、この日の練習で消防車は走行の大半を時速10∼20キロの低速で走るしかなかったし、赤信号や渋滞状況で、すべての車両の譲歩を勝ち取る'モーゼの奇跡'は一度も目撃できなかった。
消防車道譲るのと関連して、区役所単位で取締りをするが、良くなる兆しが見えないというのが消防関係者の説明だ。
この2012年から最近3年間の取締り件数は計170件で1年平均57件だったが、今年は1∼3月の間だけでおよそ65件の取り締まりされた。
チョソンレ中央消防本部長は"火災や救助状況で1分1秒が生命を左右することができる"、"道を行く消防車を会ったらすぐに左右に最大限退くことというのが、私たちの家族の命を救う実践"と強調した。
(翻訳:みそっち)
半島のひとが避難訓練というものをはじめて体験したのはニホン統治時代の1933年と言われています、当時のことですから消防車も数少ない上に”空襲”なんてものも想像がつかない時勢でしたが、災害を想定した避難訓練というものは彼らには馴染みの無いものでした、ニホンでは大八車で関東大震災というのが思い浮かびますがそういう経験のなかった半島の人達にとっては何の意味もないものだったようです。
ほんの一年ほどのあいだに2度も敵軍に占領されたソウルでは避難民の歩くよりもキタ朝鮮軍の進む方が早かったりして比較的平穏なうちに占領期を迎えましたが、その混乱に乗じて乱暴狼藉窃盗破壊をくりかえす市民が大勢あらわれたのも当時の特徴でした、結局わずかな市街戦だけで破壊をまぬがれたソウル市も市民の手によって灰燼と化してしまったわけです。(当時のソウルには軍人と市民しかいなかったが軍人が敵兵を殺すために展開していたのに対し市民は略奪をするために棍棒を手にしていた)
さて韓国では救急車・消防車に道を譲らないというのはあまりにも有名な話ですがこれも”権力に逆らうのがカッコイイ”と考える”韓国近代型思考”によるものと見られています、たとえば米軍の装甲車の走る前を談笑しながら横断してはねられた女子中学生の事件では、車道の真ん中にでてきた中学生がいつのまにか一方的な被害者だったということになって米軍が困ったこともありました。これらの風潮は極端な政治不信と乗せられやすい単純な性格によるものとして知られています。
バスやタクシーが”消防車に道を譲る訓練”に出くわすと乗客が騒ぎ出す?
既によく知られているように韓国では法を守らないことがカッコイイということになっています、このばあいの法とは法律ばかりではなく市民生活でのお約束も入ってますよ、たとえばお買い物マートのレジであれば一列に並ぶしかないと思うのはニホンで暮らしているからなんですね、彼らは横一列に並びます、隣のレジが早く進むのを見ると途端に大声で騒ぎ始めるわけです、ここで騒ぎに乗り遅れると自分の番がさらにおそくなることを知っている彼らも一様に騒ぎ始めるわけですね、そうなると”店長を出せ”からはじまって謝罪と賠償へと一気にエスカレートしてゆきます、売っている側では、こうした営業的損害を売価に繰り入れていますから売ってるものは総じて割高になっているのが事実です、しかし彼らは騒ぎを起こしたことでの自己満足から”勝ち誇った”ように笑みを浮かべるように時間の経過を楽しむのです
その一方でバスやタクシーなどの場合にはその場に運転手という立場のひとがいますから非常にわかりやすい行動を取ることが知られています。つまりバスやタクシーの運転手は金を払ってやった使用者だという考えです。そのため乗客がのべつまくなしに運転者に話しかける姿を見ることができます。信号が黄色になれば”増速”を命じるし乗用車が追い越してゆけば運転手を罵倒します、バス運転手への話しかけなどの運転妨害行為は罰則の対象になるのですが乗客は自分が正しいことをしていると思っているので屁でもありません。乗客の狼藉が目に余ると運転者は警察に電話をするためバスを停めますがその瞬間にほかの乗客にも火がついて収拾がつかなくなることも非常に多いです。バスやタクシーの運転手の給料が安くなっていることもあって乗客の方が地位が上だと考えるあたりは”新韓国型身分構造”とも言えるものでしょう。
こうした韓国型社会で生活してきた韓国人特派員が海外で驚くことは秩序のある市民の行動だったり”モーゼの奇跡”に例えられる状況でしょう、そんな記事が毎年紙面を飾っています。
▲ソウルはとてもゴミの多い町です